青天の霹靂
電車に乗って、たくさんの人をかきわけて、1時間以上かけて辿り着く新宿の会社。9時。始業。仕事中も隣には同僚がいて、すれ違いざまには挨拶をして、考え事をしてたら忘れたり。たまに一緒にランチに行って、エレベーターで一緒になると小話をして、帰りが一緒になると駅まで「最近どう?」って話し合いながら、おわかれをする。おつかれさま。電車には仕事終わりのサラリーマン、遊び帰りの若者。なんかわからない人。これが当たり前で、5年間染み付いた習慣。
ただの日常でも登場人物ってこんなにいるものなのか。と思った。
そして。
朝の通勤電車。都会の人混み。集中している時に声をかけられること。仕事で体力出し切ったあとの帰路。考えてみると少し嫌だなと思うことを頑張っていたんだなと思う。頑張っている意識はないけど。よくやった。
ふりかえると。
4月から始まった在宅ワークも2ヶ月が経つ。もう少し在宅ワークは続くけど、区切りとしては今なんだと思う。緊急事態宣言解除前と後では気持ち的に全然違う。
習慣として行ってきた少し嫌だなから解放された一方で、登場人物が限りなく0に近い日常は、退屈でもあった。
そのまた一方で。
限りなく0に近いけど、0ではない人たちとの接点がすごく心強かった。同僚とやっていたオンラインランチ。会社のMTG。オンラインなにがし。
必要最小限の登場人物と最大限の関わりで乗りきれた2ヶ月だった。
なかでも。
週に2〜3回の7:30から9:00でやっていたオンライン作業会は、この自粛期間を楽しみに変えてくれるイベントだった。3人でやっていて、各々が決めたことをやる1時間。そして、やったことを最後にアウトプットする。勉強系YouTubeを観たり、勉強したり、自己理解に向けて自分と向き合ったり、瞑想したり。
この時間が楽しみで、この時間が有意義で、自粛期間は我慢する期間ではなく、蓄積する期間になった。
起る事象はなかなか変えられないけど、起こった事象に対してどう反応するかは自分で決められる。
攻めるために過ごしてきた人も、守るために過ごしてきた人も、どれも自分で決めてきた答えで、自分で決めてきたリアクション。どれも正しくて、どれも尊い。
これからは。
オンラインもオフラインもごちゃごちゃの日常。朝の通勤が嫌だなと思って在宅に切り替える人がいて、それでも切り替えられない人もいて。ネットで買い物する人が増えても、店舗で待っている店員さんはいて、店舗にいけば店員さんと話せる。
日常のなかで各々が登場人物を選べるようになったら、他の人の日常には入れなくなるかもしれない。
それでも。
必要最小限の登場人物と最大限の関わりがあればなんとかやっていける。
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