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茶話会(『天人唐草』(山岸凉子)のご報告。

さる6月22日に行われた「第十六回 小さな茶話会」の内容をご報告。

ご参加くださった10名のかたがた、どうもありがとうございました! お茶会の名のとおり、高田馬場のアトムまんじゅう、多摩の銘菓、ミルククリームせんべい(白い風船)、ポッキーなどお菓子とおせんべい各種、水羊羹、チーズケーキ、バタークッキー、あきる野の酒饅頭、きゅうりのぬかづけ……持ち寄りによるさまざまなお菓子と緑茶と黒豆茶をおともに、みなで和気あいあいと笑い声絶えぬ2時間でした。楽しかったです。感謝です。

『天人唐草』については、ウィキ先生をどうぞご参照ください。


山岸凉子先生の作品や単行本などに関しては、下記のページが頼もしいです。(「山岸凉子のカテゴライズの夜は更けて…」さん、どうもありがとうございます!)


茶話会時の録音のテキスト化を手動でちまちまやっていたら、だいぶ時間がかかってしまいました。表と抜粋という形にしてみました。




山岸凉子体験とその感想表(20〜70代男女12名)


若い人順に。
中高年の女性たち。
男性ふたりの感想も。


抜粋1 なんとか彼女を助けられないか、と、すごく頭の中で(考えて)眠れなかった(40代、女性)

N.T.さん●山岸先生は70代後半ですよね(御年77歳)。うちの母もそれぐらいで。それぐらいの女の人が言うには、女が生きるためには結婚するしかなかった。口を揃えてそれは言うんですよね。
 彼女(岡村響子)は結婚するしかなかったんだけど、抑圧されたせいで、うまく相手を見つけることもできなかった。だから、わたしも……あの、彼女(岡村響子)が助かる方法はなかったのか、とすごく考えたんですよ。ありとあらゆることを考えて、なんとか、彼女を助けられないか、と。すごく、頭の中で(考えて)眠れなかったりした。そういう思い出はあります。最終的にああなるまで……に。
 でも、それは、努力を怠ったんだろうな、って。だから、彼女は、努力の方法、ひとつさえあれば……。
 たとえば、彼女にいちばん相応しい方法は、おそらく、かわいいお嫁さんになるように努力することだった、と思うんです。それさえもできていなかったというのが、罪といえば、罪なのかな、と思って。悲しいけれど、しょうがなかった道なのかな、と。結局そこに落ち着いて。
 だから、話がすごく優れているということですよね。

T.W.さん●努力ってたとえばなんでしょう?

N.T.さん●男の人に気に入られるようにするために、男の人をちゃんと分析するだとか、そういうことをしないで。だから、すごく受動的なんですよ、彼女(岡村響子)。自分からぜんぜんなにも働きかけない。ただ、お父さんがこうしているから、こうしていよう、というふうに自分で何も考えないで、人に決められたことばっかりをなんとかしてやろうとして、それが自分に向いてないということもわからずに。ほんと、やっぱり、努力ですよね。足りなかったとは思うんです。
 わたしはどんなに考えても、彼女を助けてあげることはできなかったです。それはすごい覚えているんです。


抜粋2 ひたすらお父さんへの愛情を渇望して、それだけのための人生を歩んできたのかな(60代、女性)

