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萩尾望都と栗本薫の『ぼくらの気持ち』

これも例によって5ちゃんねるで得た情報です。この事件は竹宮氏との下井草絶縁後、一連の萩尾さんの行動を理解する上でかなり重要な出来事なんじゃないかと思います

栗本薫の作品は、グイン・サーガシリーズくらいしかまともに読んだことがなく、それも90巻くらいで脱落した私なので、正直、栗本薫がどんな人物なのかよくわかってません。グイン・サーガを読み始めたきっかけも、アニメなので、リアルタイムで追いかけてたわけでもなく、最初のほうを読んでいる頃に作者が亡くなってしまってとても残念でした。最も印象に残ったのは数十年前にアムネリスとかシルヴィアとか、よくこんな女性を書いたものだということですね、マリウスも良かったです。5ちゃんねるでは「温帯」と名付けられ、晩年は壊れてしまったかのように語られてますが、その件についても興味もなかったから詳しくありません。栗本薫氏の人となりについてもうちょっと私の中でイメージが固まっていたら、もっと突っ込んで書けるような気もしますが、まあしかたないです
栗本薫という名前はペンネームでこれ以外にも中島梓、京堂司などいろいろあるようですが、ここでは栗本薫で統一することにし、敬称も省略します

栗本薫の出世作といえば、『ぼくらの時代』なのだそうです。私の実家にこの本が置かれてて、ちらっと見て、文体でパスしたような記憶があり、今思うと読んでおけば良かったですね。で、このシリーズ二作目の『ぼくらの気持ち』が今回取り上げる作品になります。正直、ミステリーとしては大して面白くないです。その人物だけ描写がくどく、他にめぼしい人物がいないからすぐに犯人が誰だか見当がついてしまうし、殺害方法もそんなことが上手く行くわけないでしょうという偶然頼み。でもそこはどうでもよくて、『ぼくらの気持ち』で惨殺される被害者はなんと大物少女マンガ家なんです、つまりこれは、少女マンガ界を舞台にしたミステリー。以下、ネタバレになってしまうのでご注意ください。

被害者の花咲麻紀は年に2億5千万円を稼ぐ大物漫画家ですが、誰からも好かれてません。「性格破綻者」「浪費家」「アシにはケチ」「人使いは荒い」「威張りたがり」「自慢屋」「欲求不満」「へんくつで、妙に強情で、なんでもないことを徹底的に我を張って」「アシスタントたちにヒステリーだとささやかれて、美しくもなく、どうやら善良でもなかったらしく」と死んだ後もさんざんな言われようです。でも、この描写から、花咲麻紀のモデルに萩尾望都を想像する読者はまずいないと思うんですよ。

真に問題となってくるのは、花咲麻紀が「アシスタントのアイデアどろぼう」であり、「もはや自分の手で生き生きとしたストーリィさえ生み出しえなくなっている、枯渇しはてたヴェテラン・マンガ家」であり「自分ではとってた、なんて思ってなかった」「いちばん最近にきいたアイデアをそのまんま自分が考えついたと信じこんじゃう」「あとから、あれはわたしの、なんて云おうもんなら、すごい勢いで怒り狂ってた」人物だと描写されてる点です。そして、物語の最後で、花咲麻紀は他人のアイデアを盗むだけではなく、既存の作品をまるごと盗作していたことが露呈します。この盗作した作品はマンガ雑誌に載っただけで単行本に収録されなかったので、今までバレずにきたのですが、花咲麻紀の同意のもと、近く単行本に収録されることになっていて、そのことが事件の発端となるのです。この件に関して「麻紀という人はどう考えても、少しばかり性格破綻者で、盗作、という意識があったかどうかもわかりませんが、二年、三年たつうちに、これは盗作だからなるべく人目にふれさせずに忘れ去らせなくてはならない、なんてことを、すっかり忘れてしまったんでしょうね」「そう それに自分の作品にはすごく執着する人だったわ。単行本にならないものがあったりすると、たいへんなさわぎだった」と周囲の人たちが語るのですが、このあたりの描写は「花と光の中」とかなりの類似性があるように思えました。ご存知の方が多いと思いますが、萩尾望都作品集第I期という赤い表紙の全集が1977年から発売されています。この全集には萩尾さんのデビュー作「ルルとミミ」から「11人いる!」の続編「東の地平・西の永遠」(1977年)までの作品が収録されているのですが、この期間に描かれたマンガ作品でこの全集に収録されていないのは、原稿を紛失してしまった「あそび玉」以外では「花と光の中」ただ一作品だけなのです。よほど「花と光の中」を全集に入れたくなかったとしか思えません。
つまり、『ぼくらの気持ち』執筆当時の1979年は、「花と光の中」は雑誌を入手することでしか読めなかったマンガでした。その後、なぜか萩尾望都作品集第Ⅱ期に「花と光の中」は収録されることになるのですが、これは1985年のことになります

