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20210903

 今日は、ソウルフラワー中川さんの夜長月の音曲渡世ひとり旅2021<京都編>を磔磔で拝見の予定。

 午前中から時間に余裕があって、どこかへ出掛けようかと思っていたのだけれど、新型コロナウイルスのデルタ株が騒がれ始めて、その感染力も半端無いとの事。こんな場合は情報が云々というよりも、より安全にという事を考えて、出来るだけ家にいた方が良いだろうと、テレビをダラダラと見ていた。クリントイーストウッドの夕陽のガンマン。西部劇がアメリカで作られる物と思っていたら、なんと、イタリア制作の映画との事。見ている途中にうつらうつらとしてしまっても、映画のストーリーは大体把握出来た。流れで、その後の六角精児さんの飲みながら鉄道で旅をするという番組も見ていると、危うく出発せねばならない時間となって、身支度をして家を出発した。

 時間に余裕があった筈なのに、いつの間にかギリギリの時間となって、今日も焦る。世間は金曜日で、そうなると電車の時間も、と思って駅に向かうと、夕方前の時間では休日も平日も変わらなかった。10分ヘッドの駅の時刻表、10分でも命取りになる時間となってしまって、自転車を停めて駅まで急いだ。

 駅の近くで目の前を電車が通過して、その種別で、各停しか停まらない、いつも利用する駅の次に停車する電車がやって来るタイミングが判る。特急電車が通過したので、次にやって来るのは各停。これは急がねばと、乗り遅れると到着するのが10分遅れてしまうと。

 息を切らせて急いだ甲斐があって、各停に乗る事が出来て先を急いだ。

 電車に乗っているといくら急いでも、電車の速度以上は無理を出来ないので、急いでも仕方が無いのだけれど、気は急ぐ。そんな風に特急電車に乗り換えて京都まで。車窓からの光景を楽しみながら。特急電車が次の駅に停まって少し違和感を感じたのは、いつもなら待っていない各駅停車が待っていて、平日の夕暮れ前、帰宅ラッシュに備えてだろうかと思うと、これからライブを楽しめるという自分がそんな流れから離れて、少し遠い所に居る様な気分も楽しかった。

 乗った特急電車はいつも通りに走って烏丸駅。降りて仏光寺通りをダッシュ。を、すると息も上がってしまいそうなので、急ぎつつ歩くという、少しピッチを上げた様なテンポで歩いて、京都磔磔。

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 到着すると、開場の時間ギリギリで俄かにお馴染みとなった、追跡ナントカの用紙に記入をして整理番号が呼ばれるのを待った。番号が呼ばれて、体温を測定して、手指の消毒を済ませて、ドリンク代を支払って入場。取り敢えず席を確保して、煙草を嗜みに外の喫煙コーナーまで。時間的にこの季節、陽が沈むまで時間があって、磔磔の入口前に設けられた喫煙所から見える東の空が何とも言えない表情をしていた。続くコロナ禍の金曜日の夕暮れ時、磔磔の中でボンヤリと時間を過ごしていると、周りの喧騒から切り離された気にもなって、それも心地良かった。

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 アルコールのオーダーが一切出来ずのコロナ禍。いつまで続くのかは判らないけれど、ライブハウスに来ると、いつも嗜んでいるアルコールを断つという機会があっても良いかも知れないと思うことにして、ノンアルコールのハイボールを頼んだりした。ノンアルコールでも一本空いて、2本目はノンアルコールのレモンサワー。酔いが回るという事は無かった。

 そうして秋も近い、金曜日の夕暮れ時を過ごして、開演時間が近くなって、お店の人からコロナ禍ならではのアナウンスが告知される。ガイドラインに沿ったライブである事で、20:00以降はイベント会場として運営されるらしく、19:50に空いた食器等は引き上げられる事と、マスクの下でも声を出さないで欲しいとの事だった。

 18:30を迎えると、中川さんが「川の無い橋」を出囃子にしてステージに。一曲目が浅川マキさんの「少年」で、この曲を聴くと長野は権堂のネオンホールに出向いた時の善光寺の夏の空を思い出す。そうして「真空の路地で人が詩になる」と続いて、MCにて今日は「命の祝い」との事で、そんな曲を何曲か。「アクアヴィテ」が平日の夕暮れ時にハマった。曲を聴くのに、平日か土日、祝日かという事が関係してくるのか分からないのだけれど、とにかく平日の夕方という事にハマった。「不屈のワイルド・チャイルド」や「川の無い橋」も同じ様な平日の夕方の感覚になった。換気のタイミングで一部が終わった。

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 外の明るさが分からないので、換気タイムに外に出てみると、すっかり陽は暮れていて、夕暮れ時に音楽でそんな気分になれて、贅沢な時間を過ごしていると思った。換気タイムに流れる、中川さんのソロアルバム、大きいスピーカーから流れて、その時の印象が「こぼれ花」に植え付けられた気がする。それが何故だか分からないけれど。

 そうして2部へと続いて、新曲が2曲続いて、一緒に歌ったり、声を出したり、笑ってはいけないという状況が、今だけであると言う事を祈りながら。前半に演奏された曲のみならず、MCも含めて、全編に「命の祝い」が漂っていたように思えた。この状況下で歌えない、というのは仕方無いにしても、笑えない、とういのはかなり厳しいものがあって、笑ってはならない状況下で面白いことを言われると、面白さが倍増して笑わずには居られないのだけれど、笑ってはならないのだ。笑いを堪えるのに苦労した。

 エレクトロ・アジール・バップから25年ということで、LPがリリーズされるとフライングの情報公開があったり。
 平日、金曜日の夜、と言う事が関係しているのか、やはり最後まで判らなかったのだけれど、磔磔という空間が、世の中から切り離されている感覚にずっとなっていて、それが心地良い夜でもあったりもした。2部と3部の間にテーブルの上に並べられた食器が下げられて、イベント会場と化した磔磔。といっても特に変わった様子は無く。からの3部。やはり中川五郎さんが訳詞をしたピート・シーガーさんの「腰まで泥まみれ」が圧巻で、その光景を頭に思い描いてみると、何とも言えない気持ちになった。

 久しぶりに聴く曲も沢山演奏されて、どんな状況下でも音楽を大きな音量で楽しめるのは良いなと思った夜でした。アンコールの「寝顔を見せて」から「この地上を愛で埋めろ」「道草節」最後の最後までグッっと来ることが多く、全編ハイライトの印象の夜でした。

 良い夜をありがとうございました。

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