Y.M.さん●わたしが天人唐草を読んだのは……いつのころか、ちょっとよく覚えてないんですけど、最初に読んだときは、すごい話だなって、思って。そんな刺さるということはなくて。
 うちは父親が地方で農家の長男で、わたしが長女で、だから、いつも長女だから、お姉ちゃんだから、って言われてたけど、反発してたんですね。わたしは親のそういう期待というものに反発してきた、あまり身近にいなかったんですけど(岡村響子のような人は)。
 成長して、いわゆる報道とかで、世の中にはこういう人たちがいっぱいいるんだって、こういうことが当たり前にあるんだな、ということがわかってきて。
 それで、今回、こういう会があるということで、改めて読んだんですけど、響子が父親に対して、あこがれ、認めて欲しい、愛情をずっと追い求めてきた30年の人生だったと思うんですね。父親からすごい抑圧があるんだけれども、抑圧に対してよしとして、受け入れてる。完全に拒否することもせず、抑圧を耐え忍ぶことで、自分の父親の求める女性になりたい、父親に認められたい、愛されたい、という思いでずっとやってきたと思うんです。
 それで、父親はどういう父親なのかというと、旧家の長男で、という。当然、家を継ぐ、ということなんだと思うんだけど、話の、まんがの中に、父親の旧家としての(姿が)あまりないというか。
 普通、自分がひとり息子で(その娘がひとりだけだったら)、あ、「おまえ、男に生まれればよかったのに」と思っていたんじゃないかな、と思ったり、「おまえはひとり娘なんだから、いいところのお婿さんを連れてきて、家をやってくれ」みたいなのがあると思うんです。
 で、そういうのがなくて、一応、就職先とか面倒はみますけれども、なんか、父親が、家族とか、家とかに、興味がない、関心がないのかなぁと。響子に対しても関心がないので、ただ、おとなしくおしとやかに、というんだけど、それも、自分も長男だから、後継だからこうしろ、と言われてきて、お父さん自身もそれを甘んじて受け入れ、奥さんのほかに、自由奔放な闊達な愛人を外に持っていたという……お父さん自身も言われてきたことに対する抑圧があって、それも受け入れてしまったけれども、それでよかったのではなく、お父さんもそう……。
 結局、娘に対しても愛情をかける感じもなく、関心もなく。で、娘のほうは、ひたすら、お父さんを理想の存在として追い求めるんだけど、認めてもらえないから、一生懸命、自分を抑圧して、なにしろ、お父さんに気に入られよう、気に入られようとやってきたんじゃないかな、と思うんですね。
 お母さんは娘にちょっとは愛情があったなと思うんですけど、「まぁ、響子ちゃん、おほほ」みたいなところが出てくるので、お母さんはお母さんなりに子供に愛情はあると思うんですけど、でも、娘の精神的自立を育てるということまではできなくて。
 それで、結局、響子はお父さんの理想に近づこうと思ってやってきたんだけれども、最後、お父さんは自分が否定してきたような女性のところで息をひきとったという。
 もう、そこで全部崩壊しちゃうわけなんですけど、響子がここまでくるあいだに、ちょっとは助かる道はなかったのかな、と考えたんですね。
 ひとつあるのは、中学生のころに、同級生にラブレターを出して、あれは、本人の自我の芽生えというか、お父さんへの抵抗のちょっとした表れだったと思うんですけど。
 それが、つきあうまでいかなくても、ちょっとよければ、もっとうまくいったのかもしれないけど。こてんぱんに、ありとあらゆる方向から当の本人から、向こうのお母さんから、自分の親からこてんぱんに言われて、全部芽をつぶされたので。そこでぺしゃんこになって、それで、就職先も、新井さんも、ちょっとわかんないんですけど、ちょっと家に一緒に帰ったり、送っていったりとか、もしかしたら、うまくいったかもしれないのに、そこもうまくいかなくて、最後は悲劇になってしまったっていうわけなんですけど。
 彼女がしあわせになる道ってどうだったんだろうと思うんですけど、自分のお父さんみたいな、あるいは、新井さんか、そういう人と結婚したらしあわせになれたのかなぁと思うんですけど。
 そうしたら、好きな男性とは結婚できたけれども、結局、新井さんも青柳さんみたいな人が好きかもしれなくて、お父さんと同じ道を歩んだかもしれないし。
 ああなってしまったあとに、ひとりで生活していくのは無理でしょうから、いまから何十年も前だから、あれだけど、施設、しかるべき施設に入って、だれかに世話をしてもらうということになるかもしれないんですけど、彼女の心に寄り添ってくれるような人がこれから現れるのか?
 そもそも、友だちとかもぜんぜん出てなくて、学校などで多少なりとも友だちとかいたんじゃないかなと思うんですけど。雑談したりとか、修学旅行の同じ班になるとか。そういう人が出てこないということは、彼女は、そういう人に目を向けていなくて、ひたすら、お父さんへの愛情を渇望して、それだけのための人生を歩んできたのかなという感じかな、と思って。
 これから、お父さんにかわるような存在の人が現れて、近くにいて理解してくれればいいんだけど、そういうことがむずかしかったら、どうなっちゃうんだろう……まだ、30歳ぐらいで若いのに、あと50年ぐらいどうするんだろうなぁとか、ちょっとそんなことは考えたりしました。


