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忘却の『週刊少女コミック』

さて、わたしは一体いつから少女まんがに親しんできたのだろうか。アラ還直前、少女まんが館創設23年目にして、自分の脳みそに挑戦してみた。


◎最初に買った少女まんが雑誌は……

わたしが最初に買った少女まんが雑誌は『月刊ララ』(白泉社)。ひとり近所の雑貨屋さん「とうぶつや」*へ行くと、店頭のラックにあった黄緑色の表紙、その美しさ(萩尾望都先生のイラストだった)が目に飛び込んできた。すぐさま「これは、買わなくては」と思って、買った……。

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この号は、『夏のおわりのト短調』(大島弓子)が巻頭カラーだった。大島弓子作品に初めて出会い、そのタイトルの語感のよさとイメージの広がり……よくわからないけれど、ふわふわした絵柄と、お話の奇天烈さが心に響いて、衝撃を受けた。

これは、中学卒業から高校入学までの春休みのことだ……と、長い間、自分では記憶していた。

が、違った。はるかのち、少女まんが館の蔵書で確認すると、『夏のおわりのト短調』は、『月刊ララ』1977年10月号掲載。隔月刊だった『花とゆめ ララ』の月刊化第2号。発売日は1977年8月24日だ。わたしが高校1年生の夏休み、16歳になったばかりの頃である。現実と記憶が一学期ずれている。

「母と『ポーの一族』」を書いてみて確信したが、少女まんが体験の記憶は、時間軸がねじれている。現実の時間と、記憶の時間が一致しない。一致しないどころか、いつのことか“もわもわ”として、いまいちわからない。少女まんが読書体験から、自分の過去を再確認するという作業になったりする。

で、もう一度。

そもそも、最初に買った少女まんが雑誌が『月刊ララ』1977年10月号のわけがない。

だって、『別冊少女コミック』1975年2月号掲載のポーシリーズ『エヴァンスの遺書』を読んでいたのだから。友達に借りた記憶もなく、この雑誌がずっと自分の部屋にあったので、自分で買ったのだ。これは……たぶん、間違えないと思う……(自信は……ない)。


◎1970年、小2の冬から「少コミ」を読んでいた!?

では、一番最初に買った少女まんが雑誌はなんだろう?

記憶では『月刊ララ』なのに、むかしむかし好きだった作品として『森の子トール』『空がすき!』(竹宮惠子)、『さすらいの太陽』(すずき真弓)、『ブルーインパルス』(ひだのぶこ)、『愛の泉』(細川智栄子)……が、すらっと出てくる。

とくに『愛の泉』は大好きで、主人公の朝子ちゃんを必死で真似して描いていたという記憶。夕飯時、「ごはんだよー」と祖母が大声で呼んだらしいのだが、わたしはまったく聞こえず、晩ご飯を家族みなと食べることができなかった……。

調べてみると、これらの作品は『週刊少女コミック』(小学館)掲載。『森の子トール』は1970年3〜7号、『空がすき!』は1971年12〜21号(第1部)、『さすらいの太陽』は1970年8月から1年間連載、『愛の泉』は1970年9号〜1971年26号……(ありがとう、ウィキペディアさん)。つまり、わたしが8歳6ヶ月ぐらいの小2の冬あたりから、10歳になる小4の夏あたりまで。

えっ??

『週刊少女コミック』を買っていたなんて、まるっきり覚えていない……記憶にございません。買った記憶が……。なのに、掲載作品を好きだったことは、しっかり覚えている。

ええっ??

当時は、フラワーコミックスはない。田舎なので、貸本屋もないし、小学生のみそらでティーンコミックス(若木書房)を買う、なんて芸当ができるはずない。まんがを貸し借りするような友達もいなかった。そもそも近所に同級生女子はいなかった。親戚にも同年代の女の子はいない。

ということは、少なくとも小2の冬あたりから、わたしは『週刊少女コミック』を買って読んでいたのだ。記憶にないのに!!


◎国会図書館で、天を仰ぐ

実は、これも『少女まんがは吸血鬼でできている 古典バンパイア・コミックガイド』(方丈社、2019年1月)のため、雑誌調査をしているときに、気がついた。『週刊少女コミック』が少女まんが館には欠落が多く、国会図書館に通って、調べた。実物を見て、なんだか、不思議な気持ちになった。

自分で買った記憶がないのに、『週刊少女コミック』の目次チェックをすると……知っている作品、好きだった作品が載っている……読んでいる、この雑誌。読んでいるよ、1970年の『週刊少女コミック』を! わたしは!! と。

