見出し画像

20230708

 ソウル‧フラワー‧ユニオンの中川さんの5枚目のソロアルバム「夜汽車を貫通するメロディヤ」がリリースされるとアナウンスがあった時に、インターネットで特設サイトに行ってみると、ジャケットの写真が目に飛び込んできた。
 背景がどこやらの駅の様相。どこの駅なのだろうかと、写り込んでいる運賃表から駅の在処を探しだした。
 どうやら鳥取駅と岡山県の東津山駅を結んでいる因美線の駅のうちのひとつ、美作滝尾駅らしく、鉄道愛好家の中では戦前に建てられた木造建築の駅舎という事で人気があるらしい。
 と、同時に、映画「男はつらいよ」の最終作「寅次郎紅の花」の最初のシーンの撮影が行われたのもこの美作滝尾駅らしい。

 という事を知って、中川さんの5枚目のソロアルバム「夜汽車を貫通するメロディヤ」の初聴きの儀は美作滝尾駅で行う事がリリース前に決定した。

 6月17日に行われた、京都磔磔でのソウル‧フラワー‧ユニオンのライブで先行販売が行われて、その時に帰宅して速攻CDをターンテーブルに載せて拝聴したかったけれど、美作滝尾駅の事を思い出して心を鬼にする。

 どんな機会に美作滝尾駅に伺えば良いのか、その時機を虎視眈々と伺っていると、ソウル‧フラワー‧ユニオン、結成30周年ツアー‧夏篇を新代田FEVERで拝見した帰りに寄るのが良さそうだと思って、行程を考えてみた。
 美作と言えば岡山県という印象があって、羽田から岡山まで、マイルを利用して飛行機で向かう手段はどうだろうかと調べてみると、羽田から岡山まで向かって飛ぶのは良いけれど、その先の鉄道の移動が儘ならず、東京から夜行バス等の手段も考えてみるけれど、夜行バスに乗ろうと思うと、ライブの途中で会場を出ねばならない様な時間の出発だったので、夜行バスという手段も在らず。
 寝台特急のサンライズ瀬戸‧出雲を利用して、岡山まで向かうのも同じく。
 困ったもので、岡山から美作滝尾駅まで向かおうとすると、岡山に宿泊せねばならない位、岡山駅の周辺から先が繋がらず。
 困ったものだと、他に手段は無いかと考えていると、因美線といえば、鳥取駅から向かう手段もあった事を思い出した。
 思い出して調べてみると、羽田から鳥取まで飛行機で飛んで、その先が何とか繋がりそうであって、時刻表などを参考にすると、特急列車に乗らずとも、しかも岡山駅から向かうよりも早そうでもある。
 そうして、美作滝尾駅まで向かう事が出来るとひと安心。

 という事で、東京でライブを拝見した次の日、羽田から鳥取経由で美作滝尾駅まで向かう行程、と言っても飛行機の券の予約だけではあるけれど、ブッキングを済ませて、東京行きに臨んだ帰り道。
 6月25日の早朝、蒲田で泊まった宿のチェックアウトを済ませて、京急蒲田から羽田まで。
 コロナ禍で溜まっていた鬱憤が破裂した様な勢いの人の多さで、空港のあちらこちらは日曜日の趣。
 あちらこちらでアルコールを嗜んでいる人々が目に入ってきたので、自分もつられてアルコール等嗜みながら、朝御飯のシウマイ弁当を食べた。
 羽田から鳥取まで1時間と少し。距離に対して、移動時間の短さの代わりに失われて行くものも多いとも思いながら。
 変な葛藤も感じながら、鳥取は何かややこしい名前の空港に到着。

鳥取は鳥取砂丘コナン空港に着陸。

 飛行機を降りて、リムジンバスに乗ってJRの鳥取駅へと向かう途中、バスは路線バスとしても機能している様子で、途中、幾つかの停留所に停まって鳥取駅に到着。 鳥取。ここのところ、米子の魅力に取り憑かれて、鳥取といえば米子という印象が強かったけれど、鳥取県の県庁所在地は鳥取なのだと改めて思った。 
 バスを降りてから、列車の出発まで時間があって、辺りをウロウロする。
 食事を摂ろうと考えたりもしたけれど、朝にシウマイ弁当は重た過ぎた感じで、今ひとつその気になれず、駅の土産物屋さんで鳥取砂丘のラッキョウを買った。 暑さ故、駅から離れてという気にはなれず、列車が発車する時間迄、少し間があったけれど、列車を待つホームに向かった。 ホームに立つと、今まで走って来た列車や、これから何処かに向かう列車の往来が頻繁にあって、走る列車の本数の割には賑やかな様相を見せていた。

