好きのハードル

ひとり会議、続々開催中です
ここに打つとすっきりするかもしれない

最近の議題は好きのハードルです

何の話か、といいますと
例えば自己評価をする場面で「ひとりで問題なく業務をこなすことが出来る」

こういう設問があったとして、「よく出来る」と選ぶことが
私はとても難しい
「まあまあ出来る」に○をしがちです

この時、心の中で

「いつもやってはいるけど、分からない所を聞いたりよくするからひとりで出来てると言えないんじゃない?」

「ミスもすることあるし問題なく出来るなんて言えないんじゃない?」

こういう他の自分の意見が
「そんなんでよく出来るって言っちゃ駄目だ」
という結論に持っていって

「まあまあ出来る」「やや出来る」までしか○しません

「こんなんじゃ出来るって言っちゃ駄目だ」は恐ろしく汎用性が高いもので

「歯磨きが出来る」
そこそこ磨くけど、虫歯よく出来るし出来てるなんて言えないなぁ

「電車に乗れる」
いつも乗る路線は大丈夫だけど、知らない路線は微妙だしなぁ

「ピアノが弾ける」
習った曲とか簡単には弾けるけど、全然クオリティ低いしもっと上手い人なんていくらでもいるしなぁ

こんな具合です

この問いかけ、最終的に「人生を生きてる」まで行き着いたんですが
私の中での解答は推して知るべし……

「出来る」に対して、でもこんなんじゃ駄目だと自分の中でぐんぐん伸びるハードルにげんなりする現象

「好き」にも通じるなあと思うようになりました

ここでも例えばの話

趣味を挙げてくださいとなったら、私は読書だとか漫画が浮かぶんですが
やっぱり伸びます、好きのハードル

「漫画読むの好きだけど、めっちゃ知ってる訳でもないし」

「読書って言っても限られた作家の作品を読んでるだけで、海外作品とか新書はほぼノータッチだし」

じゃあなんもなくない?なんて思っちゃいます

そりゃ寂しい!

コンクールで賞総なめしてないとピアノが弾けると言えないんだろか

そんなことないんですよね

発売されてるものがっつり全作品を読んでいないと好きですと言っちゃいけないんだろか

そんなことないんですよね

分かるんですけど、考えちゃいますね

比べないで、私らしく自信持とう!って切り替えられたらきっと良いとは思いますが

どうしても、他人のハードルとの高さの差が目に入るんだろなとも思います

隣でそびえたつハードルをひょいと飛び越えるのを見て、
私のハードル低すぎ……?!と焦って上げちゃう気持ち あるある!

ところで
高いハードルを跳べることは素晴らしいことなんですけど
それは、私も跳ばないといけないのかな?

なんでもジャンル深く広く本を読んでいるというのは素晴らしいことですけど
私もそうじゃないといけないかな?

そんなことは、ないかもしれないですねもしかしたら

「出来る」は ある一定の高さを求められるかもしれないけど

こと「好き」については
高いハードルを跳んでることはすごいことだけど
私は跳んでもいいし、跳ばなくてもいいぞ!と

「好き」に義務感や負い目を感じないで、育てていけたらきっともっと楽しいですね

このnoteも
推し漫画を語るために作ったはずなので
存分に好きを注いでゆきます!

会議ばっかり投稿してる~~

ここまで読んで下さってありがとうございました
すっきりしました!