萩尾望都が竹宮恵子を意識している?と思わせる行動その2~あぶない壇ノ浦
その1を書いたのはほんの数日前なのですが、その頃は「あぶない壇ノ浦」について書くとは思いもよらなかったです。今日、5ちゃんねるの大泉スレで竹宮さんの『吾妻鏡』が話題になったんですよ。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」があったから竹宮さんの『吾妻鏡』も「おこぼれ需要」があるといういつもの小馬鹿にしたレスだったのですが、それで気になって調べてみたところわかった事実です。まず簡単に作品紹介から
・「あぶない壇ノ浦」…萩尾さんが「あぶない丘の家」シリーズの第三作目として「ASUKA増刊ファンタジーDX」1993年春の号・初夏の号・夏の号に描いた作品、頼朝義経兄弟の確執が描かれている
・「吾妻鏡」…マンガ日本の古典シリーズ(中央公論社)の中の一作品として竹宮さんが描いたもの、内容は鎌倉幕府初代将軍源頼朝から6代将軍宗尊親王まで1180年から1266年までの87年間が描かれている。上中下巻に分かれていて、上巻は1994年12月に出版されている
ということで、「あぶない壇ノ浦」は『吾妻鏡』の一年以上前に描かれていて、大泉本には「あぶない壇ノ浦」についてこう書かれています
ここで、問題になるのが、萩尾さんは竹宮さんが『吾妻鏡』を描いたことを知らなかったわけがないという点です。
なぜなら、竹宮さんの『吾妻鏡』が入っているマンガ日本の古典シリーズの『和泉式部日記』を描く予定だったのは、当初は萩尾さんだったからです。『吾妻鏡』のカバー扉の折り返しに萩尾さんの名前が印刷されていて、どうして萩尾さんがこの企画から降りたのかは不明ですが、『和泉式部日記』は結局いがらしゆみこさんが1997年に描かれたものが出版されました。出版社からのお詫びのメッセージが印刷された紙がはさんであったそうです。しかし、この件について萩尾さんは大泉本で一切触れていません。しかも「あぶない壇ノ浦」を描いちゃうほど、鎌倉時代に興味があったという萩尾さんが、自分も描く予定だった同じマンガ日本の古典シリーズの企画の中の「あぶない壇ノ浦」と内容の一部が重なる『吾妻鏡』について、いったい誰が描くのだろう?と興味を持つことは極めて自然のことと思われますが、萩尾さんは「知りませんでした」と答えてます。
私はこれは「嘘」だと思います。
じゃあどうして「嘘」をつく必要があったのか?それは「あぶない壇ノ浦」を描いた時点で、既に竹宮さんが『吾妻鏡』を描く予定だと知っていたからだと思います。マンガ日本の古典シリーズは全32巻にわたる大掛かりな企画です。おそらくそれぞれのマンガ家には一年以上前からオファーを出していたのではないでしょうか?とくに『吾妻鏡』は第一回目の『古事記』の次に出版されていて、かなり早い段階で作画を竹宮さんが担当することは決まっていたはずです。萩尾さんに『和泉式部日記』のオファーが来た段階ではとっくに決まっていたのではないでしょうか?
仮にオファーが来た段階でも知らなかったし「あぶない壇ノ浦」を描いた時点でも知らなかったとしても、竹宮さんの『吾妻鏡』が実際に描かれて出版された後に「知らない」というのはいくらなんでも無理があります。知っていたなら、普通に「『あぶない壇ノ浦』を描いた後に知って驚いた」と言えばいいのに、萩尾さんは男性編集者に「嘘」をついてしまった?だとしたら、それはおそらく萩尾さん自身が疚しかったからでしょう。すべて知らなかったことにしたかったんだと思いますが、そこで嘘をついた?ことによって、逆に萩尾さんは竹宮さんが『吾妻鏡』を描く予定だということを知っていたのだという心証が濃厚になってしまいました
しかし、この件で萩尾さんに質問した男性編集者のその後が気になります。F誌記者と同じ運命をたどったのでしょうか?
(追記)
竹宮さんは『吾妻鏡』を描くに至ったいきさつを『扉はひらく いくたびも』で書いてました。それによると
それで、竹宮さんがいつ鎌倉へ引っ越ししたかもネットで調べたら、wikiに載ってました。1988年だそうです。「あぶない壇ノ浦」が1993年ですから、5年も前のことになり、萩尾さんはやはり、竹宮さんが『吾妻鏡』を描く予定だったことを知ってたんでしょうね
『扉はひらく いくたびも』には、竹宮さんが『吾妻鏡』に興味を持っていたことが次のように続いて書かれています
5年もの長い期間を竹宮さんが『吾妻鏡』に費やしたことを考えると、もちろんその全期間を『吾妻鏡』だけに労力を割いていたわけではないでしょうが、出版される前年に、萩尾さんに『あぶない壇ノ浦』を描かれてしまったショックは相当なものだったでしょう
しかし、大泉本での萩尾さんの感想は以下のようなものでした
萩尾さんも中央公論社のマンガ日本の古典シリーズの一つ『和泉式部日記』を描く予定だったのだから、「あぶない壇ノ浦」を描く前に、マンガ日本の古典シリーズで同じ頼朝義経兄弟の話が描かれるかどうか調べるべきだったのではないでしょうか、せめて『吾妻鏡』や『平家物語』が出版されてから、「あぶない壇ノ浦」を描くという発想はなかったのでしょうか?
まるで他人事のように「題材が交差する不思議さ」などと語ってる点が心底理解できません
(追記その2)
少女漫画板の萩尾望都スレの過去ログにこんな書き込みを見つけました
「和泉式部日記」に関するものです
もちろん5ちゃんねる(当時は2ch)なのでそこは割り引いて話半分に聞いておくべきでしょうが、大泉本に登場する男性編集者はやはりこの方なんだろうなって思いました
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