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20230924

 先週、土曜日の心斎橋MUSIC CLUB JANUSでの興奮が冷めやらぬまま一週間と一日が経つ。今日は夏に引き続き、新代田はFEVERで行われる「ソウル‧フラワー‧ユニオン結成30周年ライブ‧秋篇」(30周年おめでとうございます。)に伺う予定にしたのは、一週間前の土曜日で、翌日の日曜日に切符の手配を済ませた。

 諸般の諸々を経て、バタバタと一旦帰宅した後、段取りを済ませておいた荷物を持って自宅を出発したのは11:00前。12:00前の新幹線、東海道新幹線を運営する旅行会社の商品「ぷらっとこだま」を利用して、新大阪駅からこだま号に乗る運びとなっていて、駅まで急ぐ。
 自宅の近くの駅から乗って、遠距離を往く時は利用する交通手段にトラブルが発生しない様に祈りながら。
 電車に揺られて新大阪。利用する切符は在来線の窓口からは新幹線の改札には入れず、一旦、在来線の改札から出ねばならない。
 コロナ禍以前よりも観光で来日しているお客さんが増えた様な気がしないでも無い。すると気になるのがみどりの窓口や券売機の長い列。これで新幹線の券売機に行列ができていたりするとどうしよう、という思いは新幹線の券売機に来た所で杞憂に終わった。
 何やら携帯電話の画面にバーコードを表示させて、それで乗車券を受け取る様になっていて、券売機で発券を済ませる。
 お昼時、と言っても昼食を摂る気にはなれず、旅行の特典として付いていた飲み物の引換券をホームの売店で麦茶と交換して、出発より早い時間に入線して来たこだま724号、指定された座席に腰を掛けて出発の時間を待った。

東京行き、ひかりとこだま。

 新幹線に揺られている間、時間の有効な使い方をしようと思うのだけれど、滅多に乗らない、トンネルの数が少ない、よく晴れた日の東海道新幹線は何だか窓にへばりついて外を見ているのが一番有効な時間の使い方かも知れないとも思った。せめて駅に停まっている間に書き物をと思い、手元にメモを置いた。

 11:54に新大阪駅を発車、ゆっくりと動き出して、普段なら構造物として目に入って来る新幹線の高架線路からの眺めが新鮮。という位、東海道新幹線には縁が無い事に気が付いた。

おおさか東線を跨ぐ。

 走り出した新幹線。新幹線は淀川を渡らない。阪急電車の千里線から淡路駅へと続く交差を越えたと思ったら、次に交差するのは阪急電車の京都本線。いつも利用している電車を俯瞰という心持ち。

阪急電車の京都本線。
中央環状線、大阪モノレールと鳥飼基地

 そうして江口橋の辺りを過ぎて、モノレールを潜って新幹線の鳥飼基地。隣に貨物のターミナルがあって、少し前まではこの辺りに新幹線の線路から貨物ターミナルにレールを敷こうと準備工事用の構造物があった事を思い出す。 
 自分の生活している街も遠くに見えて、ランドマーク等を探したりする。 

眺め。

 今から40年も経たない位前。遠くに新幹線の走る様子が朧気ながらに見える中学校に通っていて、中学2年生の時だったか、2階建ての100系新幹線が投入されようかというタイミングで、遠目にでも見てみたく、授業中、ずっと窓の外を眺めていた覚えがある。
 それから学年を終えるまで、そこからの眺めがあまりにも良くて、クラスで席替えがあった時にも、窓際の席が当たった人に何とか言って、座席を変わってもらっていた。
 そうしてグラウンドの向こう側に広がる田圃の向こうに、いくつかの建物があって、目を凝らして100系の新幹線が走るのを待った。
 結局、目を凝らして見えたかどうかは忘れてしまったけれど、その時見ていた0系や100系の新幹線はもう走っておらず。
 ついこの間と思っていた話は思い出すと、随分と昔の話になってしまって、1年間をほぼ窓際の席で。
 中学2年生の時に、既に窓際族デビューを果たしていた事が感慨深い。
 それが原因だったのかは知らないけれど、中学3年の時には殺風景な中庭しか見えない教室のクラスになって、(言っては怒られるかも知れませんが)掃き溜め感満載のクラスで、それはそれで楽しかったのだけれど、せめて遠くを見渡せる窓があって欲しかったと、今でも思う。