鳥取駅。キハ187系とキハ47系

 因美線、鳥取駅から智頭駅とそこから先、智頭駅から東津山駅までの印象がかなり違う。そんな因美線線をひとまず智頭駅まで。
 ここ迄は特急列車に乗っても良かったのだけれど、ちょうど良い時間の特急列車も在らず、各駅停車で。古い気動車が来るのかなと思っていたら、智頭急行線の車両、HOT3500が入って来て、走るのはJRの区間だけなのに、こんな事もあるのかと。

智頭急行のHOT3500。

 乗ったHOT3500は軽快にエンジンを吹かして上り勾配を智頭まで。
 智頭駅からは特急列車が走る智頭急行線と別れて、因美線を津山駅まで向かうキハ120に乗った。

 さっきのHOT3500といい、今度のキハ120といい、地域の鉄道について考えさせられる程度のお客さんの数で、もう少し利用する人が多くても良いかも知れないけれどと、考え出すと、そうなってしまった理由の元の元まで至りそうで、キリが無くなりそうなので考えるのは止めた。

 キハ120。さっきまで乗っていたHOT3500と打って変わって速度が遅い。

智頭駅にて、キハ120。

 さっきまで走っていた智頭までの因美線は、特急列車が速度を稼ぐ為に高速化工事を終えて、スムーズな走りを見せてくれたけれど、智頭駅から南の因美線は、そこから外れてしまった区間で、ある場所では速度25キロの制限が掛かったりする。
 それが逆にゆったりとした時間が流れる車内となった。山の中を縫う様に走って、一体誰がこんな場所にレールを敷こうと思ったのだろうか、という風に考えざるを得ない様な場所も走る。
 緑の深い沿線沿いを抜けて、次の駅が美作滝尾駅だという時に、山々の間を縫う様に走っていた線路の先を見てみると視界が広がって、津山の市街地もそう遠くはない場所なのだと思った。

 そうして到着した美作滝尾駅。無人駅の様子で列車を降りる時に乗務員さんに切符を渡さねばならず、切符を記念に貰っておきたかったけれど、乗務員さんの手を煩わす事になると思って、それは控えておいた。
 列車を降りて、ホームに足を下ろす。美作滝尾駅。ここが中川さんのアルバム「夜汽車を貫通するメロディヤ」のジャケ写の場所かと思うと、感慨深いものがあった。
 少し興奮気味にホームから小さな駅舎に入ると、先客が居て、それがどうやら自動車を利用してやって来ていた様子。鉄道の駅なのに自動車を利用して来るなんて、けしからんと思う気持ちもあったけれど、走る列車が上下合わせて1日10本にも満たない線区では、仕方がないのだろうと考えると、そんな気持ちも収まった。

 駅の様子を熱心にカメラに収めていた先客は去って、駅に残るは一人となった。

 ここから中川さんのアルバム「夜汽車を貫通するメロディヤ」の初聴きの儀、鑑賞会が始める事とする。本来なら大きなスピーカーのシステムを用意する位の勢いのセットを用意したかったけれど、ここは段取りしてきたiPodで。
 先行配信のOTOTOYで購入した48kHzの音源で。

 アルバムジャケットが撮影された場所でアルバムを堪能する人は居たかも知れないけれど、初聴きの儀を行う人は少ないだろうと思いながら。

 iPodの再生ボタンをタップ。「いのちの落書きで壁を包囲しよう」のイントロが流れ始めて、ギターの音に耳を傾け、やがて中川さんの声が聞こえて来た。

 少し今までのアルバムとは違って聞こえて、それはそれまでエンジニアを担っていた笹原さんが亡くなられて、原さんに交代されたという事だったけれど、こちらの音の雰囲気も良い。というアルバム初聴きの印象だった。

