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萩尾マンガはスロットマシン

ここまで批判ばっかり書いてきましたが、私は萩尾さんが漫画家として二流だとは思ってません。とくに「ポーの一族」(旧作)は少女漫画史上に残る傑作だと思ってます。でも、あれは深く掘り下げて意味を追求するような話ではなく、徹底的に雰囲気を味わう漫画だと思ってます。いわば雰囲気漫画の最高峰ですね

ただ、萩尾先生の作品には最高レベルのものもあれば、なんだコレ?とびっくりするくらい意味不明だったり独りよがりだったりするものもあると思ってます。後者の代表は「城」ですが、「城」以外にもこれが萩尾さんが描いた作品でなかったら、雑誌に載ることもまして単行本化されることなんてなかっただろうと思わせる作品はけっこうあると感じてます

萩尾さんの作品の登場人物ってキャラがはっきりしないんですよ。キャラ立てがしっかりできてないという印象です。「メッシュ」や「感謝知らずの男」の主人公なんて、似たような性格でしかもキャラが薄い。なぜこうなるかというと、萩尾さんが自分でも言ってるように「人間がわからない」からだと思います。他人であれ自分自身であれ「分析」することがとても苦手な方なのでしょう。逆にそこがすごい「雰囲気漫画」を描ける資質でもあるのかなとも思いますが

で、キャラが弱いから、短篇は素晴らしいものがあっても、長編となるといま一つといった作品が多くなってしまう。「グレン・スミスの日記」は24ページだから傑作になったわけで、あれが100ページで描かれてたら、「ゴールデンライラック」のようにツッコミどころのある作品になってしまったのではないでしょうか

萩尾さんはおそらくご自分の漫画についてよくわかってないのではないかと思います。他人の漫画の良し悪しは多少はわかっても、自分の漫画についてはあまりにも自分自身と密接不可分の関係になっていて、切り離して第三者視点から捉えることができないのだろうか?とすら思ってしまいます。ここでも城さんの「20代の萩尾先生はただの一コマの疑問でも、自分の漫画を100%否定されたんだと受け取りかねない人」との評価は的確なんだろうなと思わされました

ということで、萩尾さんの漫画が傑作となるかならないかは「運」の作用する割合が他の漫画家さんと比べて著しく大きいんじゃないかな
萩尾さんにとって好都合なないろんな要素が偶然すべて揃ったとき、それは素晴らしい傑作となるのでしょう。「半神」なんかはまさにその代表なんじゃないでしょうか

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