 東海道新幹線はそんな事を思い出させながら走る。さっき跨いだ阪急電車の京都本線と並走したり、阪急電車とJRの在来線が交差する場所を横目に、一瞬、淀川と並走する場所から離れて、新幹線は走る。
 十数分の間に視界に飛び込んでくる情報量の多さは走馬灯か、等々思いながら、鉄道博物館から梅小路公園が見えて京都駅。
 ホームの上に溢れかえる人。海外からのお客さんも多く、何故だか三度笠を持った西洋からのお子様が居たり賑やかな様子だった。

 車内は程よく席が埋まって、全員が全員、東京まで行く訳では無さそうで、東海地方の都市間移動に利用されているのだろうなと京都駅に到着してから思った。京都駅、新幹線に乗っていても、矢継ぎ早に新幹線が来ては去って行く印象で、乗ったこだま号も例に漏れず。
 出発して鴨川を渡って、東山トンネルに入る。在来線とは抜ける速さの違いに驚きながら。
 そして瀬田川を越えて、稲刈りの終わった田圃とこれからという田圃が交互に目に入ってきて、近江米の産地だという事を改めて思う。

田圃。

 果たして時間は有効に利用出来ているのかと自問自答。
 雨でも降っていれば、視界も悪くメモ書きなんかの時間に費やす事が出来ただろうに。
 そんな事を考えながら、米原から岐阜羽島。東海道新幹線のこだま号は各駅に停まるけれど、停車時間が短い気もする。と思っていたら、新神戸駅かどこかで架線に支障があって岐阜羽島駅で抜かれる予定ののぞみ号が遅れているらしい。

岐阜羽島駅、その1。

 隣の名鉄の新岐阜駅のホームに二度ほど電車が到着して、出て行った様子を横目に。今かと発車を待っていると、何本かのぞみ号に抜かされて、程なくして動き出した。

岐阜羽島駅、その2。

 走り出して思い出したのが、ひと昔前の新幹線。車内の広告に大きなソーラーパネルの写真が大きく写っているのがあって、そういや最近(滅多と乗りませんが)あの広告を見なくなったと思っていたら、実際のソーラーパネルが車窓に現れて、大きな広場に随分と寂しい感じで佇んでいて、あった筈の工場の跡形は在らず。
 時間の流れを感じずにはいられなかった。

 東海道新幹線、車窓を眺めているのが楽しいのは、やはりトンネルの少なさだろうと思う。名古屋駅に到着する前から名古屋駅を中心に離合集散する線路に目を奪われながら列車は名古屋駅。お客さんの出入りが激しい。
 こだま号はすぐに発車して、在来線の離合集散を眺めながら。

新幹線の速度の加減で斜めに写った電車。

 車窓からの眺めに飽きが来ない。

 そうして、馴染みの浅い東海地方、愛知県から静岡県を抜けて(そういえば中学3年の時の修学旅行は富士山だった事も思い出しながら)新富士辺りの富士山の光景。

最近、拝見した映画の中でもこの辺りが映ってました。驚きました。

 三島駅でお客さんがどっと増えて、こだま号で人がこんなに増えるのは流石の首都圏。と思っていると熱海でも同じく。から小田原駅を過ぎた辺りから関東の鉄道網との交差が頻繁にあって、それがどの路線だろうかと気になっていると、新横浜、そしてアッという間の品川で下車。

多摩川。

 以前に昔の品川駅は港南口の様子がX(旧ツイッター)に流れて来て、その光景、駅のすぐ横が海だった事を思い出して、頭の中に中川さんの最新アルバム「夜汽車を貫通するメロディヤ」から「石畳の下には砂浜がある」が流れて、そういえば今日はバンドのアレンジで拝聴出来ると思ったら、込み上げて来るものがあった。

