見出し画像

第3期 絵本ゼミ①

絵本ゼミ第3期があっという間にスタート。
今回も講義やグループワークから新しい学びを吸収できるように頑張ろうと思います!

◆今学期の目標
①多くの絵本を見つける。
絵本の世界は広くて、まだ出会えていない絵本がたくさんある。
なので、引き続き多くの絵本に出会い、知識の幅を広げていきたい。

②気になったことを調べる。
今までは学んだことの整理に重点を置いていたが、今学期は学んだことを活かして気になったことを調べてみることに挑戦する。

◆今回の講義→コールデコット賞

コールデコット賞は、作家ではなくイラストレーターに与えられる賞である。

そこでコールデコット賞について調べてみると、複数回受賞している方が数名いた。その中で、3度受賞している方が2名。

①マーシャ・ブラウン(Marcia Brown)
1918年 アメリカニューヨーク州ロチェスター生まれ。
1955年受賞『Cinderella』(Aladdin Paperbacks)
  →『シンデレラ―ちいさいガラスのくつのはなし』(福音館書店, 1969)
1962年受賞『Once a Mouse』(Atheneum Books)
  →『むかしねずみが』(童話館出版, 1994)
1983年受賞『Shadow』(Atheneum Books)
  →『影ぼっこ』(ほるぷ出版, 1983)

②デイヴィット・ウィーズナー(David Wiesner)
1956年 アメリカ・ニュージャージー州生まれ。
1992年受賞『Tuesday』(Andersen Press Ltd)
  →『かようびのよる』(徳間書店, 2000)
2002年受賞『The Three Pigs』(Andersen Press Ltd)
  →『3びきのぶたたち』(BL出版, 2002)
2007年受賞 『Flotsam』(Clarion Books)
→『漂流物』(BL出版, 2007)

『絵本BOOK END2019』(絵本学会,2019)を参考に、2人の画家の背景をしらべた。マーシャ・ブラウンとデイヴィッド・ウィーズナーの記事を担当した藤本朝巳先生の記事を拝見すると、赤羽末吉と類似しているところが多々あった。

〈マーシャ・ブラウンと赤羽末吉の類似点〉

①彼女は画家になりたかかったが、絵の勉強をするお金がなかっため、諦めかける。しかし、大学を卒業後子どもの本の画家になることを諦められず画家の道へ。
→赤羽末吉も幼少期から絵を描くことが好きだった。しかし、中国に渡り、画家の夢は諦めかけていた。しかし中国で初山滋の絵を見たり、日本画家の仲間と絵を描くことで、日本に帰国後絵本画家の道を歩み始めた。

②『シンデレラ』は彼女自身が幼少期に好きだったお話。子どものときに好きだったお話を自ら挑もうとした。その際に行った時代考証のための調査で、3ヶ月博物館や図書館で調査を行い、スケッチに描いた。また、当時の衣装にもこだわり、当時の人々がどう立ち振る舞ったかも調査した。
「自分が知り得たことをすべて絵本に描き入れることはできないと知っていた。しかし彼女は背景に知り得たことを、工夫して盛り込むようにしようと願っていた。」
→赤羽末吉も幼少期に好きだった日本文化や映画ジークフリートの影響が、作品にも反映している。さらに赤羽末吉も時代考証に力を入れて、現地へ行き実際にみたものをスケッチして嘘を描かない画家であった。一つの作品について調べる時代考証の調査は、ジャンルも幅も多岐にわたり、子どもたちに本当のことを感じ取ってほしい気持ちが強かった。

③作品制作の際には、描きながら作品を何度も書き直す。
小さな読者を尊重して、作品が洗練されすぎず、写真のように写実的になりすぎずのちょうどいい塩梅を探っていたようだ。
→赤羽末吉もダミー絵のスケッチを多く描き、さまざまな方向から描いてみたり、自分が納得いく作品になるまで時間を惜しまず、時間をかけて制作に取り組んだ。さらに常に子どものことを考え、子どもに感じ取ってほしい思いを絵本に託し、表現方法に尽力した。

