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早起きは誰のものでもないんだった。

早起き定着を通して、自分の人生を見つめ直すプログラム"朝渋KNOCK"の2期が今日卒業式を迎えた。今年の1月から始まったプログラムはあっという間に3ヶ月という月日が経っていた。外出自粛の例に従い、卒業式はオンライン開催だったけれど、まずは無事みんなで卒業式を迎えられたことが嬉しい。

みんなとは言ったけれど、本当の意味でみんなではない。一緒に卒業式を迎えたかったけれど、迎えられなかった人もいる。僕が朝渋KNOCK2期を過ごした3ヶ月で一番残して置きたいことは、”僕が変えられるのは、僕だけ。”ということ。

早起きは手段であって、目的ではない。

僕は5時に起きる。それは去年の10月から始めてもうすぐ半年になる。なぜ5時に起きるようになったかというと何時に起きるか決める時に4時40分に起きる人がいたから、なんとなく引っ張られてキリ良く5時にしようと決めた。ただそれだけの理由で僕の5時起き生活は始まった。特に何がしたいもなく、5時に起きると自分と約束したことをひたすらに守り続けてきた。守り続けると、周りからは"5時起きすごいね。"とか"早起きできて尊敬する。"と言った言葉を掛けられるようになった。嬉しい気持ちもありながら、5時起きというレッテルが貼られてると思うと、縛られている感覚になる。"テストでいい点数を取る"というレッテルを貼られる人はいい点を取り続けないといけない気がするし、"優しい"というレッテルを貼られてる人は優しくあり続けないといけない気がしてくる。なぜだかわからないけどレッテルを剥がされるのが恐い。だから僕の朝は5時に起きること自体が目的になった。今思うと、ランニングも日記も勉強もやっていていいなと思うけれど、本当に早起きしてまでやりたいかと言うとそこまでではなかった気がする。結局のところ、朝の時間を埋めるためにやっていたのかもしれない。

だから、"なんのために早起きするの?"と聞かれたら、その回答は"起きると決めたから"で終わってしまっていた。

この3ヶ月は色々な人の朝を眺めることができた。早起きにも慣れてきて周りを見る余裕が出きた。"痩せるためにジムに行く"、"将来のために勉強をする"、"ロールモデルになるために生活リズムを整える"、"新社会人への準備のために早起き習慣を身につける"。だから、みんな早起きをする。〇〇のために△△する、の〇〇がみんなはっきりしている。所謂、目的と言われるもの。そしてその手段として早起きがあった。

時間の余裕は心の余裕だと知った。

今年の2月から3月中旬くらいまで僕は軽い鬱のような症状になった。誰とも会いたくないし、誰とも話したくないと思っていた。当時はtaskをたくさん抱えており、早起きした朝の時間もtaskを消化する時間になっていた。やってもやっても減らず、期限が近づくと依頼者からのリマインドがやってくる。睡眠時間も1日3時間の日が続いた。体力も気持ちも消耗しており、心の余裕が無くなった。その時に感じたのは、生活の中で時間に余裕を持つことは心の余裕に繋がるということ。早起きして、自分と向き合う時間を持っていたころは心に余裕があった。毎日2時間という時間を自分の好きなことをして過ごす。ゆっくり日記を書いたり、時には何もしなかったり。そんな時間の余裕が僕の心の余裕に繋がっていたのだと知った。早起きが目的になっていたけれど、それが無意識に心の余裕に繋がっていたのだと知った。それからは、どんなに忙しい時でも朝の時間はなるべく自分の好きなことをやる時間にするようにした。そうしたことで徐々に心の余裕が生まれ、僕は変わることができた。

相手のことは変えられないと知った。

"相手のことは変えられないから、自分が変わるしかない。"とよく耳にする。相手の人生の選択をするのは相手であって、自分は相手の人生を生きられない。だからできることは選択のヒントを与えてあげることだけであって、選択はできない。理屈ではわかっていてもなかなか腹落ちできなかったこの言葉。

朝の充実は人それぞれ定義が異なる。それは、"早く起きる"という人もいれば、"朝ごはんを作る"という人もいる。"ジムで体を鍛える"って人もいる。10人いたら10通りの定義があるのに、みんなと同じことをするのが正解と僕は押し付けてしまった。自分が縛られていたレッテルをいつの間にか他人にも貼ってしまうようになっていた。これは本当に反省した。そして僕はこれを機に”こうあるべきだ”という考えを一切捨てることができた。

僕が変えられるのは、結局僕だけ。

この3ヶ月の朝渋KNOCK2期の経験を経て、僕は早起きの目的を見つけた。それは、"人生を楽しくするために心の余裕を持つ"こと。だから僕は5時に起きる。今は、ランニング、日記、習字、料理をモーニングルーティンとしている。このルーティンが終わると僕の1日は気持ちよく迎えられる。こうやって、少しずつ少しずつたくさんの発見と挑戦と失敗を重ねて、僕は変われてこれた気がする。

だから僕がそうだったように、誰しもが自分を変えられるのは自分だけなんだと思う。発見も挑戦も失敗も全てが必要な要素であって、無駄な要素ではない。環境や仲間はそれを支えてくれるものであって、叶えてくれるものではなく、最後の最後は自分で決めて行動していくしかないのかもしれない。だからこそ、早起きは誰のものでもなく、自分だけの特別なもの。

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