抜粋3 なんでここまでひどい目に遭わなきゃならないんだろう、主人公は(50代、女性)

M.M.さん●わたしはここに来る前に、復習でコミックスで一回読んだんですけど、(最初は)中学生ぐらいのときに読んで、衝撃的でもなんでもなくて、なんでここまでひどい目に遭わなきゃならないんだろう、主人公は、という感じがあったんだけれども。ただ、あの手のお父さんって、当時としては珍しくはなかったんだと思うんですよ。
 っていうか、同じころ、公民の教科書に載っていたことが衝撃的で。某会社で女性は35歳で退職させられる、っていうのがあって。35歳で退職させられたら生活できないやん、と最初思ったんですよ。だからあの当時だったら、女性がしとやかにして男に気に入られるようにして、結婚するのが最適解みたいな、生き方を押し付けられてきて当然っていうのはあったけど、当時わたしはそこまで考えてなくて、35歳だったら、普通、結婚しているだろうし、子供だったから、それが非常に問題であることに気がついていないおばかさんで、いまだったら、35歳で(会社を)追い出されたら……と思うけど、当時はそれが普通だったんですよ。
 だって、ほかにも新聞で、女性の制服をミニスカートにすると。なぜミニスカートにするかというと、年を取ったら、みなやめていくと。ミニスカート恥ずかしいから着てらんない、って(やめていく)。つまり、若い女性しか(会社に)置かない、年齢をいった女性を追い出す傾向が強かったんですよね。
 あのころ、女性は男に気に入られて結婚するのが最適解という教え方をする人が多くって、それ自体は否定できないとは思うんだけど、でも、当時としては恋愛結婚が普通なわけで、あれやられたら(響子ちゃんが)、中学の時、ラブレター出したら、っていう、あれ、トラウマだと思うんですよ。やっぱり若いころに、結婚と繋がらない恋愛を否定する親って多くなかったですか?
 わたしのまわりではけっこう多かったんですよ。でも、それしないと、最初の彼と結婚できないとするとどうするのか。この中の人に聞きたいんだけど、いちばん最初の恋人と結婚しましたか?
 いまでも、これはね、やっぱり、もしも、もう少しまともなお父さんだったら、救われていたんじゃないかなとは思うんですよね。わたしとしては。


抜粋4 女の人の恨み節だ、と。主人公は、凡百の被害者のひとりなのかも(70代、男性)

T.K.さん●それでは男の立場として(笑)、あのねぇ、『天人唐草』についてというよりは、僕は、山岸凉子さん系のまんがで、ああいう感じのお話ってけっこう多いじゃないですか。あの系列のやつを読んでいて、まぁ、山岸凉子さんに限らないともいえなくはないんだけれど、それでも、僕が最終的にいただいた感想というのがね、女の人の恨み節だ、と。
 だから、どういったらいいんだろうね。男の側からして、ああいうものを読んでくと、どうしても、男のほうにも言い分はあるんだぞ、になっちゃってくるんですよね。だから、あそこに出てくるような、ちょっと古風を踏み外したようなお父さんにしても、あのお父さんが育った時代と社会性を考えたら、そんなに外れている人ではないんだよね、うん。
 だから、時代、社会性、と、あの人が生まれて育った環境までを考えると、まぁ、主人公は被害者は被害者なんだけど……たぶん、凡百の被害者のひとりだったんだろうな、という気がするんだよね。