マーシャ・ブラウンがコールデコット賞を3度も受賞した背景には、自分で納得するまで調査を行い、読者を尊重して絵本を制作していたことが読み取れた。

〈デイヴィッド・ウィーズナーと赤羽末吉の類似点〉

①ウィーズナーは最初コールデコット賞を知らなかった。ウィーズナーのお気に入りのSF作家であるダイアン&レオ・ディロン夫妻が子どもの本にイラストレーションをつける仕事をしていることを知り、自分もその仕事をしたいと思うようになった。夫妻との出会いが、ウィーズナーを絵本画家の道へ進むきっかけであったのだ。
→赤羽末吉も日本に帰国後すぐに絵本画家になりたいと思っていたわけではない。アメリカ大使館で働き、絵描きとして仕事に取り組んでいた。
しかし、茂田井武が絵を描いた『セロ弾きのゴーシュ』を家族が持って帰ってきて、赤羽は『セロ弾きのゴーシュ』が出版された福音館書店で僕も出版する!絵本作家になる!と決心したのだ。
赤羽末吉を絵本の道へ導いた最終の絵本は、『セロ弾きのゴーシュ』であった。

②『かようびのよる』の絵本が完成した背景には雑誌社が発端だった。雑誌社は彼に、聖パトリックのための絵とカエルについての絵のどちらかを選択するように頼んだ。彼はスケッチブックのカエルの絵の一枚に、蓮の葉を描き加えた。その時、魔法のようにアイデアが降ってきて、あっという間にストーリーが完成した。
→赤羽末吉も自らこれを描きたいと思ったものを描いただけではない。福音館書店編集者の松居直さんから、次はこの作品をやってみないか?と言われて挑戦した作品も多い。赤羽が苦手だったのは「女性の絵」。『つるにょうぼう』を松居直から依頼された際には、先に『くわずにょうぼう』の鬼婆を描き、その後『つるにょうぼう』の女性を描いた背景がある。苦手と思った女性の絵にもしっかり向き合い、新たな技法も加えて絵本の細部までこだわって制作した結果、『つるにょうぼう』は日本だけでなく世界で注目される作品の一つとなった。

③『かようびのよる』の制作にあたり、ウィーズナーは「ナショナル・グラフィック」の写真を見て、また粘土で作ったカエルの模型を使ってカエルの形態を熟知した。そして、絵より写実的に描けば描くほど、カエルの侵入する感じがより不思議に面白く描けると気がついた。他にも、形態、関節部分がどうなっているのかを調べるために、生き物を描く時には骨格を調べた。
→赤羽末吉も絵本の中に何冊かカエルを登場させている。物語の中にカエルが登場しなくてもカエルを描いている場面もある。赤羽末吉の自伝などから直接カエルについてのエピソードは語られていない。しかし、カエルをはじめとする、動物を描く際には赤羽も必ず図鑑を手に取り、骨格や形態、関節部分についてもしっかりとスケッチを行なっていた。ウィーズナーのカエルのように写実的なカエルというよりは、赤羽の場合はまず写実的なカエルをスケッチし、その後自分流にユーモアのあるアレンジを加えていくことが多かった。ウィーズナーも赤羽も、一つ一つの丁寧な積み重ねが、読者にも伝わったことがわかる。

『絵本BOOK END2019』(絵本学会,2019)には、マーシャ・ブラウンとデイヴィッド・ウィーズナーの記事以外にも、多くの受賞した方の背景エピソードや絵本の読み方が紹介されている。しかし、赤羽と似ている!と強く感じたのは、マーシャ・ブラウンとデイヴィッド・ウィーズナーだった。
今まで赤羽末吉以外の絵本画家について学ぶことがなかったため、赤羽を客観視できていなかったが、今回コールデコット賞について学び、3度受賞経験がある2人のエピソードを拝見したところ、赤羽と同じ考えであったり、行動をしていることがわかり、共通点が多くあることに驚いた。

赤羽末吉を調べれば調べるほど奥が深すぎて周りが見えていなかった。
しかし、今回国際アンデルセン賞を学び、国や時代背景は異なるかもしれないが、画家としての思考や影響の受け方は同じであると感じた。

赤羽の自伝には描かれていなかったことに関する一事例として、マーシャ・ブラウンとデイヴィッド・ウィーズナーの自伝を読んでみると、画家としての思考をまた新たに学ぶことができるかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?