 美作滝尾駅。晴れ渡った空、という訳ではなかったけれど、iPodから流れる音に、耳を凝らして「夜汽車を貫通するメロディヤ」を堪能する。ライブで拝聴していたけれど、多重録音で繰り広げられる世界に、ジャケットに映し込まれた駅で没頭する。

美作滝尾駅にて。

 そうして、イヤーフォンからではあるけれど、流れて来る一曲一曲に、ライブで拝聴した時に伺った物語や、それに重なる自分の生活の中での色々な場面を重ねて、アルバムを堪能する事が出来た。

 アルバムのジャケ写の場所でアルバム初聴きの儀。

 一生忘れられない思い出になるだろうと思いながら、列車もバスも来そうに無かったので、2周目を堪能。

 調べてみるとバス停までは遠く、歩くと十数分掛かりそう。としている間にも、イヤーフォンから「夜汽車を貫通するメロディヤ」が流れて、美作滝尾駅とアルバム「夜汽車を貫通するメロディヤ」が頭の中で完全に結びついた。

 アルバムを拝聴する度に美作滝尾駅を思い出すだろうし、美作滝尾駅に頻繁に行く機会は無いけれど、赴く度に「夜汽車を貫通するメロディヤ」を思い出す。必ず。

 と、そんな勝手に思い出を詰め込んだアルバム「夜汽車を貫通するメロディヤ」がリリースされた後、最初のソロライブが、大阪は17年を迎えた(17周年おめでとうございます)ムジカ‧ジャポニカで行われるという事で伺う運びとなっていた。

 諸般の諸々を終えて、だいたいと同じ通りに時間を過ごして、気が付けば家を出発する時間となっていて、だいたいと同じく家を出発した。
 以前の様に、雨の中、商店街の中を走らなくて済む様に、ある程度の時間の余裕は持たせた。

淀川を渡る前の阪急京都線。

 今日は大丈夫。慌てずに会場に向かう事が出来た。と、ディスクユニオンに寄って予約していたTシャツ付きCDも受け取って、裏通りからムジカ‧ジャポニカ向かう。そして人の多い、阪急東通り商店街。から逃れる様に、路地裏に入る様な気持ちでビルの階段を上がって、ムジカ‧ジャポニカの前。
 会場が開場する時間まで佇む時間もまた一興と思いながら待った。

17周年おめでとうございます。

 開場して、ドリンク代を支払って中に入る、見やすい場所に腰を掛けて、ドリンクチケットをビールに交換して、開演を待つ。着席でゆっくりと出来る時間も堪能しながら。

 そして開演時間の18:00がやって来て、会場が少し暗くなって、出囃子がなんと「ハビタブル‧ゾーン」に変わっていて驚いた。で、一曲目。何だろうと思っていたらアルバム「スクリューボール‧コメディ」から「夏到来」。リリースされて間も無い時、確か夏はお盆の時期だったか。鳥取か、米子か忘れてしまったけれど、山陰の街から、臨時で仕立てられた狭い狭い深夜のバスの中で聴いていて、その時の事が突然蘇って来た。この一曲で2023年の夏が始まる。
 それから「バルカンルートの星屑」「荒れ狂う波ごしの唄」と続いて、国を追われて日本にやって来たは良いけれど、散々な目に遭って、という人々の気持ちを考えた。
 次に演奏された曲、「地下道の底で夢を見てる」を久しぶりに拝聴する様な気がした。夏と言えば終戦の日があって、それで家族が散り散りになってしまった人達の事を思う。本当に通路が延々と続く上野の地下道に行ってみた時に改めて、その頃からまだまだ地続きなのだと思った事を思い出した。
 そして「ひぐらし」と曲が続いて、高架化工事の進む阪急淡路駅周辺の事を考えた。例え阪急の淡路駅に1号線が出来る様な高架化工事が終わって、淡路駅の姿が変わっても、高架化前の淡路駅の姿は「ひぐらし」に焼き付いているだろうと思った。高架化前の淡路駅を思い出すときは「ひぐらし」を聴くことにする。
 それから、中川さんのMCのムジカ‧ジャポニカならではのローカル過ぎる話が面白かった。淡路駅手前の阪急電車から見える製パン工場やアミューズメント施設が頭に浮かんだ。
 次に健康の話となって、そんな話でも笑わせて頂いたけれど、自分の健康も気になる年齢になってしまったなと、過ぎた時間を考えた。
 健康の話から、頭脳警察のカバー「悪たれ小僧」が演奏されて、自分の健康も考えつつ、中川さんのギターストロークに頭の中でドラムのリズムを乗せた。
 それから鬼籍に入った人達の唄「風狂番外地」がほんの少しゆっくり目に演奏されて、そのリズム感が何とも。頭の中で、色々な顔が浮かんでは消えて一部が終わった。