品川駅。

 品川駅から、これからどうすれば良いのか皆目見当付かず。少し時間に余裕がありそうな気もしたので、宿のチェックインを済ませる事にして、上野へと向かう事にした。
 山手線か京浜東北線か、いや、ここは停車駅の少ない上野東京ラインだろうと思いホームへと向かう。山手線や京浜東北線から少し離れて走る印象があって、人もそちらほど多く無い様に思えた。
 例の接近のメロディーで東京にやって来た気になって、上野東京ライン。黄緑色や水色の電車より本数が少ない様に見えても10分ヘッド。

 やはり東京は電車の本数も半端無いと思う。
 品川駅から上野駅まで移動する間。停車駅の少なさ。車窓から林立するビルディングを眺めて、やはり東京には空が無いと思う。
 上野に到着して宿のある御徒町駅方面に向かう。どうやら上野の繁華街の中にある様子。地図アプリに指南されるまま歩いて、JRの高架沿いにあった宿にチェックイン。周りが賑やかで、何か落ち着かず、もう少し人が少なそうな場所を選ぶべきだったと思いながら、チェックインを済ませて、嵩張る荷物を宿のロッカーに預けて、そそくさと宿を出た。

カプセルホテル、自分の番号を忘れない様に。

 上野、御徒町辺りから新代田。掛かる時間が想像出来ない。想像は出来ないけれど、ぼんやりと道程は考えてある。相変わらず人の多い御徒町駅から山手線に乗って秋葉原駅まで。総武線の上りのホームと下りのホームを間違えて、少し時間を無駄にした様にも思えるけれど、東京はすぐに電車がやって来る。
 ミルクスタンドを横目に総武線の各停に乗って、お茶の水駅。そこで中央線快速に乗換。どこまでが総武線でどこからが中央線なのだろうか。そんな事をぼんやりと考えながら、春に桜が満開になると綺麗な眺めだろう、神田川を眺めて。通過した市ヶ谷で内田百閒さん。そう言えば東海道広軌新幹線について、開業前に標準軌道新幹線なんて開通したら、人はもっと忙しくなるだろうという様な事も言っていて、私たちは今どんな時代を生きているのだろうかと考える。

 やがて中央線快速は新宿駅。このまま吉祥寺まで乗って、そこからお気に入りの京王井の頭線に乗って新代田まで向かおうかとも思ったけれど、地図アプリで調べてみると、時間的にそんな余裕は無さそう。なので、一旦、新宿駅で降りて京王線。何やら京王線と京王新線があるらしく、何がどうなっているのかさっぱりわや。ここは駅構内にある案内の看板に身を委ねて、京王線新宿駅と記された方に向かうより他は無さそうだと思って、向かってみる。

京王新宿駅。

 渋谷駅界隈の異様に乗換る距離の長さを想像していたのだけれど、降りた場所が良かったのか、あっという間に京王線の新宿駅。地下のホーム、どの駅も似たり寄ったりだと思いながらICカードで改札を通過して、京王線か京王新線かどちらに乗れば良いのか皆目見当付かず。
 取り敢えず、井の頭線を利用するなら明大前駅か徒歩で向かうなら代田橋駅か、はっきりと答えを出さないまま、先発の電車に乗る。先発の電車は乗るとすぐに発車。
 新宿駅を出発すると、地上に上がるのはいつの話かと思いながら電車に揺られる。
 地下を走る電車というのは曲線が少ないと勝手に思っていたのだけれど、京王線新宿駅からの地下は乗っていて、その揺られ方でいくつも弧を描いている様な気がした。車輪のフランジとレールの擦れる音が何度と無く地下に響いて、その音がまた良かった。
 それで、地上に出たのは案外早かった。幾つかの駅に停まって、さて、代田橋駅か、明大前駅か。
 そういえば食事も朝に摂ったきりで、この機を逃せば、ライブの終了後まで摂れ無さそうで、一度も降りた事は無いけれど、代田橋駅で降りて食事を摂る事にした。

代田橋駅、西側の踏切から。

 夕暮れが迫る代田橋駅で降りて、食事が出来そうなお店を探すも見当たらず、見当たっても食事を摂っている時間が無い事にも気がついて、コンビニエンスストアで何か買って歩きながら新代田まで向かう事にした。
 で、おにぎりを頬張りながら見ず知らずの街の中を歩く。

