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幻冬舎・箕輪厚介氏の出版業界ハッキングは悪なのか

新たな芸能界ゴシックに人々の興味が移行し話が一周した気配もあり、個人的に思う部分をまとめておければと思います。

諸々の記事一覧は以下に。

セクハラ・パワハラはダメだよね。謝罪もそこを曖昧にしているのは良くないね。未払いの大元にある業界の慣習については、「うーん、良くないですよね(苦笑)」ってかんじですが、今回はこの記事にあった、箕輪氏が敏腕とされた元にある出版ハックについて主に考えていきます。

部数こそが正義か

件の記事の要点は以下の部分でしょうか。記事から抜粋します。

なにが天才的かというお話でしたね。簡単に言うと、1.著者の稼働ナシで本を作るシステムと、2.これら著者の褒め合いによって読者を誘導し、一種の読者層を作った。さらに、3.読者層を組織してネットでの購買運動を作り、販売前にランキングをジャックした。4.幻冬舎のイマドキ珍しいイケイケの販売方針により、大量に印刷して、配本制度とそれにともなう歩戻しを積んでチェーン系書店に本を積み上げ「売れている本」の体裁を演出した。これにより、「売れている本だから売れる」という循環にもっていったということにあるのではないでしょうか。

この販促手法について、虚像であるとか信者ビジネスである、倫理観を捨てた市場へのフリーライドである、ハッキング(技術)でなくクラッキング(不正)だといった指摘は誠にそのとおりだと思います。

その一方、部数や売上が重要であるのもまた確かです。

マーケティングやハッキングにうつつを抜かさず「イイ本」を作れば良いと言いながら、1万部にも届かない本が多数出版されているのもまた事実でしょう。大きなジレンマです。

4つのハッキング手法のうち、個人的にスゴいと感じたのは「4.幻冬舎のイマドキ珍しいイケイケの販売方針により、大量に印刷」の部分です。

僕は出版業界の関係者ではないので人づての話ではありますが、昨今多くの出版社が増刷に慎重であるとはたしかによく聞きます。

あわせてベストセラーが生まれた逸話を聞くと、「そこで社長が、"この売れ行きならいける…!一気に刷れ!"と大勝負をかけた結果のベストセラーだったんだよ。」といった話がよく出てきます。

社長(あるいは編集長)のお眼鏡に適うとこまで持っていくのが、どんな業界であれ当たり前の話ではありますが大切なのでしょう。

若手編集者の箕輪氏がそこまでのお膳立てを出来ているのが、虚像であれ天才・敏腕とされるゆえんなのかと思います。

別の視点として、仮に著者の立場で考えるのであれば、編集者が「売る」ことにそこまで力を割いてくれるのは非常に嬉しいはずです。

当然、見合った中身あってのことですが。

売るのは誰の仕事か

そんな中、今回の騒動で気になった発言の1つが「出版人の(ヒット作を出し続ける俺への)嫉妬だよね。」の部分です。どう気になったかの内訳は大きく分けると以下の2点。

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1.ベースとなる出版文化に対して失礼では
2.嫉妬でしょ発言に冷笑で返すだけなら、それもまた微妙
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1.ベースとなる出版文化に対して失礼では

先に書いたとおり、出版社も営利企業である以上、売れる本を作るのはたしかに重要です。

一方で、市場規模やテーマ的にベストセラーにならないことはわかってるけど、世の中に必要な本を広めるのも出版社の大切な仕事だと思います。

その仕事は、短期的な視野だけで見れば大した売上にこそならないかもしれません。しかし、そんな知を広める活動こそが今の出版業界全体の信用に繋がっています。

その文化を土台とした市場があるからこその箕輪氏の本のヒットですし、嫉妬だ発言はそんな脈々と受け継がれた文化をないがしろにしてると捉えられてもおかしくありません。

2.嫉妬でしょ発言に冷笑で返すだけなら、それもまた微妙

って話が大人の世界でウケる発言ではありますが、仮に出版人が「え?嫉妬なんてしてるわけないでしょ。あんな恥ずかしい売り方できませんって(笑)」と言っているならそれもまた恥ずかしいと思います。(実在する編集者さんはもっと大人なはず)

ハッキングだマーケティングだと言ってないで、中身にこだわった「イイ本」を作るのが大切なんだよって考えは原則として正しいと思いますが、実情として最近のSNSでよく見る光景は著者さん自身による本の販促活動です。

その背景では、著者が率先して自ら宣伝しよう!と意気込んでる場合もあると思いますが、同時に出版サイドが著者のフォロワー数に期待し、「発売日が決定したらツイートしてください。感想ツイートをどんどんRTするのも大切ですよ。」とも催促していることでしょう。

マーケティングするのはダサいけど、著者自身のネット販促活動が大切と言うなら、それはダブルスタンダードですし、何より著者側だけに販促の負担を持たせているのはズルいと感情的には思ってしまいます。著者の印税率も変わらなそうですし。

そんな昨今の流れはカッチョよくいえば、著者のセルフプロデュースの時代ってやつなんでしょうか。

SNSが広まった現代の戦略として正しいでしょうし、ちょうどクラック(不正)でなくハック(技術)と呼べるバランスの良い落としどころです。

ですがそのハックを肯定するなら、箕輪氏みたいな売り方は美しくないと冷笑しネットでの販促活動全般を全否定するのは正しいと思えません。

美しくなかったとしても、自身もネット販促の負担を持ち著者をフォローする関係を作れた箕輪氏だからこそ、多くの著者が彼を自身の担当として選択したのでしょう。

そんな経済的・数字的な打算でしか選択ができない著者もまたわかっていない、といった批判にもなると思いますが、そこからはループする議論になるだけですね。

文化こそ正義、数字こそ正義ではなく、両方が出版の役割かつ責任かと思います。

そのバランスや流儀の違いがあって、あのやり方は好きじゃないって話は当然ありますが、文化も数字も肯定していきたいですね。

no more!パワハラセクハラ!

私的後日談

そして続編。


最後までご覧いただきありがとうございました🙇🙇