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「BEASTARS」のラストがああなった理由

(「BEASTARS」のネタバレ全開です)

「BEASTARS」の件はマンガについてネットであれこれ語るという、私が何十年も細々と行ってきた中で、衝撃度が最大の事件なので、「ポーの一族」の連載が終わったら書く予定だったのですが、諸事情から、今書いちゃいます

「BEASTARS」もアニメから入ったマンガでした。「宝石の国」のアニメを制作したオレンジが作っていたため、とりあえず観てみようと思って視聴したら、たちまちのめり込んだという、「宝石の国」と同じパターンです。
当時、先の内容を知らないまま、このままアニメを見続けたいという気持ちと、原作のマンガをすぐにでも読みたいという葛藤の後、誘惑に負けて原作マンガを購入してしまうのですが、4巻の描写で「BEASTARS」に対する情熱は一気に醒めました

だって、ルイが拳銃を持ってるんですよ?この世界って拳銃の存在がアリなのー?だったら、草食動物は自分の身を守れるじゃん!

いったい、肉食と草食の対立とはなんだったのか?すべてがアホらしくなり、その後は、いかにこのマンガがおかしいかを5ちゃんねるで語ることに注力することになります。期待が大きすぎた分、裏切られたショックも大きかったせいもありますが、それ以前の問題として、ほんと支離滅裂なんですよ、このマンガ

・「被食者の本能」なにそれ???
・「生命動物と自然動物」何考えてこんな理屈に合わないこと語ってるの?生命動物は共食いする以外にどうやってエネルギーを得ていたの?
・コピ・ルアクの話はなんだったの?
・なんで草食動物と肉食動物は同じエリアに住んでるの?住み分けすれば済む話では?

これ以外にも書き始めたらキリがないくらいツッコミどころだらけのマンガで、いくらなんでもいい加減すぎるだろうって呆れてました。とくに、ヒロインのうさぎハルの性格が本気でまったく理解できないんです。不思議ちゃんとしかいいようがないヘンなうさぎで、なんでこんなキャラを描かなきゃいけないのか?については当初からずっと疑問でしたが、作者の板垣巴留さんがかなり変わった人物であることはネット情報でだんだんとわかってきたので、ぱる先生がおかしな人だから、マンガもこうなるのだろうってことで、とりあえず自分を納得させてたような……
参考として、ぱる先生のびっくり発言を挙げておきます

ポストに不在票が入ってると「悲しいけどこの荷物とは縁がなかったんだな…」って放置しがちだったのを正して去年の秋くらいからちゃんと連絡して受け取るようになりそしたら不思議と友達も増えた!!!

ぱる先生のTwitterより

ところが、話を追っていく中で、このマンガが何を目指していたのかが突然理解できたんです。それは第166話の奇魂祭でハルがメロンと交わした「メロンがハルを食べる」という約束からでした

以下、私がAmazonで書いた「BEASTARS」22巻(最終巻)のレビューです

何度かレビューで22巻まで読んでほしいって主張してきた者です。レビュー自体は削除されちゃったみたいですが責任感じてます(笑)。なぜこんなことになってしまったのか?それはこの物語の一番のクライマックスであるべき「メロンとハルの約束」のシーンがまるっと削除されているからなのです。以下、妄想たっぷりの言い訳を……。

作者の短編集にビーストコンプレックスという単行本がありますよね、ここに草食オスと肉食メスが一夜限りの恋をして、オスがメスに自分の指を食べさせるという短編が収録されてます。レゴシとハルもこれと似た状況になりましたが、この世界では草食肉食の男女の愛が高まるとなぜか「食肉」という行為が自然発生するのです。これを仮に「愛の食肉」と名付けます。他にはレゴシがルイの足を食べる、肉食と草食の深い信頼に基づく「友情の食肉」もありました。そして、なぜかビースターズでは描かれなかった、メロンとハルの食肉の約束、これこそが連載当初から食肉大好き!な作者の描きたかった「博愛の食肉」となるはずでした。この世界に肉食と草食がある限り、永遠に逃れられない「食肉」という行為に別の意味を持たせること、これが作者の一番描きたいことなのかなと思ってます。

