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再びの妊婦日記。6/21~2年前の出産を振り返る~

今週2歳になる息子。

…2歳!?まだこんなにラブリーな赤ちゃんなのにもう2歳!?

と、日々驚いています。月日早いわー。


良い機会なので、息子の生まれた日のことを振り返っておこうかと思います。
秋には2人目も生まれることだし、自分のためにも思い出しておこう。


あれは2年前のこと。

予定日を1週間ほど過ぎた土曜日の午前中。
何度目かの超激痛・内診グリグリも終えて、お医者さんとお話。
これ以上遅くなると大変だから、週明けの月曜日から入院して陣痛促進剤入れましょうね~。ということに決まり、
陣痛促進剤…痛いとウワサのあれか…いよいよやるのか…
と、ビビりながら病院を後にしました。普通に自分で運転して帰ってきた。

月曜日から入院ならもういいか~と、その日まで真面目に続けてきた散歩ももうせずに、だらだらと過ごした。
その日は同居してる義両親が親戚の結婚式に行っていて、旦那さんはその送り迎えに出掛けていたと思う。
で、みんな帰ってきてから式の写真を見たりしながら夕ご飯を食べて、月曜日から入院です~なんて話もして、まったり解散。
私と旦那さんは部屋でテレビ版ドキュメンタルを見てた。ファーストサマーウイカとか神田アナとかが出てた気がする。
地上波だとやっぱり制限があるよね~笑 なんて話ながら。

で、見てる途中から、なんとなく腹痛がしだして。
なんか悪いものでも食べたかしら?くらいの痛みで、何度かトイレにも行く。でも何も出ない。
これってもしかして陣痛?と思って、こっそり陣痛カウンターアプリで記録を始める。
すると、間隔が15分とかでまばらだけど、たぶんこれが陣痛だ!って確信を持つ。
このタイミングで旦那さんにも報告。え!?陣痛来てたの!と驚かれる笑
それくらい、まだ全然耐えれる痛み。

その後もなんとなーく陣痛は続き、もうちょっと様子みて、明日の朝にでも病院に電話してみよう!と決めてとりあえず寝ることに。
はじめのうちはやっぱり痛くて、いろいろ体勢を変えたり呻いたりしながら耐えてたんだけど
途中から痛みが引いたのか眠気が勝ったのか…陣痛カウンターの記録も途絶える。普通に2時間とか寝れちゃったり。

で、次の日、日曜日の朝。
たぶん10分~15分間隔とかだったのかな。病院に電話。
まだまだかかると思うので、とりあえずお家で過ごしてください~と言われたのでとりあえず待機。
痛みは来てるんだけどご飯も食べれた。
あとYouTubeで見た陣痛の痛みを逃がす方法がめちゃくちゃ自分に合ってたみたいで、そのおかげでかなり余裕で過ごせた。
痛いんだけどね。今思えば余裕あったなって。当時はそりゃ痛かったですよ!

↓この動画です。2人目の時も必ずまたやる!


で、そんなこんなしてたら昼頃には陣痛がちょっと引いちゃって…間隔もまた開くようになりました。
昼ごはん食べて、NHKでやってたボルダリングの大会を旦那さんとテレビで見ながらお昼寝してた。
旦那さんもこの間に出掛けたりしてたんじゃなかったかな?そんなエアポケットみたいな時間が発生してました。

え…このまま結局産まれないのか?なんて想いもよぎりつつ、日が暮れるにつれて再び強くなる陣痛。
ここで10分間隔を切る。いや、実際はまだ切ったり切らなかったり…。
でもちょっと嘘ついて病院に再び電話。だって早く産んじゃいたいじゃん実際痛いし。
しかし電話の向こうで嘘がばれたのか笑 まだ余裕そうなのでもう少しゆっくり来てください~と言われてまた自宅待機。
この時点で夜の7時過ぎとかかな?
晩ごはんもしっかり食べてたぶんシャワーも浴びた。

え~、夜中に破水とかしたらどうしよう…ってか痛い。何が痛いって痛みが来る毎に旦那さんに思いっきりグーで押してもらってるおしりが超痛い…。
陣痛の痛みを思い出そうとしても、今となってはおしりが痛かったことしか思い出せない笑
いや、ずっと着いててくれた旦那さんには感謝ですけどね。
でもマジで、出産前におしり割れるくらい痛かった…。

