finalfantasyVII intergrade 12章まで

ストーリの長い作品でまだ途中だが、文字にして整理していおきたいと思いここに至る(現在12章終わり)

新羅カンパニーとアバランチの2つの組織の衝突が激化し、アバランチ側はプレート落下により仲間も失う大きな被害を受けた。

様々な問題に対して勿論対話ができたらいいが、それは互いに寄り添い受け入れる思想がなければならないので片方だけでは破綻する。
逆に対話する手段を取らなかった(取れなかった)時代に犠牲が多すぎたが故に自然と人々が求めて生まれたので対話であり時代的な変化と言える。
今回の場合は勿論対話ができない。前提として人は阿片窟なので成立しないことが普通である。

新羅カンパニーとアバランチの関係性から、このプレート落下事件について考えてみる。新羅カンパニーは魔晄エネルギーにより人々のインフラを築き生活を便利豊かしていると同時に人々はそれに依存している。そしてそれがライフストリームから吸い取っていることを認識しながらも見て見ぬふりをしながら暮らしている。それに対しておかしい!と言っているのがアバランチ(とはいえその活動は魔晄炉爆破というテロ行為)。この活動するに至った背景は先述した人々が見て見ぬふりをしていることや、愛する人を魔晄によって失ったことによるフラストレーションの限界など様々あるが何より大きい要因が’’立場が弱すぎる’’ことがこのようなことを招く。大事なことは魔晄炉爆破をするテロ行為はアバランチから生まれたものではないということ。そうせざる得なかった立場の格差が生んだものと言える。なのでこの作品から受け取ったものは’’立場が強いもの’’が弱いものに寄り添うことが重要であることと’’立場が弱いもの’’は立場を地道に築いていく必要がある(が、限界があるし大体は限界に到達して作品のようになる)。なので、クラウドがそうだったように環境を変えることが大事であると同時に対峙することも大事である。それは興味があることだから。

’’立場が強いもの’’が弱いものに寄り添うことに補足
寄り添うのは尊い命が失われるからという文脈でなく、寄り添うことで人々がより良い豊かな暮らしを築いていけるからである。この豊かな暮らしというのは非常に難しいことで先述した通り人は阿片窟の欲望を孕んでいる。
この欲望とともに利他的共生をしていかないといけないというわけである。

以上

じゃあどのように寄り添うのかっていうのは感情を抜きにして批判性を汲み取るいことが大事になってきますが、またいつか文字にします。








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