「個別的自衛権」は必要なのか

「自衛戦争」の名のもとで一般市民を虐殺

 イスラエルがガザで虐殺を始めてから2ヶ月以上経ちました。
 住宅のみならず、病院まで攻撃しています。
 多くの一般市民が命を落としました。さらに、ジャーナリストや国連関係者も標的になっています。
 しかし、この虐殺もイスラエルにとっては「自衛戦争」なのです。
 10月7日に「テロ」が起きたから、それに対する「自衛」というわけです。
 イスラエルの主張としては、「国連憲章で認められた個別自衛権の行使」なわけです。
 そのイスラエルを全面支援しているアメリカも、これまで何度も「自衛」の名のもとで軍事力を行使し、多くの命を奪いました。
 80年前の大日本帝国も、「自存自衛のため」という口実で、アジア各国を侵略し、住民を虐殺しました。
 なお、イスラエルの話に戻りますが、自国市民が人質に取られている可能性がある所でも平然と攻撃しています。それについてイスラエルは「人質が死んだとしても、その責任はハマスにある」と公言していました。
 つまり、自国民の命などどうでもいいわけです。
 これが「自衛権行使」の実態です。

ウクライナの事例

 ロシアによるウクライナへの侵略戦争が続いています。
 ウクライナは「個別的自衛権」を行使して防衛戦争を行っています。
 防衛戦争を行うために、ロシアが侵略を初めてからずっと、ウクライナ国内には戒厳令が続いており、ウクライナで暮らす人達は、ウクライナ憲法で認められた基本的人権が制限されています。
 そして総動員令が出され、20歳以上60歳未満の成人男性は徴兵の対象となっています。
 その徴兵に関わる汚職で儲けた人々もいました。
 それだけ市民に負担を与えて防衛戦争を続けていますが、兵士も市民も死傷者は増える一方です。
 また、アメリカをはじめ、各国から「軍事援助」が行われています。
 戦闘機や戦車のみならず、劣化ウラン弾やクラスター爆弾まで「援助」されました。
 ウクライナを防衛するための戦争なのに、ウクライナ領内で戦争終了後も重大な危険をはらむ兵器まで使っているわけです。
 軍需産業としては、「特需」で大儲けできたわけです。
 一方で、ウクライナで暮らしている人は基本的人権が制限され、生存権も守られない生活を一年半以上続けているのです。
 これも、現在発動されている「個別的自衛権」の現状です。

侵略者と戦う=善なのか

 このようにウクライナの批判をすると、「ならばロシアの侵略を許容するのか」という意見をする人が出てきます。
 もちろん、筆者はロシアの侵略を許容しません。
 先ほど紹介したウクライナにおける、基本的人権の侵害・徴兵などは、ロシアでも行っています。
 ロシアを正当化することなどできません。
 ただ、ロシアの侵略が「悪」ならば、それに対抗するためにウクライナでゼレンスキー政権が行っていることが何でも「善」になる、などという事はありません。
 分かりやすい事例として、80年前のアジア太平洋戦争があります。
 あの戦争において、侵略戦争を行った大日本帝国が「悪」であることは明白です。アメリカに対する真珠湾攻撃も「国際法違反のだましうち」でした。
 だからと言って、それを理由にアメリカが広島と長崎への核攻撃をはじめ、日本全土で民間人を虐殺した事が「善」になるわけではありません。
 戦勝国なので戦争責任は一切取っていませんが、これらは戦争犯罪です。
 同様に、いくらロシアが悪行を行っていても、国内で基本的人権を制限し、住民の命と暮らしを守らず、兵器産業を儲けさせているゼレンスキー政権が「善」にはなりえないのです。

イラク戦争の事例

 約20年前、アメリカとその連合国がイラクを侵略した戦争がありました。
 侵略の理由は「イラクのフセイン政権が大量破壊兵器を持っているから」でした。
 戦争はアメリカの圧勝で、フセイン大統領は捕らえられ、アメリカに作られた「新政権」によって死刑になりました。
 そして、侵略の口実となった「大量破壊兵器」は存在していませんでした。
 今のロシア同様、一方的にアメリカが「悪」なのです。
 それに対し、個別的自衛権を行使した、フセイン政権は「善」だったのでしょうか。
 この戦争を始める前に、アメリカはフセイン政権に「大統領を辞めてイラクから出ていけ」と要求しました。
 もちろん、主権侵害としか言いようのない「要求」です。
 それを拒否したために戦争になったわけです。フセイン大統領としては、「権力を捨ててイラクから出ていくくらいなら、個別的自衛権を行使して負けて殺されたほうがマシだ」という考えだったのかもしれません。
 権力者としては当然の考えなのかもしれません。
 ただ、イラクで暮らしていた人にとってはどうなのでしょうか。
 そうやって個別的自衛権をフセイン大統領が行使した結果、イラクで暮らす多くの命が奪われました。ファルージャの虐殺や捕虜虐待などの非人道的な行為も多数行われています。
 もちろん、「悪」なのはアメリカを始めとする侵略国です。
 しかし、勝ち目がないのに、個別的自衛権を行使したフセイン大統領は「善」では7ありませんでした。
 住民の命と暮らしを最優先に考えれば、アメリカに屈して大統領を辞めて亡命するのが最善だったことは明白です。

「個別的自衛権」の目的とその犠牲になるのは誰か

 以前にも書きましたが、個別的自衛権というのは、その国で暮らす人の命を守るためのものではありません。
 守る主体は、その国の権力者とそれに連なる一部の人たちだけです。
 そして、個別的自衛権を発動すると犠牲になるのは誰でしょうか。
 それは、兵士として戦場に投入される人や、戦争状態になったために空爆やミサイル攻撃を受ける一般市民です。
 少なからぬ人が、国や権力と自分を一体化させ、「敵が攻めてきたらどうするのだ。国を守るために我々が戦うしかない」などと主張します。
 しかし、いくら自らを権力者と一体化させても、向こうはそうは思ってくれません。「国を守るために体を張る愛国者」など、権力者にとっては使い勝手のいい消耗品でしかないのです。
 その国で暮らす人の命と暮らしを守れない「個別的自衛権」が本当に必要なのか、もう一度考える必要があると思っています。
 集団的自衛権は許されないが、個別的自衛権は当然の権利、などという主張が幅を効かせています。
 しかし、イスラエルの「自衛権行使」を見ればわけるように、そのような線引きに意味はありません。
 必要なのは、その国で暮らす人の命を犠牲にして軍事力で権力を守ることでまありません。
 「個別的自衛権」を口実にした軍事力を用いずに、その国で暮らす人の命を守ることが政治の責務なのです。

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