萩尾望都の「ピアリス」

ご存知ない方も多いでしょうが、萩尾さんはかつて「ピアリス」という小説を書いています。「The Sneaker Special」という角川書店の出していた季刊誌に1994年春号から1995年冬号まで4回にわたって掲載されました。ただ、当時は萩尾望都名義ではなく、木下司というペンネームで書いていたようで、著者の近況ページには、担当編集者(男性?)の顔写真を使っていて、コメントもこの方が考えていたそうです。萩尾さんは挿絵を描いていたので、萩尾さんの近況報告も別にあり、そこでは萩尾さんの似顔絵が描かれています。
「The Sneaker Special」廃刊と同時に「ピアリス」も未完ですが途中で終了しました。他の連載されていた一部の作品は「ザ・スニーカー」に引き継がれたようですが、「ピアリス」が引き継がれなかった理由として、「ピアリス」(河出書房新社)巻末のインタビューで萩尾さんはこう答えています
(インタビュー日 2017年5月12日)

――(笑)。4号で廃刊になったため連載も止まってしまいましたが、もし刊行が続いていたらお話も進んでいましたか?

萩尾 そうですね。もうちょっと先まで考えていたと思うんですが。半分まで考えた時に書き始めたんですが、ネタが自分ではすごく好きだったので、どこかに着地するだろうと思ってました。これは要するに難民の話、一国まるごと難民みたいな、そういう話を書こうと思ったんですが、ネタ帳がどこにいったのか……今となっては遠い霧の彼方です。誰か続きを書いてください。

――他の雑誌で続きを書こうとは思われなかったのでしょうか。

萩尾 『残酷な神が支配する』の掲載紙が、連載の始めは隔月刊だったのが月刊になって、時間的に追われるようになってしまったもので……。

4号で廃刊になったというのは、「The Sneaker Special」1995年冬号のことで、『残酷な神が支配する』の掲載紙というのは、「プチフラワー」のことを言っているのでしょう。しかし、「プチフラワー」が月刊化されたのは1984年で、1988年には再び隔月刊に戻り、以後は廃刊されるまで隔月刊のままです。つまり、萩尾さんは一度たりとも「プチフラワー」で二ヵ月連続して「残酷な神が支配する」(連載は1992年から)を描いたことはありませんし、「The Sneaker Special」が廃刊された1995年時点では、他誌で描いていた「あぶない丘の家」シリーズも終わっていて、むしろ逆に時間的余裕が出来ていた頃と思われます。1994年は「残酷な神が支配する」と「あぶない丘の家」シリーズを掛け持ちしてた上に「ピアリス」を連載していたのですから

ということで、こんな勘違いをするとも思えないから、嘘をついているのでしょう。「ピアリス」の続きを書く気がなくなってしまったのを責められたくなくて、誤魔化したかったのだと思います。多分、連載当時は読者からの反響もほとんどなかったのではないでしょうか?「ピアリス」の話自体も「半分まで考えた時に書き始めた」と語っていて、最後まで考えてなかったようですね。よくそれで連載を始めたなー

そんな「ピアリス」はなぜか2017年になって、大泉本を出した河出書房新社から、税別1450円で、ハードカバーで出版されたのですが、表紙にも帯にもどこにも「未完」と書かれていなかった上、萩尾さんも続きを書くつもりはないと巻末インタビューで語っていて、Amazonレビューで複数の方が不満を漏らしていました。当然のことでしょう
で、そのレビューの一つに「子供の性的虐待などこれが必要なのか理解に苦しむ部分も。」と書かれてあったため、ここに興味を持ち、図書館で借りて読んでみることにしました

男女の双子、ユーロ(男)とピアリス(女)が5歳で離れ離れになるシーンから物語は始まり、第一章と第三章がユーロ視点となっています

「ユーロ」
と、ぼくの妹が言った。
「うん、ピアリス」
と、ぼくは答えた。
そこは駅で、さわがしく、たくさんの人がいた。

「駅」ってなんだろう?って思って読み進めると

 これは、ぼくとピアリスが、アムルーのどこかの空港で別れたときの記憶だ。

というように、いつの間にか「駅」は「空港」に変化しているんですよ。だったら最初から「空港」って書いてくださいよ。もしかして空港には電車も走っていて、その駅があるのかもしれませんが、ここで「駅」と「空港」を正確に使い分ける意味がわかりません

次は修道院の教師との会話です

「きみは肌の変化がないね? おそらくきみはアムルー人だけど、地球人かエトランジェン星人との混血(ハーフ)なんだろうね」
 ぼくの心臓はのどもとまで飛び上がった。ぼくの自己証明カードの記載を思い出した。
『アムルー人。混血第一世代。推定』
そう書かれていたことばの意味を、今ぼくは理解した。

との記述の数ページ後で、この教師に対してユーロが質問します

「あなたは、アムルー人?」
「ちがうよ。でも昔、アムルーに住んでたことがある。だからすこしはアムルーのことは知ってるよ」
 アムルー人じゃない? なら、なぜ彼はぼくにキスするのだろう。アムルー人じゃないのに、ぼくは彼と結婚なんてできるものだろうか。

ちょっとちょっと、ついさっき、自分が「混血」と記載されてたことの意味を理解したんじゃなかったの? だったら結婚はアムルー人同士に限られないことはわかったでしょうに。そのくせ、男性同士で結婚することには疑問を抱かないようで……。
Amazonレビューにあった「性的虐待」は、ここで教師がユーロを裸にしてお風呂にいれたり、キスしたりするシーンを指しているのかと思いましたが、第三章で、もう少し過激な描写がありました。両方とも「これは必要なのだろうか?」と思える点は同じですが

