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現場はデータで溢れている

人生ではじめてお金をもらった仕事は、大学時代にバイトした、パン屋さんのレジ打ちの仕事だった。

レジ打ちの新人がまず覚えることは「パンの名前」と「値段」。
バイトになりたての当時、店長からは、こんなコツを教わった。

店内のすべてのパンを食べなさい。
味を覚えれば、名前も値段も覚えられる。

当時は遅番で入った時、売れ残りのパンを、お土産でたくさんもらうことができた。それらのパンを食べることで、店長が言っていた通り、パンの名前と値段を、少しずつ体で覚えていった。店で売っているパンすべてを食べ終えた頃には、すべてのパンの名前と値段が、自然と身体の中に入っていた。

もちろん、棚の掃除などを通して、パンの名前と値段を目で見てはいたけれど、やっぱり、味という感覚を通して、実際に身体の中に入ってくるデータは、不思議と強烈な記憶として残ってくれたのだった。

今思うと、これぞまさに、データストーリーテリングの力なんだろうなと思う。パンの名前と値段という単なるデータだけでは覚えられなかったけど、「食べる」行為を通して「味覚」という五感にデータが紐づいたことで、データを記憶として身体に覚えさせることができた。

店長は、きっと、そういうことを、それまでの経験で自然と学んでいた。

早番に入った時は、店内に香り立つ、焼きたてのパンの香りにとても幸せな気持ちになった。その香りを通して、お店のパン達と会話していた。
私はパン屋のバイトが大好きだった。

バイトを始めてから1か月ぐらい経つと、だんだん余裕が出てきて、お客様の顔が見えるようになってきた。

それまでは、レジを打ったり、パンを袋に詰めることだけで精いっぱいだったけれど、レジに並んでいる人たちを眺めながら、どんな人がどんなパンを買っているのかということに、目が行くようになった。

フランスパンが焼き上がる時間に必ず来店される常連さん。
毎日同じ時間に同じパンを買っていく、スーツ姿の男性。

新商品がでると、どんなパンか、お客様に聞かれることもあり、私の説明を受けて、じゃあ買ってみようかな、と言われると嬉しかった。

そして、これらはまさに、Visual Analyticsのサイクル(以下)の中の、Get dataのフェーズ。

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レジ打ちのバイトを続けていくうちに、常連さんの顔を覚えると、その人の生活スタイルや家族構成、嗜好などがなんとなく見えてくるようになる。雨の日、暑い日、寒い日など、天候によって売れるパンや客足に違いがあることも自然と学んだ。

こうやって、現場の勘と経験は磨かれていく。

だからこそ、現場の人は、仮に定量的なデータを持っていなくても、ある程度精度の高い分析をする力が、自然と身についているのだろうと思う。

ある日の夜。閉店まで1時間以上あったけれど、ほとんどパンは売り切れてしまい、お客さんは入ってくるのに誰も何も買ってくれないことがあった。既にパン職人さんは帰ってしまったので、新しいパンは焼けない。

その時、店長がポツリと言った。

「商品がなさすぎると、購買意欲が湧かないから、売れないんだよね。
これ以上売り上げは見込めないから、早いけど、もう閉店にしよう。」

売り切ることが素晴らしいと思っていたけれど、あえて売り切らないことのメリットもあるんだ、ということをその時初めて学んだ。

売り上げと天気の関係、新商品の売れ行きなど、データにすると、そっけない数字の羅列だけれど、そこにはたくさんのストーリーが隠されている。

こういった現場を全く知らない人が、このように生みだされた宝箱のようなデータ達を単なる数字と思ってデータ分析すると、たいていは、当たり前でつまらない結果(≒現場で使えないデータ)になってしまう。

1つ1つのデータは、よく見るとみんな違った表情を持っている。
生きたデータに触れられたから、私はパン屋のレジ打ちが大好きだった。

今の職場でも、営業担当者を通して、日々鮮度の高いデータに触れることができるから、ワクワクする。自分のチームが営業担当者のために探したり、加工したり、分析したりしたデータが、営業担当者に喜ばれ、成果にもつながるというのはとても嬉しい。単なるデータ分析だけでは得られない、現場ならではの一体感がある。

そういえば、KTはかつて、データドリブンの世界を、水に例えていた。

ラベルだけで捉えると、いつどこで誰が飲んでも、水は、いつも同じ味がして然るべき。でも、実際には、いつ飲むか、どこで飲むか、誰が飲むか、場合によってはその時の体調次第でも、味は違う。

データも同じ。その背景にあるものを知っているかどうかで、味わい方、感じ方がガラッと変わってくる。

私が、単なる数字の羅列としてのデータそのものを見ることに全く興味がわかないのも、きっとこういった理由なのだろうなと思う。私がワクワクするのは、あくまでも、現場で生み出された、イキのいい(データを構成する)素材達なのだ。

こういうことを考えると、データは生鮮食品であることを、あらためて実感する。実際、こないだ読んだ「データ分析人材になる。」という本の中でも、「データは集めた時点からどんどん腐っていく」と書いてあった。

採りたて野菜が美味しいように、データだって、採りたてのデータはきっと美味しい。だから、現場でデータ活用することが大事なのだ。

私が今の業務で、データ鮮度にこだわるのも、その価値観があるからこそ。
ただ、データセンターは現場にない。
だからこそ、現場の発信力を高めて、中枢を動かしていく必要がある。

現場で使われて初めて、組織のデータドリブンは加速度的に回り出す。
温め直しが必要な、時間が経って冷めたデータは、現場では価値がない。
ましてや、腐ったデータは使いたくない。

データは、現場にいくらでも転がっている。それを地産地消で鮮度高く調理し、現場のみんなに、熱々の美味しい状態で提供し、現場の改革につなげていくのが、DATASaberに求められている役割なんじゃないだろうか。

まだまだクリアしなければいけない壁は厚いけれど、少なくとも、私はそんな存在になりたいし、同じ志を持つ仲間たちと、そんな世界を作り上げていきたい。