『旅のパウロ』と戦責告白
高齢になって洗礼を受けたものの、亡き母は常にキリスト教に共感を示しておりました
彼女の葬儀で使うものを探す中で見つけた結婚式の写真で、キリスト教とは無縁だった父が相手だったにもかかわらず、教会において正式なキリスト教式で執り行われたことを初めて知って、その思いの深さを改めて知ることになったほどです
母は認知症が進行してグループホームに「閉じ込められ」、しかし日曜礼拝には行きたいと言うので付き添いのため教会に通う中で、さっぱりわからなかった聖書(イエスの言動)の言うところが、少しずつ染み入るように自分の中にも入ってきました
その母が生前のまだ意識のしっかりしていた頃に、「これだけは読みなさい」と手渡されたのがこの書籍なのですが…、聖書すらまともにわかっていないのに、当然ながらパウロとくると尚更で、彼が何者かすらさっぱりわからないかったのですからね…
(今も同じようなものですが💦)
昨晩になんとなしに手を伸ばして、さわり程度を読んでみましたが、当時の地理や歴史を学び直したこともあり、体調を崩して半年以上行けておらず、ネット配信でかろうじて礼拝を守る日々でしたが、それでも続けることでわかってくることはやはりあり、今回はきちんと読めそうな感じがしました🙂
不信心な息子にこれだけはと亡き母が手渡した謎解きにもなるのかもしれないな…と感じたりもしています
昨日から五日間の夏季の長期休暇が始まり、丸一日かけて心身ともにほぼ充分に休養できたので、教会に行く気力体力すら無かったここ半年ほどよりも状態は良い感じで、今日の日曜礼拝にはなんとか行けそうです
日本基督教団桑名教会では、この時期毎年「戦責告白」を皆で唱和し続けている、今や数少ない教会の一つになりました
おそらく今日がその日にあたります
『戦責告白』は、定められた経緯も含めてここに記されています
以下、
わざわざリンク先まで行かれる方はそれほどいないようなものとも思いますので、全文をコピペしておきました
「わたくしどもは、1966年10月、第14回教団総会において、教団創立25周年を記念いたしました。今やわたくしどもの真剣な課題は「明日の教団」であります。わたくしどもは、これを主題として、教団が日本及び世界の将来に対して負っている光栄ある責任について考え、また祈りました。
まさにこのときにおいてこそ、わたくしどもは、教団成立とそれにつづく戦時下に、教団の名において犯したあやまちを、今一度改めて自覚し、主のあわれみと隣人のゆるしを請い求めるものであります。
わが国の政府は、そのころ戦争遂行の必要から、諸宗教団体に統合と戦争への協力を、国策として要請いたしました。
明治初年の宣教開始以来、わが国のキリスト者の多くは、かねがね諸教派を解消して日本における一つの福音的教会を樹立したく願ってはおりましたが、当時の教会の指導者たちは、この政府の要請を契機に教会合同にふみきり、ここに教団が成立いたしました。
わたくしどもはこの教団の成立と存続において、わたくしどもの弱さとあやまちにもかかわらず働かれる歴史の主なる神の摂理を覚え、深い感謝とともにおそれと責任を痛感するものであります。「世の光」「地の塩」である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした。
まさに国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。
しかるにわたくしどもは、教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを、内外にむかって声明いたしました。まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。
心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります。
終戦から20年余を経過し、わたくしどもの愛する祖国は、今日多くの問題をはらむ世界の中にあって、ふたたび憂慮すべき方向にむかっていることを恐れます。この時点においてわたくしどもは、教団がふたたびそのあやまちをくり返すことなく、日本と世界に負っている使命を正しく果たすことができるように、主の助けと導きを祈り求めつつ、明日にむかっての決意を表明するものであります。
1967年3月26日 復活主日
日本基督教団総会議長 鈴木正久 」
母から渡された本をAmazonで見てみると中古で比較的高値になってますが、
『旅のパウロ――その経験と運命 』
レビューを読むだけでも、ある程度内容がわかるかなとは思います
国立国会図書館にもありました
手続きがアナログちっくで、やや登録に時間がかかりますが、むしろそんなものでもいいんじゃない?とも僕は感じますが…
キリスト教プロテスタントは、さまざまな教派に別れてきた歴史がありますが、日本での事情も変わりません
日本基督教団とは?となると、
と自前のサイトもあるにはありますが、
Wikipediaに比較的正確な説明があります
なんのことはない、戦時下の翼賛体制に協力してできた団体に過ぎないことがわかります
「戦責告白」とは、そうした経緯も含めて真摯な自省を込めた文言で、当時から賛否が別れるものでした
アジア=太平洋戦争が遠くなり、日本社会全体の認識や雰囲気も大きく変化してきており、この宣言を大切にする教会が減るのもむべ無しという感じはありますが、三重県桑名市にある桑名教会は、今でも毎年必ず唱和する教会ということですね
同じく日本基督教団に属する佐世保教会も同じくです
去年は佐世保教会の #深澤奨 牧師を三重県桑名市まで招き、「戦責告白」に関して、或いは当時の日本基督教団が朝鮮半島でやったことや、九州教区に沖縄教区を含めるか否かに関しても、喧々諤々の議論があった等ご教示いただきました
日本基督教団沖縄教区のサイトはこちらです
さて、準備して礼拝に行ってきます🙂
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