ありがとうと、追悼を。

こんばんは。
7月15日は吉田直先生の16回忌でした。

唐突ですが、わたしはトリニティ・ブラッド、ラグナロクを始めとした当時のザスニで子供時代が形成されていると言っても過言ではありません。そのあとは少年ジャンプで形成されていくんですけど、完全に読むものが逆行していっている感じがありますね!だからいつまでも頭の中が青少年なんだな!

トリニティ・ブラッド、当時はめちゃくちゃ好きで。
THORES柴本先生の美しい絵と吉田直先生の重厚な世界観、当時のわたしには到底理解しきれるものでは無かったと思うのですが、子供の好きの基準なんて「きれいな絵」と「今まで自分の中に無かった世界観」それだけで十分だったんですよ。実のところ、あんまり話の内容は覚えていません。
当時はめちゃくちゃ読んでた筈なんですけどね、結構そういうのありませんか?当時は全巻読んでた筈なのになぜか結末だけ忘れちゃってる話とか、教科書みたいなもんですかね。履修したくせに中身ほとんど覚えていません。

それとは逆に、なぜか他の話は忘れてるくせにやたらこの話だけ覚えてる、なんて話もあります。でもそれって別にその話の方が優れているとか好きだったとかそういうことじゃなくて、子供の頃の記憶が大人になるにつれてちょっとずつ瓦解してるだけなんだと思います。
わたしは話の内容の詳細は忘れていても、キャラクターの名前や外見、建物の名前とか風景は覚えています。たぶん目で見たものを覚えるタイプの子供だったんだな、と今では思います。耳で覚える方もいるでしょうし、そのあたりは人それぞれですよね。友達と話したから覚えてる、とか絵を描いたことがあるから覚えてるっていうのもあるかもしれません。

Twitterで、15日に吉田直先生の話題が出てたんですよ。
でも当時連載されていた頃、Twitterなんてなかったじゃないですか。mixiとかからなのかな?ちょっとよく分かんないんですけど、SNSという文化がほとんど無かった。だから、好きなものを好きな人で語り合うっていうのは作家さんのHPに併設されてるチャットルームとか、ギリギリmixiのコミュニティとか…?そういうところしかなかったんですよね。で、あいにくとわたしはその当時は他の作家さんのHPに生息していたので、当時トリブラについて語り合えたチャットルームやコミュニティがあったのかは分かりません。
少なくともわたしは語り合ったことはありません。

だから、RTされてくるトリブラの話題を隅々まで見て、ああ同じものを見て育った人がこんなにも居るんだなって感銘を受けました。
当然のことなんですよ。だって発行されてた本なんですもの。なんですけど、当時から年齢よりも大人びた本を読んでいたわたしに、所謂ライトノベル――富士見ファンタジア文庫だとか、スニーカー文庫だとか、コバルト文庫だとか。そういう本を読む友達は周りにほぼ居なくて、誰かと「共有する」という体験を全くできていなかったんです。

そして、ああもっと早くこういう体験がしたかったなと思ったと同時に、こうして体験をもう「共有」できるから。どんな作家さんも、本当の意味で忘れ去れるということはこの先無いんじゃないかな、と思ったわけです。
ラグナロクの作者の安井健太郎先生が、作家にとっての本当の死は忘れられたとき、だと仰っていたので。


人間の記憶は、曖昧です。
それでも、体験を共有してさえいれば、ふとした時に何かがトリガーになって記憶は呼び戻せる。多少抜け落ちていたとしても、いつだってトリガーさえあれば、その時の感情と共に思い出せる。きっと、素晴らしいことです。

あれだけのユーザー数が居れば、今まで知らなかった人の目にも触れて、そしてその人が作品を知って、また広めていく。そうした連鎖はいままでは身近な人間、またはHPでの発信なんて一部でしかできなかった――つまり、「知ろうと思わなければ知れなかった」ことだと思うのですが、それが勝手に目に入ってくることによって、知ろうとしなくても知るチャンスがいつでもある。こういうのって時にすごく煩雑で、鬱陶しさすら感じることもあるとは思うのですが、自分の意識次第では見聞を広めるチャンスがたくさん転がっているということなんですよね。

人間いつしもチャンスをチャンスだと捉えられるほどの心の余裕があるわけじゃないですし、Twitterを5年近くもやっているのに今年初めて吉田直先生を偲ぶ一連のツイートに触れたわたしとしては、やっぱり世界は情報があふれすぎていて、自分にとってめぐり逢いだと思えるものに触れられることの方が珍しいなと思うわけですけども。

だからこそ、巡り合えて共有できたこの瞬間を大切にしなきゃと思って、書き残したいと思った次第です。

何が言いたいのかまとまらないのはいつものことなんですけれど、亡くなってから16年経っても、吉田先生が繋いでくれた共有体験があったよ、と。
そしてそのきっかけになってくれたのは、一般人のトリブラっていうつぶやきを全部拾ってRTしてくださってたTHORES柴本先生だったんだよ、ということをどうしても書いておきたくて。

今の仕事が終わったら、押し入れからダンボールを引っ張り出してきて、またトリブラを読もうかなと思っています。子供の頃に感じていたことと、いまのわたしが感じることはきっと違うと思いますが、来年こそは「やばい話忘れてる…けどめっちゃ好きだった…」なんて無様な状態じゃなくて、「全部話も覚えてます!!!」っていう状態でまた皆さんのツイート見たいので。