そんなわけで『ぼくらの気持ち』を読んで、他の読者はともかく、萩尾さんだけは自分のことを言っていると受け取ったのだろうと思います。一連の「盗作」描写は萩尾さんの地雷を直撃し、萩尾さんを激怒させたのではないでしょうか

ただ、一方で『ぼくらの気持ち』では実在の漫画家の氏名を元にしたと思われる漫画家たちの名前が出てきます。島尾美耶、四宮礼子、山際洋子、木村こずえ、青鹿秋子、大村道子はそれぞれ、萩尾望都、竹宮恵子、山岸凉子、木原敏江、青池保子、大島弓子を指すと思われます。つまり萩尾さんをモデルにした漫画家は物語内に別に存在しているのです。しかも、島尾美耶(萩尾望都)は作品内で高く評価されています。だから、萩尾さんが盗作漫画家花咲麻紀を自分のことだと捉えるのはちょっと無理がありそうなのですが、ここでの最大のポイントは、栗本薫が竹宮・増山両氏と親しくしていて、『ぼくらの気持ち』のあとがきに名前が挙がっている点なのです。「マンガについての技術的なアドヴァイスを下さった竹宮恵子さん、犯人になりたがった増山のりえさん、どうも有難う」とあって、ささやななえさんと「迷宮」の亜庭じゅん、伊集院乱丸、相田洋のみなさんその他大勢の方たちへの感謝も書かれています。これでは萩尾さんが疑心暗鬼に陥ったとしても無理がないでしょう。あとがきには一応「念のために云っておきますとこの作品はまったく架空のものであり。実在の団体、人物、雑誌等とは一切関係がありません。もし似ている点があるとしたら、それは純粋な偶然の所産であります。ホントよ。」と書かれてはいるのですが

栗本薫は『ぼくらの気持ち』を執筆する以前に、萩尾さんが漫画化した『ウは宇宙船のウ』(集英社文庫)の解説を中島梓名義で書いていて、これ以上ないほど絶賛しています。それ以前にも『テレビランド増刊イラストアルバム6 萩尾望都の世界』(徳間書店)で萩尾さんを褒めちぎってます。5ちゃんねるで「酔っぱらったみたいな評論」と批判されてましたが、私もここは完全に同意でした。褒め殺ししているのか?とすら思ってしまう歯の浮くようなお世辞の数々、その内容には首を傾げてしまいましたが、『ぼくらの気持ち』を執筆する以前、栗本薫の萩尾さんに対する評価は最高に高かったのです。前作『ぼくらの時代』では、主人公のバンド名を「ポーの一族」と名付けるほどでした

けれど、栗本薫が萩尾さんと交流した形跡は一切ないようです。対談したこともないようです。あれほど他の作家や文化人との交流がお好きな萩尾さんが、なぜ自分を激賞してくれた栗本薫とは何の接点も持たなかったのか?それはおそらく、栗本薫が竹宮・増山両氏と友人関係にあったからでしょう。大泉本には栗本薫に関してはとくに書かれてませんが、栗本薫と交流すると萩尾さんの言う「排他的独占領域」とやらに触れると考えて、徹底して避けたのかなと思います

では栗本薫は自分が避けられていると知って、可愛さ余って憎さ百倍という心境になり、わざと萩尾さんに当てつけて『ぼくらの気持ち』を執筆したのでしょうか?
竹宮・増山両氏からそれとなく自分が萩尾さんに避けられる理由を教えてもらった可能性はあると思いますし、「風と木の詩」と「小鳥の巣」との関連や、「みずうみ」にそっくりな「花と光の中」について萩尾さんが「昔から考えていた」と語っていることなどは聞かされたんじゃないかなと思います。そのことを知ったなら、ブラッドベリファンの栗本薫はおそらく萩尾さんに批判的な感情を抱いたでしょう

ただ、栗本薫はその後の1986年の『マンガ青春記』で好きなマンガ家の一人に萩尾さんを挙げているし、1991年の『別冊太陽』でも萩尾さんのことを高評価しているので、『ぼくらの気持ち』執筆が萩尾さんへの当てつけであったとはちょっと考えにくいんですよね。
一方の竹宮さん増山さんは、城章子さんの「見果てぬ夢」を読まれたはずなので、そんなふうに意地の悪い行動に出ないんじゃないかな?とも思うし(というか思いたい)、竹宮さん増山さんにそこまで栗本薫をコントロールする力があったのかも疑問です。そもそも栗本薫という人は漫画が大好きで漫画家になりたいと真剣に思ってたくらいなので、栗本薫が少女マンガの世界を舞台にミステリーを書くことは全然おかしくないし、少女マンガ界のミステリーなんだから、「盗作」ネタが中心となることも極めて自然なことだと思うんですよ。竹宮さん増山さんが情報提供として「盗作」関連ネタを栗本薫に語ったとしたら、多少は萩尾さんのことが混じってくるのは、彼女たちにとっては当然のことでしょう