月と鉄塔。

 また地図アプリに指南されるまま、目指すは新代田FEVER。流石地、図アプリ。幹線道路を往くのかと思っていたら、とんでもなく普通の住宅街の中を案内されて、何か他所様の生活の中を侵入している様な気にもなって、すこし遠慮気味に歩く。歩いていると、向こうに賑やかに自動車の行き交う通りがあって、それが環七通りだった。
 あとどれだけ歩けば新代田なのか、よく分からなかったけれど、環七通りに出ると、新代田までそれ程遠くない様な気になって、少し安心して南へと。
 暫く歩くと、見覚えのある風景が見えて来て、この辺りは新代田駅も近いと。
 チケットの発券がまだだったので、セブンイレブンでチケットを発券してFEVERへと。到着すると、すでに会場は開場していて、自分の持っている番号は遅い番号だったので、慌てず入場する事にした。

夕暮れ。

 宿のロッカーに預けきれなかった荷物を新代田駅の入場券を買って入って駅のコインロッカーに預けて、京王井の頭線の西に向かう線路に沈む夕陽を写真に収めて、新代田FEVERへと。黄色いシャツを着ている人が全部阪神タイガースのファンに見えた。
 今日もこのタイミングでアルコールを摂取すると、体力の維持が困難だと思い、アルコールの摂取は終演後とした。
 中に入ると、先に入ったお客さんでいっぱいで、その後方に佇む。
 今日もライブを拝見出来る幸せを噛み締めながら開演時間を待う事十数分。
 18:00を迎えて開場が暗くなって、ソウルシャリスト‧エスケイプの「アイラー‧チンドン」がスピーカーから流れて、ステージの上にメンバーが揃って、一曲目「ハビタブル‧ゾーン」のイントロから力強く演奏される。この瞬間を待ってましたとばかりに勝手に身体が踊り始める、と共に口からは歌が。
 立て続けのまさかの二曲目にインスト「キラー‧ディラー」メロディーラインを奥野さんのキーボードの演奏に沿わせて口ずさむ。インストでも歌って踊る。から大熊さんが呼び込まれて「ターキッシュ‧ソング‧オブ‧ダムド」イントロの重いリズムに踊らずには居られない。Aメロが始まって、サビへの展開、これまた堪らない。堪らない展開ばかりの曲で踊りまくり。曲の展開の堪らなさと美しいメロディーに踊りながら何度となく深いため息をついた。
 MCを挟んで、次の曲。今日、ここに来るまでの間の品川駅前で、頭の中に流れた中川さんのソロアルバム「夜汽車を貫通するメロディヤ」から「石畳の下には砂浜がある」のバンドバージョン。ただただ泣ける。忘れない様に何度も噛み締める様に、スピーカーからの音に耳を凝らす。
 曲が終わってアドリブの様な、切ないメロディーのフレーズが演奏されてザ‧バンドのギタリスト、ロビー‧ロバートソンさんの追悼で「The Night They Drove Old Dixie Down」と続く。最近、この曲、中川さんの和訳で、頭の中でループする事が多くなった。それから、今度LPでリリースされる「ウィンズ‧フェアー‧グラウンド」から「忘れられた男」に続いて「アワ‧フェイバリット‧ショップ」の80年代加減が何とも、特に奥野さんの宇宙を漂っている様なシンセの音が何とも。そしてイントロのメロディーから共に口ずさんでしまう「ウィンズ‧フェアー‧グラウンド」収録されている「戦火のかなた」のリズムの後ろにアクセントのあるレゲエアレンジで泣きそうになる。この時間が1時間位続かないかと思いながら、泣きそうにもなりながら、歌って踊る。あぁ堪らない。曲のエンディングのメロディーの美しさに何度も溜息が溢れる。
 それからMCでリクルマイさんとこぐれみわぞうさんが呼び込まれて、こぐれさんに至っては25年振りの参加という事で、25年って長いのか短いのか、最近は前にも増して分からなくなっている自分に気が付いた。
 からの「満月の夕」響くこぐれさんのチンドン太鼓の音色が曲に彩り。そんな事を感じた。それだけでは無く、アレンジも進化している気がした。
 次にリクルマイさんの歌う「レイシスト‧フレンド」へと。この曲を拝聴する度にテレビの見過ぎか何だか知らないけれど、久し振りに会った友人がレイシストになっていて、どうしようも無くなっていた事を思い出す。年賀状のやり取りも止まって、それはそんな流れなのだろうと。そんな事を考えた。
 そんな考えを吹き飛ばす様に「ラン‧ダイナモ‧ラン」が「自分を信じろよ」と言ってくれたので、不安は吹き飛んで踊りながら歌う。そして「ダンスは抵抗」。前にライブで聴いたアレンジとはまた違っていた様な気がして、あれは幻だったのかと。また聴きたいと思っている間に一部は終了。