では「博愛の食肉」とは何なのか? 第二話に死神アドラーの話がありました。アドラーは平等を理想とし、死神として死をもって平等という理想を実現させてきました。が、最後は愛に目覚めて愛のために死んでいく……、というちょっと何言っているのかわからないあの話。実はメロンこそがアドラーだったんです。
メロンは愛も差別も嫌っています。愛も差別もベクトルの向きが反対というだけで本質は同じだからです。彼は肉食も草食もそして彼のような混血も偽善抜きでただ一匹の獣としてごく普通に平等に扱ってくれる社会に恋い焦がれてました。そしてハルと出会ったのです。ハルは草食と肉食は仲良くすべきなどという偽善を一切口にせず、メロンが混血だと知った時も、誕生日を祝うのは普通だと誰に対しても言いそうな台詞を明るく語ります。メロンに好意を持つわけでも嫌悪感を持つわけでもなく、ただただそこらへんにいる「普通」の獣として彼を扱います。この対応こそメロンが激しく願ってやまなかった対応でした。そんな風に誰かに対応してもらったことは生まれて初めてだったのでしょう。当然、メロンはハルに恋をし、結果、メロンはハルを食べたくなるわけです。
私はビースターズを読んで以来、なぜハルはこんなにも支離滅裂で一貫性もなく何を考えているのかまったくわからないウサギなのか理解に苦しんでいたのですが、メロンに自分を食べていいという約束をし、それを実行するには、このような性格でないと不可能、つまり「博愛の食肉」が成立しないからなのだと納得しました。

漫画では描かれてませんが、おそらく、ハルはメロンとの約束を実行する段階で、再び「食べられてもいっかー」という気分になったんだと思います。メロンはハルが当たり前のように約束を守ってくれたことで、ハルへの愛が最高潮に達し同時に食欲もMaxに達していたでしょう、が、しかし、自分がハルを食べてしまうと、ハルはこの世から消えてしまうという事実に突然気づき、食べるのをやめます。
彼はこの時初めて「愛する」ということがどんなことか理解します。そして同時に自分が生きている限りいつかハルを殺してしまうことを明確に予感します。なぜならメロンは夫を食い殺したママの子でママに似ているから。
その後、メロンはハルを自分から守るために、つまりハルへの愛のために自殺を決意し、実行したはずです。
平等を理想としてきたはずなのに、愛を知り愛のために死んでいくアドラーとメロンの生き方はそっくりすべてがかぶるのです。

上記のメロンとハルの一連のエピソードは一切作中で描かれませんでした。でも、このエピソードが実際になかったからではないと思います。メロンは実際には自殺して死んでしまったのですが、その世界をレゴシとルイが変えてしまったのでしょう。
あの、ルイとレゴシが「世界を変えた」という何度も出てくるわりに具体的に何を言っているのかわからない不思議な表現、あれは本当はメロンとハルの一連のエピソードをすべて書き換えてしまったという意味なんだと思います。とくに、ルイがハルに電話をかけて「世界を変えた」という思わせぶりなシーンは意味深でしたね。
長々と書いてきました。一体何言ってるのコイツ?って思われて当然ですが(笑)、これがあまりに不可解なラストの真相だと思います。そういうわけで、漫画に描かれたのは、既にレゴシとルイによって変化させられた世界ということになり、無理矢理世界を変えたことによって、いろいろおかしな部分が残っているのだと思います。
多分実際の世界ではヤフヤも死んでます。レゴシはどうしてもメロンとヤフヤの命を救いたかったのですが、メロンの命を助けるにはハルとのエピソードごと書き換える必要があったのでしょう。メロンがハルを愛する限り、ハルを守るために当然メロンは自殺を試みるでしょうから。おそらく現在のメロンはハルの記憶がすっかり消えて、ただ、ハルが与えてくれた幸福感だけは残っていて、だからこそ独房の中で笑顔でいられるんだと思います。
メロンとハルのやり取りの一部始終を見守っていた裏市の住民たちは、本当はハルの犠牲的精神とハルを守り抜いたメロンの決断に感動して、裏市を壊し始めたのかなとも思ってます。

ハルがメロンに「自分を食べてもいい」と言ったのは、相手を愛していたからでも何か利益が得られるからでもなく、ただそこに自分を食べたい獣がいたというだけの理由からなのですが、魚肉ソーセージの件も同様に「博愛の食肉」と言っていいと思います。つまり、肉草戦争を解決した魚肉ソーセージも、今回の裏市に平和をもたらしたハルの行為もその本質はまったく同じということになりますね。もちろん、作者はあえてそう描いているのだと思います。ハルの行為は漫画では描いてませんけど(笑)