(ほかの女性たち)
 すごいですね、凡百の被害者っていうのは、、、。

 確かに。

 それは、すごいわ。言葉として。

 だからこそ、みなさんに響いた。特別な主人公じゃないんだ、っていう。


抜粋5 いちばん初めに感じたのが、怒り。気持ち悪いなって感じを抱きました(20代、女性)

S.H.さん●1998年生まれなので、たぶん、自分が育った時代とは違う話として読んで、いちばん初めに感じたのが、怒り、ですか。めちゃめちゃイラついた。主人公にもですけど、社会というか、父親、会社の人、お茶っていってくるおじさんにもイラついた。そこにイラついたっていうのがいっこあって、そういう時代もあったなんだぁっていろいろ聞いていたんですけど、すごいやだな、って、気持ち悪いなって感じを抱きました。
 途中で出てくるちゃらい同僚の男の人(佐藤さん)、あの人(の言葉)がもし響子さんの心に響いていたら、すごく変わったのかもしれないな、とは思って。響子さんにも反抗期が必要だったんじゃないか、と。なんでも、はい、はい、というんじゃなくて。
 でも、なんで、響子さんがはい、はい、というようになったかというと、お父さんにいろいろ言われて恥ずかしい、みたいな感情が生まれたからなのかな、というのと、お母さんを見てたから、という。お母さんが、響子さんが結婚したらなる姿だと思うんですよ。
 抑圧が最後、全部なくなっちゃって、それで、本人的にはああなったのかな。でも、本人的にはああなれてよかったんじゃないかな、と。

(ほかの女性たち)
 ある意味、ハッピィエンド。まわりはこまるけど。

 空港のスタッフがね。

 美容院の人もめっちゃ戸惑ってましたもんね。

 まんが表現として素晴らしいのよ。すごいよ。


抜粋6 レイプぐらいで、ここまでなる? 女性が、あまりに女性的でありすぎるための傷だったのかなぁ(40代、女性)

T.W.さん●わたしは読んだころが幼すぎて、小学3、4年生のころで、レイプされたってことが理解できなかった。転ばされた、とか。単に痛い目にあっただけなのに、どうして?って。
 自分もその後、お色気まんがブームとかあったりして、あとで、ああ、そういうことだったの、と気づいたときに、正直、わたし、図太い性格なせいか、レイプぐらいで、ここまでなるっけ?みたいな。のがあったんですよね。
 その後、『河よりも長くゆるやかに』(吉田秋生)に、
「レイプされたことがあったの」っていうセリフがあって
「犬に噛まれたと思って」といわれて
「犬に噛まれたことを忘れられるの?」っていう。
 逆に、犬に噛まれたことを忘れない、っていう、そういうタイプの女性もいたってことで。響子さんの狂いぶりは深いな、と。
 女性が、あまりに女性的でありすぎるための傷だったのかなぁと。自分としては、あまり、響子さんには共感しずらい。
 けど、わたしの育った石川県の農村寄りのところでは、やっぱり、響子さんみたいな女の子がいい、という、あるべき姿というのはあって。勉強なんてしなくていいから、おとなしくあって、というふうに。
 でも、わたしはそうじゃなく育ったので、そうじゃなくてわたしはいいんだ、と思えたっていう。ある意味、自分のプライドを保てた作品。自分は自分でいいと思えた作品。ワクチンみたいな。そう、自由にしていていいんだ、っていう。田舎で言われるよしとされる女の子じゃなくてもいいんだ、という。よしとされる女の子でいると、こんな目にあうよ、っていう。
 過剰適応ですよね、一種の、響子さんは。そうじゃなくて、わたしはわたしでやるんだ、とパンクに生きたほうが、まだ、ましなんだよ、それで傷つくことがあっても当たり前なんだよ、って。
 昨日読み返して、佐藤さんに響子さんが「あんた見栄っ張りだ」といわれて。わたしもいま同じような目に遭っていて、パートはじめて毎日怒られて、ぐしゅぐしゅってなってるんですけど。全部うまくいく、みたいに思うのは全部見栄だよ、って言ってくれる人(ありがたい)。こういうシーンをさらって描ける、ヒーローとして描いてないけど、サラッと描ける、山岸先生の描写ですね、きらきらのヒーローとしては描かないけれど。