第二章と第四章はピアリス視点の話です

ピアリスの住んでいる島は「海ぞいの道を急いで歩けば二時間半で一回りできるほどの大きさ」らしいのですが、一時間で徒歩4km歩くとしても、二時間半で10km。仮に円形の島としても面積は約8平方キロメートルとなり、どうしてここに「三百万から五百万の人間」が住むことができるのでしょう?
400万人の人間が住んでいると仮定して、人口密度はなんと2平方メートルあたり1人の人間が住む計算です……
とても真面目に数値を考えているとは思えません
この宇宙には地球人とエトラジェン人とわずかのアムルー人が住んでいるとのことで(驚くことにすべて交配可能)、身長数センチだったり、歩く速度が異常に速かったりするわけではないようです

こんな感じで、要領を得ない描写や突っ込みどころがいくつか見られました。大泉本で城さんが

 目を開けているのが辛くて辛くて、あまりに目の症状が酷い時には、「漫画家やめようかな、原作者になろうかな」って言い出したこともありました。私は「いやいや、萩尾先生の場合は、話よりも絵柄でしょう!」って。「あなたの原作で他の誰かが絵を描いても売れない、萩尾望都は萩尾望都じゃないとダメでしょ!」と言って、思いとどまってもらいました。

と書いていて、一見、萩尾さんを励ましているだけのように読めるのですが、その実、萩尾さんの原作ではダメダメって言ってるんですよね。城さんも(いつものことですが)、辛辣だなあと思ったのですが、「ピアリス」を読む限り、こう言われても仕方ないでしょう。未完でも一応最後まで読みましたが、これからどういう展開を予定していたのでしょうか?
少女のピアリスが「憎しみ」「暴力」「愛」という言葉を並べて語った時点で、これは私にとっては面白くなりそうもない話だなと感じました

最後に余談ですが、ららぽーと横浜の紀伊国屋書店で萩尾望都フェアが開催されていることを知り、どんなものなのだろう?と興味があったので、先日行ってきました。どうでもいい話ですが、ここのフードコートには、うなぎ専門店の世田谷宮川が入っていて驚きました

萩尾望都フェアの本棚で真っ先に目に入ったのが、真っ赤な表紙の「ピアリス」でした。この表紙には閉塞感を感じてしまい、どうも好きになれないのですが……。で、次に目を引いたのが、水色の表紙の「少年の名はジルベール」。これがなぜか平積みで置かれているんですよ。木原敏江さんや青池保子さんのムック本や山岸凉子さんの漫画、大島弓子さんの「綿の国星」も置かれていて、萩尾さんの作品だけが選ばれているわけではないのですが。
他には「萩尾望都と竹宮惠子 大泉サロンの少女マンガ革命」(中川右介、幻冬舎新書)や、もちろん「一度きりの大泉の話」も置かれていましたが、「萩尾望都がいる」(長山靖生、光文社新書)はどこにも見当たりません。
全部売れちゃったのかな?と思って書店の検索機を調べたら、そもそも最初から置いてなかったようです。例えば「一度きりの大泉の話」の場合は、検索機で通常の棚とフェア用の棚の二ヶ所が表示されるのですが、「萩尾望都がいる」の場合、通常の棚しか表示されないのです。で、その棚を見に行くと、置いてありました。つまり在庫はあるようです。Amazonにも在庫はたっぷりでした

いったいなんでこんなことが起こるのでしょう?
萩尾さんに詳しくない店員が企画したとしても、「萩尾望都」で検索してヒットした書籍は、とりあえずすべてフェアの棚に置く候補にいったん挙がると思うので、不注意から選別に漏れたとは考えにくいのですが……
それに、熱心な萩尾ファンの店員がいるようで、作品紹介のPOPがあちこちに貼られているんですよ、ということは紀伊国屋書店店員の独断で「萩尾望都がいる」はフェアの棚には置かれなかったのでしょうか?
だとしたら、英断だとは思いますが、それにしては、なぜ「少年の名はジルベール」を入れたのか?と疑問ですし、一店員がそんな取捨選択の判断をするというのも不可解です。書店側としてはそれがどんな本であれ、売れれば売れるほど利益が出るわけで、去年発売されたばかりの「萩尾望都がいる」なんて、表紙がポーやトーマ、銀の三角やビアンカなど、萩尾さんの複数の漫画作品で構成されていて、何も知らない萩尾ファンに購買意欲を持たせるのにうってつけの本でしょうに

それとも、ひょっとして、これは萩尾さんの指示なんでしょうか?
正直、あの本を萩尾さんが好意的に受け止めたとはまったく思えないのです。またどこかで萩尾望都フェアがあったら、「萩尾望都がいる」が置いてあるかないか、ぜひ確認してみたいですね

(追記)
日本漫画家協会の公式youtubeちゃんねるで、萩尾さんのインタビューが行われてましたが、ピアリスの続きは書かないんですか?との質問に

構想はあって ちょこちょこ追加を書いているんですけど まだまとまらなくて それと最後にちょっと大きなエピソードを持ってきたいんですけど それが上手くまとまっていないので もうちょっとかかります

と答えてました。「やる気はある」というアピールなのか、それとも本当に完成させる気があるのか、注目していきたいです

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