7/30 日記

安楽死って、なんでダメなんですかね。

っていう議論がいま各所でされてると思うんですけど、まあ頭のいいひとがダメって言うならダメなんですかね、って思いながら勝手にお気持ち表明でもしようかなーと思って深夜にぼそぼそ日記を書いています。

とても繊細なお話なので、あくまで一般人の個人的な意見であること、そしてただの体験からの思考であることを念頭に置いて、もしこの記事を読む方がいるなら読んで頂ければと思います。

わたしは安楽死制度、欲しいなーと思っています。
生きることも死ぬことも、自分で選べて初めてそれが人権だと思うから。

ああ、詳しい法律の話とかは置いといてください。
専門家の方の意見とか、指定難病の方だとか、立場が違えば色んな意見あると思います。その全てを統括したうえで、一定以上のリスクがあるから日本では安楽死は認められていないんだとわたしは納得しています。
なので、これはいち一般人のただのたわごとです。


学生の頃に自殺未遂をしたことがあります。方法は実践されると困るので書きませんが、リストカットとかそういうのじゃなくて服毒自殺です。
結構ガチめにヤバくて(語彙力)、ICUに運ばれて意識混濁してたんですけれど、お医者様の措置のお陰でわたしは一命をとりとめました。
その節は大変な迷惑をかけたと思いますし、母にもものすごく心労かけたと思います。

致死量に達しているはずでした。でも、死ねなかった。反射で吐いちゃったんですよね。それでも結構危なかったと聞いています。
だから自死って、生半可な覚悟じゃできないって知っています。現代の医学って本当に凄くて。大体の場合、助かってしまうんですよ。
それこそ肉体がぐちゃぐちゃにでもならない限り、いやぐちゃぐちゃになったとしても、最悪の形で助かってしまう可能性もある。

テレビとかでね、生きてさえいれば幸せになるチャンスがあるだとか、生きてて良かったと思えた方の体験談とかが流れているんですよ。
そういうのを見てると、うんそうだね。その人は良かったよね、って思う。
でもそれって結果論じゃないですか。

死にたかったのに、生きなくてはならなかった人間の末路をどれだけ知ってるっていうんですか。死にたくなかったのに死んでしまった人がいる?
だから何だって言うんです、その人の人生はその人のもの。わたしの人生だってわたしのもの。自分の人生の末路ぐらい自分で決めたい。
そして自殺は他人の迷惑になってしまうから、安楽死という方法が欲しい。

若いうちの衝動的な自殺は、もちろん止めるべきだと思います。
それでも死にたいっていう気持ちが5年、10年変わらなかったら。

死なせて欲しいなって思います。
そこに必要なのは「本人の同意、そして継続的な意思」であり、他人の同調圧力や難病や高齢の方に対しての心無い言葉なんかじゃありません。
まあ日本はいま若者の数が少ないですし、死にたいと思ってる若者を死なせてしまったらいよいよ国が困りますよね。じゃあ死にたい若者の人権ってなんなんでしょう。

生きたいと思う人は存分にどうぞ、生きて欲しいと思います。
でも生きることに疲れ切ってしまったわたしみたいな人間は、どうしたらいいんでしょうね。メンヘラオタクの戯言だと思われるかもしれませんし、実際そうだとは思うんですけれど、これでも社会の中ではまっとうに仕事して生きてきたつもりなんですよ。
オタクやってますけど、あくまで趣味は趣味ですし。
趣味に没頭してるうちは他の事考えなくて済みますけど、まあ別に人生捧げてるわけじゃないんで。趣味は趣味です、どこまでいっても。

だからね、自分の命が少しでも人の役に立って死ねるなら本望だなあって結構な頻度で思うんですよ。
ちっちゃな子供が横断歩道から飛び出そうになったりする度に、反射で体が動きます。いつだって命の有意義な使い道を探しています。
死ぬなら人に迷惑かけずに、そして少しでも人の役に立って死にたいって言うのが人生唯一の願いともいえるかもしれません。あ、悪事に手を貸して死にたいわけではないので、そこは選り好みしてますけどね。

ただの自己満足だし、わがままですよねー。分かってます分かってます。
死にたいけど実行する気のない人を死なせてしまう制度のデメリットも分かるつもりです。

でもなんていうかさ。
できるだけ苦しまずに死にたいし、やっぱり人に迷惑かけたくないし。
できることなら有意義に命は使いたいし、早めに人生の幕は降ろしたい。

そういう人って結構いるんじゃないかなあって思ったりするわけですよ。
きれいごととかそういうの抜きにして、願望として。

たぶん明日も、ずっとこれからも、わたしは死ねる機会を探し続けるだろうと思います。
別にわたし今、辛くもないし痛くもないし、なんだったら推しがたくさんいて幸せなんですけど。

幸せ=生きていたい では無いんです。