S.H.さん●佐藤さん、すごいですよね。ほんとにヒーローだったら、最後、響子さんを助けているわけじゃないですか。でも、助けない。だけど、彼女が助けを求めてないから、普通に、試験に受かって(違う部署に)いっちゃう。

T.W.さん●まんべんなく優しい人だった。あれが、響子さんだけに優しかったら報われていたんですけど。救う力が強すぎて、神になれないというか。


抜粋7 こういうものを抱え込んだ女性たちとずっと生きていくんだな、と。その覚悟を持たされた衝撃……(60代、男性)

nakano●あまり言うことはないんだけど、初めて読んで、やはりすごく衝撃的で。それは思いもしなかったということではなくて、イっちゃうんだ、っていう。あの時代の、表からは隠されていたけれども、現実としてすごくあったこと、あそこに出てくる登場人物全員、岡村響子もそうだし、お父さんお母さん、同僚たちもそうだし、レイプ犯にしても、あの時代、普通にいた人たちが、普通にやっていて、その結果が、女性に重くのしかかってくるわけで。
 同世代の女性は、岡村響子的でない人も、多かれ少なかれそういうものを抱え込んでいて、こういうものを抱え込んだ女性たちとずっと生きていくんだな、と。その覚悟を持たされた衝撃。そういう感じで読んで。
 あれから、空港に行く度に、響子さんがいるんじゃないか、実際いるわけないんだけど、どうしても、その映像が頭をよぎってくる。それと山岸凉子子の茶話会をやったとき(2013年6月)、『日出処の天子』などをやったんですけど、そのとき、Twitterで「岡村響子」さんがフォローしてきて、え、どういうこと?と思って、そのアカウントに飛んだら、ツイートがぜんぶ「キェー、キエー」だった。何年かして気づいたら、(アカウントが)消えてました。

(ほかの人たち)
えーなにーそれー(笑いとどよめき)


茶話会の最後に


男の都合いいように生きろよ、と言われているんだよ、あなたは、と。(40代、女性)

T.W.さん●あの時代の、響子さんみたいな、状況におかれたリアリティの話を聞けて、ほんとああ、きびしかったんだ、って。ちょっと手を上げるとか、やだ、とかいうのだめだったんだ、って。そういう時代もあったんだな、と。そのあとまわりの女の人に取り込まれるっていう危険もあったのかなと。
 青柳さんはパンクになっちゃう、っていう。むしろあの人は、わたしの世代というか、ギャル、ギャルがおたくにやさしくしてくれる、みたいな。
 あれ、搾取の物語なんだよね。ふと気づくと搾取されているかもしれないという。女性として搾取されている。そういう話が山岸先生は多いかな。男の都合いいように生きろよ、と言われているんだよ、あなたは、と。

 S.H.さん●意思を持つな、と。意思をも搾取されている。

(ほかのかた)
  自主性をつぶされる。

 T.W.さん●読み返して、お見合いしたときに、どこでもいい、だれでもいい、って態度、それ、いま、男性に多い態度なんだよね。(女性に)あわせるとか。
 男女問わず自分が傷つかないように、というのがやさしさだ、丁寧さだ、というのがよくないんで、ちゃんと自分が選んで、自分が傷ついて、あ、ごめんなさいね、といって、ちょこーんとしたり、また、がんばろうって思ったりするのって、ほんと大事なんだって。
 これ、作者も突っ込んでるんですよね。依頼心と甘えがあったって。これは男女問わずで、人間関係の話を描いてるなという部分もある、と。勉強になる、すごく。


リアルタイムで読んだ人の身に迫った感情、聞けたんで、時代変わったなぁって身に染みて感じました。( 20代、女性)

S.H.さん●すごく時代を感じたな、と。いまでもジェンダー観にイライラすることはめちゃめちゃあるんです、まだまだ。男性の言うことがいちばん、みたいなところはあって、同じ人間なんだけどなぁとは思ったりする。わたしの世代がリアルタイムでこれを読んでいたら、売れなかったと思うんですね。ボツになっていたと思うんです。リアルな話なんだけど、どこかありえないこと、ファンタジーみたいな

(T.W.さん●(異世界)転生ものみたいな?)

