人間が嫌いということ

私の口癖の一つに「人間が嫌い」がある。

しかしもうちょっと具体的に嫌ったほうが言われた方もわかりやすいかなと考えて、この「人間」を言い換えられないか色々と挑戦した。候補としては「他人」「社会」「人類」を挙げたし、なんなら「人間関係」「人間生活」などというキッチュな代案も考えた。

でも、どれも違う。「人間が嫌い」という表現は、それ以上でも以下でもないので、代わりがない。

とはいえ自己分析が大好きな私にとって答えがないのは苦行に等しいし、自分なりに「人間が嫌い」という感覚を特定したい欲がある。で、私はこれを口癖のように言っているので友人たちはアハハと笑いながら聞き流してくれるわけだが、一度だけ核心に迫る答えが返ってきた。それが「うしみつさん一気に神めいてきたね」だ。

神めいてきた。私はその時、これだ!と思ったので(実際その時はそういう感情だったのだろう)それに対して「そう!私は神だからね!しもじもの人たちとは付き合えないね!」と、そんなふうに返した気がする。(道化稼業で忙しい自分なりの面白い返答だったと思うし、(笑)と返ってきた気がするのでヨシ)

でも、今こうして冷静に考えてみるとしっくりこないのだ。本当にうしみつさんは神めいてきたのだろうか?というのも、最近、斎藤環先生の著書を何冊か読んだのだが、氏の「自己愛はある(プライドは高い)のに自分に自信がない」という特定の状態に自分は当てはまるので、つまり私は「自分が誰よりもクソであることに関してはとても自信がある」という超面倒臭い人間なのだ。断じて自分を神だとは思っていない。むしろジャバザハットだと思っているし。

話は変わるが私は氷河期世代とゆとり世代の間に生まれた「プレッシャー世代」だ。馴染みがないかもしれないので是非覚えていってほしい。私たちは阪神大震災、サリン事件、サカキバラ事件、同時多発テロ、リーマンショック、2000年問題、そして東日本大震災を10代から20代にかけて経験したのにゆとり世代と氷河期世代に注目を奪われた影の薄い可哀想な世代です。

そうです。自虐的なんです。

思えば自分がなぜ同世代とうまくいかないのかと言うと、みんなもれなく自虐的だから。同じ世代の人たちは、ことあるごとに自分をこき下ろすので忙しい。もちろん自分も例外ではなく、息をするように自分を貶すので、むしろそれがニュートラルポジションというか自分がクソであることに安心するしている始末である。マジで自分がもう一人いなくてよかったね。絶対嫌いになるよね。

つまり自分自身も嫌いなのであって「人間が嫌い」という表現にはもれなく自分も含まれているのだ。

思い出してほしい。ここで聖書の話をするが、自分の分身として人間を生み出した神(ヤハウェ)がアダムとイヴのためにせっかく何の不自由なく生活できる理想郷を作ってくれたのに、その二人の始祖がたぶらかされて知恵の実を食べたせいで人間は原罪を背負っているわけで、すなわち人間はルーツからして嘘つきで、不真面目で、利己的で、我欲が強く、すぐ面倒を起こし、お互いの足を引っ張り続けているのだ。本当にクソだね。でも自分も人間なんだよね。だから死にたいし、みんなも死んでほしいし、世界なんて滅びてほしいし、独裁スイッチが欲しいって毎日願ってるよね。

だから私のいう「人間が嫌い」はそれ以上でもそれ以下でもないのだ。自分も他人も含めて、過去も未来も現在も含めて、全人種・全人類へのヘイトがあるのだから。

書いてみてしみじみと思ったが、やっぱ人間ってクソだわ。