そんなこんなで、病院からの言い付けを律儀に守り、陣痛の間隔はなかなか狭まらないまま、朝を迎えました。
入院予定だった月曜日の朝です。
朝6時過ぎた時点ではまだ5分間隔切ってなかったと思う。

入院予定は8時半から。でももうおしりとか!いろいろ痛すぎたので、泣きつくように病院に電話。
そこでやっと来院許可が!朝ごはん食べてもう1回シャワー浴びてから来てくださいね~と言われて、これも律儀に守る。
でもシャワー浴びてから行って大正解。この日はお風呂に入れませんでしたから。

病院までの10分足らずの車内でも襲ってくる陣痛。ひたすら深呼吸で耐える。
病院に着いたのは結局8時ちょっと前。
コロナ禍だったので、旦那さんとは入り口でお別れです。でも挨拶してる余裕も最早無し!

入院中過ごす個室に通され、病院着に着替える。なんかいろいろ、モニター?とか付けられる。
そしてそのまま部屋で1人陣痛に耐える!
個人病院だからなのか、いわゆる陣痛室は無くて、個室で陣痛中は過ごして、いよいよのタイミングで分娩室に移るようでした。
病室だからテレビもある。助産師さんがつけていってくれたスッキリをそのまま見る。
陣痛→加藤さん→陣痛→加藤さん→陣痛…みたいな。
1時間くらい経ったのかな?クイズっスのコーナーが始まって、今度は陣痛→山ちゃん→陣痛→山ちゃん笑

で、何度目かの山ちゃんのタイミングで、いよいよ分娩室へ呼ばれる。

この時点でずっと痛すぎたので、もう陣痛の間隔計ってなかったんだけど、それを助産師さんに軽く怒られる笑  計っててくださいよー笑 みたいな。
でもだって痛てぇのよ泣

分娩室入ってからは早かった。
いきんでみてーって言われて1回目のいきみ。
え、無理じゃん。こんなの出てこないでしょ!?と頭が拒否反応を出した。
この穴からこのサイズ無理でしょって、ここへ来て突然シャッターが降りたような感覚。
やばい、どうしようどうしよう。そうこうしてるうちに再びの陣痛の波。

もう、これで出そう。産もう。突然覚悟が決まった。本当不思議。
目は開ける。おへそを見る。声は出さない。助産師さんの言い付けは全て守った。
あとツイッターで見た、いきむ時はサンシャイン池崎!っていうのが大変参考になりました。私は池崎。

そしたら、あっという間にお産が進んで
お医者さんも助産師さんもびっくりしてるのが股越しに見えた笑
いいよ!あとちょっとだよ!でも赤ちゃん少し苦しそうだからちょっとだけ手伝おうか!
と、急ぎで吸引分娩の準備も始まる。
(このタイミングだったと思うけど、違ったかな。もう記憶が曖昧)

で、もう1度いきむ。なんか出たか。

一呼吸置いて聞こえる産声。

お、
終わったーーーー!

すいません、感動とかより、痛いの終わった!が最初の感想でした笑
(その後の胎盤出すのも会陰縫合もまた地味に痛かったんだけどね)

分娩室入ってから産まれるまでは30分強だったと思います。10時過ぎに入って11時まえに産まれました。

入院中もいろんな助産師さんに、すごい静かでスピーディーなお産だったらしいね と言われるくらいには珍しいタイプだったようです。
声出すとお産進まないって言われたから頑張って耐えてただけだったんだが…とにかく早く終わらせたかった笑

分娩室での待機の後、自分で歩いてトイレも行けたし、なんなら歩いて病室まで帰れたし
遅めのお昼ごはん(ビーフシチュー。おいしかった)も完食したし。
かなり元気な産後だったと思います。散歩頑張ってたからかな♪毎日1時間は歩いてたからなっ。

産まれたばかりの息子はふにゃふにゃで、小さくて
触るのも躊躇われるくらいか弱くて、いざ目の前にすると不思議な感じでした。さっきまで同じ体にいたのにね。
愛しさより、初めてのことで使命感のほうが強かったかも。私が育てなきゃって。

そして怒涛の新生児育児がはじまったわけですね。懐かしいね。


あのふにゃふにゃだった子がもう2歳。
自分の足で走り、転び、また自分の力で起き上がっては走って行きます。
大きくなったね。


ずいぶん長くだらだらと書いてしまいました。
だらだら書き過ぎて上手い締め方も思い浮かばないのでこの辺で~。






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