 そうそう、すごく、田舎の大貴族の家に……。

(T.W.さん●あの、因習村の話として描くならわかる)

 だから、リアルタイムで読んだ人の身に迫った感情、聞けたんで、時代変わったなぁって身に染みて感じました。


社会性にしろ何にしろ信念だとか自分の本能だとか思ってるもの、果たしてほんとうに自分のものか? (70代、男性)

T.K.さん●(女性がいつから下着パンツをはきはじめたか? 白木屋の火事からという通説はほぼ嘘で、第二次世界大戦中のもんぺがきっかけだったということを調べた本(『パンツが見える。 羞恥心の現代史』(井上章一・著、朝日選書、2002))のことを話題にしたあとで)……
 俺たちは女の人の(下着パンツ姿を)見ると興奮するけれど、いつからそんな性癖を埋め込まれたんだろう?って。さっきもいったように戦後、女性が下着パンツをはきはじめたとしたら、ぼくらは戦後、そういう性癖を埋め込まれたということになる。
 ということは、いま、われわれが持っている感情などいろいろなものは、外的要因で条件づけられたもの、ばかりじゃないのか、ということになるんですね。社会性にしろ何にしろ信念だとか自分の本能だとか思ってるもの、も、果たしてほんとうに自分のものか、と。
 最終的に行き着いた著者の答えは、男もいろんなものに左右されている、ということだったんだよね。

(ほかの女性)
 また、災害と戦争が日本に押し寄せてきたら、男を大事に、男の人に前に立ってもらうために、言うことをきこう、みたいな、になるんじゃないか。


M.M.さん●息子と同じ年ごろの人の感想を聞いて、ファンタジー、って確かにそうなんですよ。わたしたちの世代って、男の人からつきあってくださいといわれて、つきあうということが多かったと思うんです。自分からつきあってください、といってつきあっていた女の子ってあまりいなかったと思うんです。だから(響子ちゃん)しかたがないと思うんです。
 以前、知り合いが10歳年下の女の子につきあってくださいと申し込まれて、断ったら、なんでわたしとつきあってくれない?といわれて。その話に驚いた。いまだったらストーカーですよね。


響子がなにもできなかった、それをあまり責めないで欲しい。(60代、女性)

Y.M.さん●このお話の設定は古い時代の日本の社会だから、いま、リアリティがないというのは、しかたがないんですけど、こういう親子関係というのは、いまもいっぱいいると思うんですよね。
 家父長制度みたいなのは昔に比べたら薄れてきているのかもしれないけれど、親が子供を自分の言う通りに育てたりとか、自分の思う通りに育てたいという親はいっぱいいて。結局、それに抵抗しきれない子もたぶんいっぱいいるんじゃないかと思う。
 虐待を受けたとしても、やっぱりお母さんが好きだから、失いたくないというのもあると思うんですよね。響子がなにもできなかった、それをあまり責めないで欲しいというか。変わりたくて変われる人はいいんだけれども、どうしても変われない人もいるわけで、響子もお見合いがだめになったあたりから、自分はこのままではだめだ、とわかってはいるんだけれど、もう、どうしていいのかわからなくて、頭抱えている。そこで、一筋の光でもあれば、なにか違ったのかもしれないけれど、変わりたいけど、どうしていいかわからない、というのはあると思うので。
 自分自身も家族のこととか身内のこととか心配事を抱えていて、どうしていいかわからないと悩んで、でも、自分は一生懸命やっている、でもまわりからはわからない。そんなようなことがあるなということが、響子の場合もあって、わかってあげてほしいな、と思いました。
 娘いるんですけど、娘の友だちのお母さん、なんとか娘を自分の思うように育てたい、進学校にいれて、みたいな、すごく一生懸命なお母さんがいて、ちょっと娘さんがうまくいかなくなったときに、やっぱり、(娘やほかの人たちの)話を聞き入れない。もう、これがいいと凝り固まってるから、話を聞き入れない、という。そのあとお子さんががんばって自立の道をみつけていけるのか、どうしようもなくなっちゃうのか、は、もう、神のみぞ知る。
 親に負けずにがんばってください(といいたい)。まわりもそれを温かく見守る。で、サポートできるところは、上から目線じゃなくて、その人の気持ちに寄り添ってサポートする。そんなことができる人、社会になったらいいなと思いました。