 休憩の間、場所から離れると、また場所を確保するのが難しそうだと思って、その場でじっとしている。

 そして第二部。大阪と違って出囃子は「マージナル‧サーフ」だった。ギターの強烈なコードカッティングが中川さんのレゲエマスターから響いて「ストレンジャー‧イン‧ワンダーランド」。ジャラさんのリズムに乗る阿部さんのベースラインが印象的で身を任せて、相変わらず歌って踊ったりする。立て続けに「グラウンド‧ゼロ」のパーカッションが流れて、冒頭のイントロがインプロヴィゼーションの様に演奏されるのが、また格好良い。から大熊さんがまた呼び込まれて、奥野さんのピアノリフが印象的な「太陽の国 鉛のうた」曲の展開が相変わらず格好良いなと。続いて「不屈の民」から、静かに阿部さんがあのフレーズの「平和に生きる権利」へと続いた。聴き入って、身の回りから世界まで、考えさせられる事が多いと思いながら。
 から、あのフレーズが始まって、中川さんのギターのフレーズに痺れていると「もののけと遊ぶ庭」。歌って踊るより他が見当たらなくなってしまって、それは曲に任せるまま。途中のインプロヴィゼーションがやはり格好良すぎて、何度となく洩れる(良い意味の)ため息。

 まさかのピアノ殺人事件がMCで。

 そして、こぐれみわさんがステージに再び呼び込まれてYMOの「ファイヤー‧クラッカー」。こぐれさんの演奏するチンドン太鼓のリズムの小刻みさ加減が心地良く響いて、身体が自然に動いて、踊っていて気持ちが良かった。
 から「ホライズン‧マーチ」。先のMCで11月にリリースされる名盤「ウィンズ‧フェアー‧グラウンド」のLPがリリースされる事が告知されたのも相まって、アルバムが発売された頃の事を思い出して、それがついこないだと思われたのだけれど、数十年経ってしまっているのだなと。この曲に今でも励まされる事が多い。
 宴酣。リクル‧マイさんが「レボリューション‧ロック」。心地よいリズムとメロディーに持って行かれて「海行かば 山行かば 踊るかばね」イントロのメロディーライン、奥野さんと大熊さんがユニゾンだったりハモったりして音が厚くなったり彩りが鮮やかになったりして、こぐれさんのチンドン太鼓で曲のうねりが激しくなった様な気がした。大きなうねりで本編は終了。

 物足りずにアンコールを求める。

 今日は流石に、中川さんが独りで出てくるという事は在らず、東京音頭を歌っていれば良いと中川さん。
 で「神頼みより安上がり」。さっきから(うっとりりする時によく出る様な)溜息しか出ない。サビの部分で少し大きな声を出してシンガロン。この時間を噛み締める様に歌って踊った。
 そして最後に、11月にLPになる名盤「ウインズ‧フェアー‧グラウンド」から「風の市」いつもより曲が賑やかで楽しい。最後に冬まで思い残す事がない様にと、さらに歌って踊った。歌うのは歌詞の部分だけでは物足らず、スルメをずっと噛んで味わう様に、メロディーラインも歌う。曲の終わりで転調する醍醐味もメロディーラインを歌う事で味わう。

 大阪、東京とハシゴ出来て良かったなと何度も思いました。

新代田FEVER

 良い東京、新代田のFEVERの夜をありがとうございました。

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