一方、萩尾さんが『ぼくらの気持ち』に激怒したのは、ほぼ間違いないと思います。というのは、原稿を紛失して幻の作品との評判だった萩尾さんの「あそび玉」というSF短編、これが竹宮氏の「地球へ…」と一部酷似しているとの噂が当時のSF界隈でもちきりだったそうで(5ちゃんねる情報)、「地球へ…」の映画公開の直前に、まるでぶつけるかのように「あそび玉」が『少年/少女SF競作全集5』(東京三世社)で復刻されているのです。もちろん、主導したのはSF界隈の方たちでしょうが、当然噂は萩尾さんの耳に入っているでしょうし、復刻を許可したのは萩尾さんの意思です。

私はこの話を以前5ちゃんねるで知ったとき、あまり萩尾さんらしくないな、なぜこのような行動に出たのだろう?と実は疑問でした。萩尾さんは自分の作品がパクられて激怒するような人ではないと思っていたからです。人の作品を真似することにあまり抵抗のない萩尾さんが、自分がやられたからと言って怒るというのはちょっと考えられません。さすがにそこまでダブスタではないでしょう。というより萩尾さんのような性格の人が激怒するのは、自分自身あるいは自分の作品を攻撃されたときだけだと思うのです。そんなわけで、何か他に竹宮さん側が萩尾さんを怒らせるような事件があったのではないか?と漠然と考えていました

『ぼくらの気持ち』はミッシングリンクのように、その疑問にぴったりと当てはまりました。竹宮・増山両氏が栗本薫を焚きつけて、盗作漫画家が登場する『ぼくらの気持ち』を執筆させたのだと萩尾さんが考えたとしたら、自分が盗作者だと言われていると解釈するのは無理もないし、盗作の噂を流す者の首を絞めたくなるという萩尾さんが激怒するのは当然でしょう。そして萩尾さんは「本当の盗作者は私ではなくお前だ」とばかりに「あそび玉」復刻をあえて1980年「地球へ…」映画化にぶつけることを許可したのではないでしょうか。しかも、「あそび玉」はそれ以前の1979年にも「萩尾望都名作復刻会」という団体が復刻しています。その冊子が売られていたまんだらけオークションのコメントによると、コミケでの雑誌コピー販売は萩尾さんが直接FC代表に電話してやめさせていたそうなのですが、この復刻誌はその後に出版されているので、萩尾さんから承諾を得て復刻したのかもしれないとのこと、そしてなんとこの「萩尾望都名作復刻会」による復刻誌の出版は『ぼくらの気持ち』出版のおよそ一か月後なのです。タイミングが合いすぎです

繰り返しますが、実際に竹宮・増山両氏がどこまで意図的に関与していたかは甚だ疑問ではありますが、萩尾さんは『ぼくらの気持ち』を読み、背後に竹宮・増山両氏の悪意があると信じ、自分が盗作者だと批判されたと判断し、激怒したのだと思います。しかし、仮にそうだとしたら、その根本的な原因は萩尾さん自身が盗作問題に関して、自らの行動に疚しさを感じているからに他ならないと思うのです

1973年 下井草絶縁
1974年 「トーマの心臓」連載、盗作の風の噂
1975年 「ヴィオリータ」
1976年 「花と光の中」
1977年 「みずうみ」をブラッドベリ原作明記で漫画化
    「マリーン」を今里孝子原作明記で漫画化
1979年 6月『ぼくらの気持ち』出版
               7月21日「あそび玉」復刻 (萩尾望都名作復刻会)
1980年 4月『少年/少女SF競作全集5』に「あそび玉」再録
    4月26日『地球へ…』映画公開

こうして時系列に並べてみると、下井草事件からあそび玉再録までの一連の事件の裏にある、萩尾さんの心理が浮かび上がってくるように思います。
下井草で竹宮さんに「盗作」を疑われ(そのすぐ後に撤回)、「トーマの心臓」連載時も盗作の噂を流されたが、なぜか萩尾さんは「盗作」に神経質になるわけではなく、その後も「ヴィオリータ」「花と光の中」のような、既存の作品によく似たものを描き続ける。おそらくその行為を萩尾さんの言う「ド・マニア」たちから批判され、あえてブラッドベリ原作、今里孝子原作として作品を描くことで誤魔化すが、完全に安心できずにいた頃、『ぼくらの気持ち』に登場する盗作常習の大物少女漫画家の描写が自分への当てつけだと思い込み、激怒。「私は盗作者じゃない盗作者はお前だ」と言わんばかりに、「あそび玉」の復刻を許可、一年後の「地球へ…」の映画公開直前にも再録をぶつける。(以上、もちろん私の推測も入ってます)

大泉本を読み終えて、本当にこれだけなのだろうか?この本にはもっと決定的な何かが書かれてないのでは?と釈然としない感想を持った方も多いかと思いますが、ここまで書いてきて、私にとっての違和感の大半は解消されたような気がします。まあ、また新しい何かが発掘されるかもしれませんが(笑)

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