Y.I.さん●おもしろかったです。世界はがんこにかわらないところと、流動的に変わっていく流れとあるんだなと。みなさんのお話を聞いて思いました。変わっていってほしいな、と思う希望だけは失いたくないな、と。


Y.K.さん●若いかたたちと同年代のかた、男性のかた、若いかた、いろいろなかたの意見(が聞けてよかったです)。女性であるが故にいろいろやなめにあっていたりすること、男の人にほんとわからない。みんな、さわっちゃいけないこと、とか、あるよね。治せないのなら、かさぶたをはがしてはいけない……と思いました。


力が弱くっても、強い心を持つことは可能だと思う。(40代、女性)

N.T.さん●なんか、あの、時代によって受けとることがすごく違うんだな、と。『天人唐草』の響子さんは、わたしの母親と同じぐらいの世代と思われます。うちの母親というのは、けっこう先進的なタイプで、社会活動をするタイプ。子供をデモに引っ張り出してシュプレヒコールを唱えさせられるような。そんな小学校時代をわたしは送っていた感じだったんですね。ウーマンリブ、とか。1970年代に30歳ぐらいの人だったんで、ウーマンリブ、女性活動をばりばりやっていたような人だったんですけど。
 40年ぐらい前、まだ、わたしが小学生の頃、その母親が、夜ひとりで歩いていたら暗がりに連れ込まれて、レイプされそうになったと。でも圧倒的な力でもうなにもできなくて「助けてください、助けてください」と言うことしかできなかった。
 そういうことを、子供のわたしに涙ながらに言った。どれくらい屈辱的だったのか、だれにも言えないから子供にしか言えなかったのか。娘であるわたしにしか吐き出し口がなかった、いま思えばそう。わたしはそのときアホでなんにも言えなくて、へぇそうなんだ、って。
 どんな強い女性といわれても、完全な武力の前では無力なときもあるし、強ければ強いほど折れたときが脆いってあると思う。
 暴力はなくならないもので、理不尽な暴力ってどこでもころがっていて、もし、暴力にあってしまった場合、折れない心を持つにはどうしたらいいか、っていうことを考え続けることはできると思うんです。
 力が弱くっても、強い心を持つことは可能だと思う。そういう強い心さえ持っていれば、響子さんみたいに狂気に逃げることもないと思うんです。
 だから、どんなひどいことにあっても、ちゃんと自分を持ち続けること、そういう人生を見つけられるといいな、と、今日久しぶりに再読して、みなさんのお話を聞いて、思いました。


あの作品は当時としては革命、いまでも、名作。今後どういう革命がまんがの中でおこっていくか。(30代、女性)

M.Y.さん●やっぱり、あの作品は当時としては革命、いまでも、名作として残っていくし、今後どういう革命がまんがの中でおこっていくか、が気になるなぁって。レイプされたあとで、どう女性が行動するか、警察なり、アフターピルなり、どういうことに気をつけたらいいか、今後、まんがの世界でも、もう少し描いていったほうがいいんじゃないかな、と。
 韓国ドラマだとそこそこ描かれていて、ということをSNSで見て。レイプされたあとに、つらかったね、と友人と過ごして、数日後、お医者さんに行ったら、なんでもっとはやく来なかったんだ、と言われるっていう描写があるっていう。
 日本ではドラマでもまんがでもまだまだ……学校じゃ教えてくれないし。今後は教えていくべき、だまっちゃう気持ちもわかるけど、今後、そういう目にあったらどうするか、(そういうことがどんどん描かれて)生きるための糧にしてほしいな。