 飲み物もビールからハイボールに変えて、二部を待った。

 「アクア‧ヴィテ」で二部の幕が開いた。曲の前のMCからの流れで、少し切なくもなりながら拝聴。何故だか、物心が付いた頃の夕暮れ時の光景が頭に過った。2010年にリリースされたマキシ、シングルに収められていたモノ‧ミックスが聴きたくなった(アナログの7インチ盤で)。
 それから「イチヌケタの声が聞こえる」美作滝尾駅を思い出しながら。CDがリリースされてからも、上手く言えないけれど、ライブで演奏されるテイクも磨きがかけられているのでは無いかと思った。
 中川さんのMCで一気に有名になってしまった膳所の話がまた腹を抱えて笑ってしまって、お姉さんの話の時に、何故だか教習所のガングロの女の子の話を思い出してしまった。
 新しいアルバムからの曲が続いて「生きる」から「アリラン」「満月の夕」。神戸の街は、何も無かった様な様相になっているけれど、震災後に伺った、鷹取の団地の夏祭りの舞台の向こう側に、だだ広い土地があって、それが鷹取工場の跡地だと言う事に気が付いて、学生の頃に何やら機械の配送のアルバイトで行った事があって、云々という光景も記憶にしか無いのかと思った。
 からジョン‧レノンのカバー「クライ‧ベイビー‧クライ」から、二部の最後はメロディーラインが印象深い「風街ちの港」でグッと来た。

 何度も書くけれど、もう終わってしまうのかと思うと、二部と三部の間の休憩が少し切ない。始まりがあれば終わりがあるものと頭では理解しつつも、少し寂しい気持ちにもなるけれど、そうなると三部を思い切り堪能するより他は無さそうだと思った。

 三部の幕開けは、「豊穣なる闇のバラッド」からの夏の曲「あの夏とあの河とあなたの声」こんな夏の切り取り方もあるのかと、太平洋戦争が終わって78年の初夏にそんな事を思った。
 それから「栄光は少年を知らない」と続くと、さっきの気持ちに拍車が掛かった。 
 「石畳の下には砂浜がある」と続くと、ここでも色々な顔が浮かんでは消えた。あの人はまだあの場所に居るだろうか、とか、去年の夏に暑そうに佇んでいた、あの人は無事に冬を越しただろうか、とか。音源になる前から何度となく頭の中で繰り返されていた何曲かのうちの一曲でもあって、音源化が嬉しい一曲でもあった。
 本編の最後は「いのちの落書きで壁を包囲しよう」。何気ない夕暮れ時に、空を見上げると頭の中に流れ出して、色々な記憶の引き出しが開いて、この世の中に居ないと分かっていても「今頃、どうしているだろうか」とか「元気にやっているだろうか」とか思う様にしていて、その時のBGM。拝聴しているとやはり、記憶の引き出しが開いた。

 このまま終わってしまうのは少し寂しいと思って、求めるアンコール。応じて頂いて、ソウル‧フラワー‧ユニオンからのカバー、生命の祝いの曲。「ホライズン‧マーチ」MCから曲の奥の深さを感じながら。それから「地下鉄道の少年」と続いて、ボーナス‧トラック。PANTAさんとのクラブ‧クワトロのエピソードが披露されて「もっともそうな2人の沸点」で宴も酣。最後の「ピープル‧ゲット‧レディ」で智頭駅から美作滝尾までのったキハ120のディーゼルのハミングを思い出した。

 2023年の夏がこの日から始まりました。

 今日も良い夜をありがとうございました。また伺います。

また、伺います。

<追伸>
投稿が遅くなってすみません。
ボーナストラック的に写真を数枚アップしてみました。
よろしくお願いします。
こちらも良ければ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?