1970年、小2のわたしは、やっとひらがながや簡単な漢字が読めるようになった頃だろう。身長だって1メートルを少し越したぐらいだったろう。小さい、まことに小さい。まさに女の子。その頃から、なぜか『週刊少女コミック』を読んでいた。

世は「人類の進歩と調和」のエキスポ'70の頃。夏休み、初めて新幹線に乗り、家族と団体旅行に参加して大阪へ。秋には三島由紀夫が割腹自殺……。鉢巻きした三島がバルコニーで演説する姿……。大阪万博も三島事件も衝撃的出来事としてわたしの脳内に格納されている。

そんな社会的風景が、リアルと映像の区別なくわたしの記憶にあるわけだが、それとは別にあるのがわたしの少女まんが脳。はつらつとした少年と少女の恋って……すてき……(『森の子トール』)、めっちゃきざでかっこいいタグ・パリジャン、パリってすてき(『空がすき!』)、兄と妹の恋のお話で兄がいる身としてはどきどきして……(『さすらいの太陽』)、異国の皇太子にみそめられちゃったらどうしよう……(『愛の泉』)、フィギュアスケートですいすいくるくるやってみたい(『ブルーインパルス』)と、当時、この作品群を読んでいた時の、どきどきわくわくした気持ちを、いまだに感じることができる。

『週刊少女コミック』1970〜1971年の表紙を見ても、懐かしい〜という気持ちはわかず、なんら思い出せないのに……。自分で買った記憶がまるでないのに……。

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◎母に買ってもらっていた?

推測すると、母が農協へ食材を買うために車に乗る。わたしは助手席に乗っておともする。母が肉や魚を買っている間、わたしはレジ近くの雑誌が並んでいる本棚をじっと見て、『小学二年生』『小学三年生』『小学四年生』**やら『週刊少女コミック』を手にして、表紙を見入ったり、立ち読みもしてたのだろうか? レジに来た母に「これ買って」とねだり、甘い母は当然のように買ってくれた、ということだろう。

そう、母は子どもに甘かった。本やまんがに関しては、とくに甘かった。母自身が本やまんがを好きだったこともあるのだろうが、わたしが「欲しい」といえば、すぐに買ってくれた。

そうか、だから、覚えていないのだ。「自分で買った」という行為ではなかったから。母に買ってもらっていたのだ(ありがとう、ありがとうよ、かあちゃん、すっかりご恩を忘れちゃって)。

そして、はっとする。1970〜1971年の『週刊少女コミック』には、萩尾望都先生の初期作品が発表されている。『ベルとマイクのお話』『塔のある家』『モードリン』『もうひとつの恋』『白き森白い少年の笛』……。

なんてこった! まるで記憶にない。

小2〜小4のお子さまだったわたしには、萩尾作品の感受性がなかったのか。上記の萩尾作品は、1976年発行の小学館文庫『11月のギムナジウム』、1977年発行の萩尾望都全集、通称「赤本」が初読と思っていた。わたしが中2〜高1(14〜16歳)の頃……。

うーむ、記憶が錯綜……先天性アルツハイマー……初潮前のわたし、と、初潮後のわたしは、同じ人間なのか?

子ども時間の不思議さ、よ。(つづく)

*とうぶつや  大人になって、だいぶだいぶたって、はたと気がついた。単なる音として覚えていた、近所の雑貨屋さんの名を漢字にすると「唐物屋」。遣唐使の「唐」じゃないか。7〜10世紀の中国……。ものめずらしいものが「とうぶつ」といわれていた時代があって、「とうぶつ」がおいてあるお店、ということで「とうぶつや」。少なくとも明治維新前にはあっただろうし、もしかしたら、江戸時代前からあったのかもしれないし、1000年前の平安のむかしからあったのかもしれない。由緒ある雑貨屋さんだった!? 確かに、農村に「少女まんが雑誌」は、ものめずらしい「とうぶつ」にあたるものだったかも……。
**『小学二年生』『小学三年生』『小学四年生』  この雑誌にずっと掲載されていたのが、谷ゆき子の『バレエ星』。掲載誌が学年誌ということで、少年まんが・少女まんが・青年まんが・女性まんがなどの各まんが界から見逃されていた谷ゆき子作品のひとつ。(少女)まんがの至宝のひとつだと思う。わたしも大好きだったが、記憶の底に沈んでいた。この学年誌群も「わたしは買った記憶はないけれど、(母に買ってもらって)読んでいたために、掲載作品を好きだったことだけ、記憶していた」系……である。2016年、少女まんが研究サイト「図書の家」さんが編集した『超展開バレエマンガ 谷ゆき子の世界』(立東舎)が発売され、再注目。以後、600ページを越す分厚い本、完全復刻版『バレエ星』『まりもの星 』『さよなら星』と次々発売され、人気再び。祝!

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