日本語の敬語について
§ 1 日本語の敬語には尊敬語しかないとすれば、日本語学習者は助かるのではないか。
日本語の文献によると、「お〜になる」は 主語尊敬の敬語である。(1)の「先生」は主語であり、話者は、「先生」に対して、敬意をを表す。
(1)先生はお帰りになった。
§ 2 主語とは、「自分」が文中で指す表現である。(3)で、「自分」が指すのは、主語の「先生」であり、「学生」でない.
(3)先生は学生に自分の義務を説明した。
§ 3「お〜する」は非主語尊敬の敬語である。次の(2)の「先生」は非主語であり、話者の敬意の対象である。
(2)学生がレポートを先生にお渡しした。
(2)の「お渡しする」は従来「謙譲語」と呼ばれている。謙譲語が、「話者が述べた文の非主語に対する尊敬の表現」であるならば、従来の謙譲語の定義が不要になる、
§ 4 例えば、従来の説明によると、
「渡す」の謙譲語には、「お渡しする」という言葉が挙げられる。そのような謙譲語は、上司や目上の人など自分よりも立場が上の人に対して、自分の行動をへりくだった表現にするときに用いる。
(<https://cktt.jp/71052>)
§ 5 にいう上司や目上の人とは、誰であろうか。聞き手か、それとも、話者が、語る際、念頭においている人物か。
§ 6 次の例を見てみよう。
(4)社長は新入社員に書類をお渡しした。
(5)新入社員は社長に書類をお渡しした。
もしここで「社長」が尊敬の対象であり、「お〜する」が非主語尊敬の敬語であるならば、(4)は話者は、「社長」を差し置いて、「新入社員」に敬意をはらっていることになる。(5)では、適格に話者は、社長に敬意をあらわしている。「へりくだる云々」とか述べずに敬語には尊敬の対象が主語でないものと主語のものがある。と述べれば、「謙譲語」という言い方をしなくて済む。
日本語の(4)(5)に関する直観はどうであろうか。
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