しかし、なぜ作者はメロンとハルの一番大事なエピソードを描かなかったのでしょう。描いちゃったら、メロンが完全にレゴシを食ってしまうからなのか?とも思いますが、わかりません。描かなかった以上、この作品を評価することは私にはできませんから星は三つにしておきます。

ここで、作者がメロンとハルの一番大事なエピソードを描かなかった理由はわからない、と書きましたが、本当はほぼ見当がついてます。
それは、私が5ちゃんねるで、先にこの予想を書いてしまったからでしょう。
読者に先読みされたものについては、どうしても描きたくなかったのだと思います。というのも、週刊少年チャンピオン2020年31号巻末の著者コメントでぱる先生はこんなことを書いているのです

最近の好きなものはお素麺、
嫌いなものはインターネットです!

なんと、「嫌いなものはインターネットです!」ですよ?
その少し前にTwitterでちょっと問題があったので、そのことを言っている可能性も考えましたが、そんな話をわざわざ蒸し返して寝た子を起こすようなことはしないでしょう。
5ちゃんねるのスレ、もっと言えば、私の一連のレスについて語った可能性は、「博愛の食肉」が描かれなかった点から考えると、かなり高いんじゃないかと思えます

しかも、ぱる先生の父親である、板垣恵介氏も、やはり同様に、読者に展開を先読みされて、ストーリーを変更したことがあるらしいんですよ(5ちゃんねる情報)

いや~でも、もう、本当に心底驚きました。だって、第二話でアドラーの話を描いているということは、連載開始時点からメロンの話を温めていたってことですよ?その一番大事な部分を描かないなんて、ぱる先生はなぜそんな行動を取れたのでしょう?自分のマンガの価値をこれ以上ないくらい下落させる行為なんですよ?
インターネットと言っても、当時の5ちゃんねるのBEASTARSスレはせいぜい二十人くらいしか住人がいなかったから、影響力もほとんどなかったのに……
ネット上でも「消化不良」だの「打ち切り?」だの「風呂敷を畳めない」だの否定的な意見がちらほら見られましたが、当然です。核心部が描かれてないのですから

私はメロンとハルの「博愛の食肉」さえ描かれれば、その他のいろんなおかしな点はもうどうでもいい、「博愛の食肉」ただそれ一点で、この物語は大傑作になるはずだと信じてました

それがこんなことに……

「お前さあ、自意識過剰にもほどがあるのでは?」という声が聞こえてきそうですが、私もこれが私のせいでないのならとても嬉しいです。他に理由があるならこっそりここで教えてほしいくらいなんです

ともあれ、理由がなんにせよ、ぱる先生が本来描くはずだったメロンとハルの「博愛の食肉」をあえて描かなかったことは確信してます。
あれが描かれなければ、「BEASTARS」が作品として体をなさないと言えるくらいの、超重要なシーンです。
「BEASTARS」のファイナルシーズンのアニメが今年ネトフリで放映されるようですが、アニメで補完してくれないだろうか?としぶとく期待してますので是非是非、世界中の多くのファンのためにも!!!

しかし、この「BEASTARS」というマンガほど、私が振り回されたマンガってなかったですね。アニメを見て期待が一気に高まり、マンガで続きを読んで一気に萎えて、そうか!「博愛の食肉」だったのか!と、再び一気に盛り上がり、しかし、それが描かれなかったことで驚愕し、困惑し……

週刊連載というものの醍醐味もたっぷり味わいました。全体の整合性など気にせず、その場の勢いとノリを楽しむというマンガもアリなんだなと、週刊連載の少年漫画を追ったことのなかった私にとって新鮮な経験でした

ただ、もうぱる先生の連載は追ってません。完結したら読もうかなとも思ってますが、先読みしちゃったら、またネットで書きたくなっちゃうかもしれませんし……
私にとっては、この世で一番不思議なマンガ家は、実は萩尾望都さんではなく板垣巴留さんなのです。正直、うさぎのハルのほうがまだ理解できるかもしれません(笑)





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