親が死んだからこそ、あれができた。(50代、女性)

H.K.さん●話がすこし戻っちゃうんですけど、ある意味、親が死んで自由になったていう面があるんだな、って。親が死んだからこそ、あれができたかなっていう面もあるかな、っていう。たとえば、順番が逆になっていたら、レイプが先で、まだ、お父さんが生きていたら、ああはできなかった、

(ほかの女性)
 響子さんが解放されるときはこなかった、

 親が死ぬってことは、解放ですね。

 お父さんが死んだ後、レイプがなければ、別の道にいったんじゃないのか、とは考えました。ファッションに目覚めて。狂わないで。

 『天人唐草』のあとに描いているのが『雨の訪問者』(『月刊セブンティーン』1979年7月号)。ふりはばすごくない?


以上です~。


おわりに……

 『天人唐草』の茶話会をやろうと思ったのは、わたし(ooi)自身が、大人(社会人)になってから読んだものの、衝撃を受けた作品である、ということがひとつ。
 もうひとつは、少女まんが館をはじめて、少女まんが好きのある人から「岡村響子」という名前がするりと出てきて、『天人唐草』の衝撃はわたしだけじゃなかったのか、と気がつき……。
 さらに、娘のPTAの会合で、となりの席にすわったお母さんから「少女まんが? あの、キェーっていう、叫ぶまんが、タイトルも作者も覚えてないんだけれど、すごく印象深くて、わかります?」「ああ、それは『天人唐草』ですね」というやりとりをしたことがあり、同世代にとって、この作品の衝撃は、深く広いのでは?と思ったのと……。

 無事、茶話会を終えて、20代から70代までの男女のさまざまな感想を伺うことができて、時代により、世代により、また人により、それぞれだなぁ、いろいろだなぁと感じ取れたことが、よかったなぁと思っています。


当時の少女たちの「少女まんが的世界観、信念体系」を真っ向から揺さぶる問題作品だったのか。

 ちょっとこむずかしいことを考えると、1970年代からの少女まんがの世界は、作品を生み出すのはほぼ女性になったけれど、男性のみが編集制作サイドにいて、作品のよしあしを判断していたわけで。つまり、男性がよいと思う女性像が大前提にあったということ。その大前提を真っ向から否定する作品が『天人唐草』だったのではないか、と。かつて中野がいっていたことですが。
 なるほど、作家と編集サイドという関係を考えるとそうだし、「少女まんがの世界」の暗黙の了解は、(初)恋が実ってゴールイン(結婚)がしあわせ、みたいな世界。その世界観を信じていると、少しボタンがかけ違えばこんなふうになるよ、と『天人唐草』は提示した。むごい(あ、いや、いまは深い愛を感じます)。 当時の少女たち(わたしを含めて)の信念体系(人生設計か……)を揺さぶる問題作品だったのかと、いまさら気づきました……このあたりのことは、もうしばらく考え続けたいと思っています。

 あとで、娘(中島みゆきファン)と話していて、音楽の世界におけるユーミン(松任谷由美)と中島みゆき、少女まんがの世界における萩尾望都(先生)と山岸凉子(先生)、は、なにか似てるかも、と。圧倒的実力(表現力)と影響力の度合いが同じぐらいすごいけど、存在として、陰陽の関係のような……。

 また、現在放映中のNHK朝ドラ『虎に翼』を見るにつけ、このようなドラマがお天道さまのもとで放映される時代になったということに、ええ時代になったやも、という気持ちがいたします。(ooi)


(この作品を生み出し、世に送り出してくださった山岸凉子先生と関係者のみなさまに、御礼申し上げます)




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