下ネタとミニブタ

ミニブタを飼っている人に会うと、微妙な気分になる。実家に住んでいたころ、近所にミニブタを飼っている家があって、庭に柵をつくって放牧しているのを見たことがある。黒くてコロコロしたシルエットを見て、「かわいいね」と、母の運転する車の後部座席に乗りながら話した。後に聞いた話だが、その人はミニブタをとても可愛がっていて、そのせいか餌をやりすぎて、ふつうのブタと同じサイズにしてしまい、困っていたらしい。

なんとなくなのだが、対面している男性に下ネタを言われると、自分がミニブタを飼っているような気がしてくる。

私は犬や猫を飼ったことがないので、ペットという文化に、そもそもなじみがないのだけど、犬や猫を飼いたいというきもちはまあ理解できる。でもブタや牛やニワトリに名前をつけて飼いたいというきもちがわからない。抵抗がある。肉牛の鳴き声を思い出すのだ。私の母方の祖父母は畜産をしていて、離れに牛舎を持っていた。小さな頃、「うしさんを見に行こうね」と母に手を引かれ、その薄暗い牛舎の中に並ぶ、たくさんの牛のお尻を見て、ぞっとしたのを覚えている。公園でいっしょに遊んだ鯉や馬やあひる達とは違う。それらはみんな、食べるために集められた動物たちなのだった。もぁーもぁーという鳴き声も生々しく、まさにこの世の終わりといった風情だった。彼らに名前はなく、そのすべてはナンバープレートで管理されていた。私にはできなかった。その牛たちを可愛いと思うことが、できなかった。

別にあの人たちは、ミニブタを食べるために飼っていたわけじゃない。でも、ミニブタを飼い始めてから、豚肉を食べることができたのだろうかと心配になってしまう。私達が豚肉を食べることを、どう思っていたのだろうか。スーパーに行けば、ブタと牛とニワトリの肉が当たり前にパックされて並んでいる。それを悪く言う人はいない。私も食べるし、おいしいなあと思う。でも、あの人たちは?

夜のバラエティで、水色と白のワンピースを着たアナウンサーに、芸人が下ネタを言っている様子を見ていると、なんだかなと思う。最初は、女性も本当はみんなそういうやりとりが好きで、楽しいのかなと思っていた。私はそんなの苦手だけど、自分が過敏なだけで、問題なんか何も起きてないんだと。今でもそう思いたい気持ちがある。実際、性に開放的でありたい人もいるだろう。それはそれでいい。でも私には、ミニブタを飼っている人の前で、わざわざ豚肉をどう食べたらおいしいのか、話している人のように見えてしまうときがあるのだ。豚肉は日本中の人がほとんど食べているのに対し、ミニブタを飼っている人はごく少数だ。だから誰も、あのお姉さんがミニブタを飼っていることを想定して話したりなんかしない。でも、あのお姉さんがもし、ミニブタを飼っていたとしたら? 大変だ。ミニブタを飼っている人の前で、どの部位がおいしいとか、あそこの焼き肉屋は安いとか、どれくらい食べたかとか、そんな話をしても、喜んでもらえるわけないのに。ましてや、お姉さんが意を決して「実はミニブタを飼っていて……」と切り出したあとに、「へえ、可愛いんだろうなあ、見てみたいなあ! あっ、食べたりしませんよ(笑)」と芸人さんが無邪気に切り返しでもしたらどうする。とても見ていられない。だるすぎる。誰も悪くないのに! 誰も悪くないのに。ミニブタを飼うことも、豚肉を食べることも、そのどちらかを選んで楽しむことも、誰も禁じてなんかいないのに、ある条件が揃うと、無邪気な笑いが暴力に見えてしまう。ミニブタを憎み人を憎まずというのがこの場合の最善策かもしれないが、ミニブタは何も悪くない。少なくとも、ペットと食事と妄想のなかでは、妄想がいちばん体に悪い。

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