『一度きりの大泉の話』を改めて読み直してみる~その4
「4 増山さんと『少年愛』」に入ります
この章では萩尾さんがいかに「少年愛」に興味がないかが延々と書かれています。それでも増山さんのために「雪の子」を描いたそうですが、その下書きを見た増山さんは「違う!」と叫んでベッドに倒れ込んでしまったとのこと
実は私自身も、どちらかというと、男の子より女の子のほうが可愛いと思う人間なのですが、それでもこれはないですよ。
私だって男の子も小学生くらいまでは、十分「可愛い」って思います。男女以前に、子どもは可愛いですから。
もちろん、誰がどう思おうが個人の自由なのですが、こういう人に、自分たちが大切にして、いずれチャンスが来たら描きたいと夢みている「少年愛」を形だけ取り入れられたら、そりゃ不快な気分になるのも無理はないでしょう
次に、「5 『悲しみの天使(寄宿舎)』の章ですが
この章だけでなく、大泉本では西谷祥子先生の「学生たちの道」の話が後半でも取り上げられていて、その理由は「学生たちの道」(1967-1968)が既に男子校を舞台とした漫画として描かれていたことをアピールしたいからでしょう
ここで、ネクタイのことをことさら取り上げているのは、おそらく『学生たちの道』でリボンタイが描かれていたからでしょうね
リボンタイの件は5ちゃんねるの大泉スレでも話題になっていて、私はまったく詳しくないのでおそるおそる書いてますが、まず、竹宮さんの「サンルームにて(旧題:雪と星と天使)」(1970)に細いリボンタイが描かれているんですよ。「風と木の詩」の制服もリボンタイです。
で、当初、萩尾さんの「11月のギムナジウム」(1971)では普通のネクタイが制服に用いられているのですが、「ポーの一族」「グレン・スミスの日記」(1972)や「小鳥の巣」(1973)ではリボンタイに変わっていて、「トーマの心臓」(1974)の制服もリボンタイになっているんです。
そういうことで、いつ誰が指摘したのかわかりませんが、竹宮さんのリボンタイを萩尾さんが真似したのだと批判されていたのでしょう
西谷さんの「学生たちの道」の表紙には太いリボンタイが描かれていて、竹宮さんの描いた細いリボンタイとはかなり印象が異なるのですが、表紙しか検索で出てこないので、漫画内では細いリボンタイも出てくるのでしょうかね。ちょっと国会図書館でも行かない限り、調べようがないので、なんとも言えないのですが……
なにが言いたいかと言うと、萩尾さんはここで「既に西谷さんはリボンタイを描いていた」と主張したかったのだと思うんです。だったらストレートにそう書けばいいのに、大泉本ってこんなふうな遠回しで匂わせっぽい主張がてんこ盛りなんですよ
以前、「思い出を切りぬくとき」の記事でも書きましたが、「テオ」という名前についても、水野英子さんの『エーデルワイス』に出てきていつか使おうと思っていたと書かれていて、これも、竹宮さんが元々「風と木の詩」でテオという名を使おうとしていたため、批判されたからでしょう
萩尾さんの何が言いたいのかよくわからない、なんでこんなこと書いてるのだろう?という文章は、大抵の場合が「言い訳」か「批判」だということに気づいてからは、萩尾さんの言いたいことを読みとりやすくはなったものの、それでも私が気づかないものもまだまだあるんだろうなって思います
ただ、萩尾さんが西谷祥子さんのことを高く評価しているのは、本当で、吉本隆明氏との対談で
こんなふうに語ってます。「自己表現」がなんなのかよくわからないのですが、「あの人ひとりしかいなかった」って……他の先輩少女漫画家たちにまったく配慮がないのがなんとも
ということで、「5 『悲しみの天使』(寄宿舎)」の章は、萩尾さんがいかに「寄宿舎」に興味があったか、いかに寄宿舎というものが既に映画やテレビで描かれていたかが延々と書かれていて、これらはすべて竹宮さんへの「反論」「言い訳」なのでしょう。今まで読み飛ばしていたのですが、実に細かく書かれていて、改めて驚きました
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