ookikusatoru

喫茶 satori というお店を営んでおります。 人やモノとの対話、喫茶を通じて見え…

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喫茶 satori というお店を営んでおります。 人やモノとの対話、喫茶を通じて見えてきた色々なものを書き残していきたいと思います。 苦しくなった時、迷った時、困難に向き合う時 そういった時に何かの手掛かりになったとしたら、幸いです。

最近の記事

僕の役割

忘れないように、撮ったつもりが 本当の何かを写してしまって 新しい何かを創り出してしまった。 僕の眼に写った新しい時間軸は、 そうやって彼から離れていく。 意図せずに、どこへいこうというのか

    • 引き算を中心とした喫茶学について

      味に集中する為に環境を整える。 極力削ぎ落としていく。 目につかない、で構成された空間で、深く深く自分の中に液体なりなんなりを落とし込むこと。 理解する、に傾倒した味わい方。 barの様な場所が、それに近いかもしれない。 次は良い空間を作ってみる。それも作為的に。 不思議なことに口にしているものは、どうでもよくなってしまう。 美味しいものを、に重きをおいて日々努力をしている自分を、否定してしまっている様な、そんな不調和。 今目の前には、色々な人がいて、それぞれの観点と

      • 自問自答を繰り返す人。

        いつぞやの喫茶店、いつもの席で。 いつもの珈琲と、いつものツナトースト。 美味しくて、安心する。 今日の店内は少し賑やか。 見慣れた風景。よく聞く声。聴き慣れた音。 一息ついて、そろそろ帰ろうかな、という時に 一杯の珈琲がでてきた。 こっちの方が美味いんじゃないかな?って思ってさ。 と、笑いながらカップを傾けて向き合って。 あんなに美味しく珈琲を点てるのに 自信やら過信やらを飛び越えて 自分の何かを見つめ直せる人。 ほんとうにすごいです。

        • 何者でもない、という事。

          人は人という鑑を通して自己をみている。 そこには他人という概念のもとに成り立った自分が写っている。 では人以外の何かに映った自分は、なんなのだろうか。 ある時は、巨大な何か。 ある時は、厄介者。 ある時は、只の餌。 ある時は、そのもの以外の何か。 結局のところ、相対するものによって姿が変わってしまうほど、その実態ははっきりしていないものである。 そのはっきりしていない何かを理解しようと、言語を作り、文化を創り、生きるとは何かを考えた末に、生きる事とはなんなのかを忘れ

        僕の役割

          とあるモノ屋の店主 Sさん

          彼と話す時には自分の精神状態が問われる 自分が清々しい気持ちでいると 前向きな答えが出てくるし どこか附に落ちない様な気持ちで話すと なんとも言えない会話になる。 人って誰でもそんな様な気がするのだけれど 彼はなんだか特別で まるでお地蔵さんの様だ。 今日もせっせと拝みに行こうと思う。 そうすることによって なるべく前向きに物事を考えたいのだと思う、もう1人の自分を肯定してあげたい。 〜続く〜

          とあるモノ屋の店主 Sさん

          sony a7 Ⅱ とNOKTON classic 50mmf1.1

          まあこんなタイトルである。 当然写真やカメラのアレコレを語ると思うであろうが、それは置いておく事にする。 今や誰しもが持っているデバイスで簡単に画像として保存できる時代。 そんな時代に逆行してカメラを買った。 しかも手動でピントを合わせるレンズとセットで。 このセットに特に深い思惑があったわけではないのだが、これが思いの外趣深い。 まあ、思った様に撮れないのだ。 人の眼は本当に良く出来ている。 その実像の様々を簡単に捉え、足りない部分は補足する(これは脳の仕業だが)

          sony a7 Ⅱ とNOKTON classic 50mmf1.1

          とある喫茶店のマスターYさん

          彼はとてもさっぱりとした生き方をしている。 先日、珈琲を頂きに伺った時の事を書き残しておこうと思う。 珈琲という飲み物は豆の種類は勿論、様々な要素で味が変化する。 これは一般的な知識やイメージとしても周知の通りである。 だからこそ、僕は豆や器具、機材、環境、淹れ方、姿勢、呼吸、体調。その他諸々。 様々なものに気をつけている。 しかし彼はそんな些細な事は気にしない。 俺味よくわかんねぇからさ。 と言い放つ。 僕からしてみたら、いやいやそんなわけないだろう。 と、思うの

          とある喫茶店のマスターYさん

          住民Sさんとの対話1

          今日も​​​彼はどこか曖昧だ。 彼と話していると思いもよらない答えが出たりする。 それ​​​が自分で出したものなのか、それとも彼に導かれたものなのかは定かではないのだけれど。 ある時​彼とこんな話をした。 李禹煥って知ってます? ​​知ってますよ。もの派の大御所ですよね。 ​​もの派? ​​​こんなざっくりとした会話から始まったのだけど こう言った彼との終わりと方向性の定まらない会話が実に面白い。 行きどころのない膨大な会話をここに書き記すのはちょっと難しいから

          住民Sさんとの対話1