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追悼 「ふたりは恋人」みなもと太郎先生の少フレ表紙14冊

みなもと太郎先生のご冥福をお祈りいたします。

昨日、少女まんが館に来館された常連のIさん。みなもと太郎先生の『ふたりは恋人』を読みたいとのこと。単行本が出ているはずと。たぶん、あると思うのですが、探し出すことができず……。申し訳ないです。

なので、初出誌の『週刊少女フレンド』(少フレ)をご紹介いたしました。創刊号から70年代末まで、2階の本棚3つに平積みになっているので、見やすいはずだと思い……。

わたしは少フレに縁遠く、不勉強で知らなかったのですが(みなもと先生のまんが作品をひとつも読んでいない……『マンガの歴史』は熟読しました)、昨日夜半、『ふたりは恋人』を初めて拝読。

なんという前衛的な抒情派ほのぼのファンタジー&ギャグまんがなのでしょう! 1960~1970年代初頭の空気感満載。今も新鮮! ファッショナブル! おもしろい! 個人的に飾り罫に興味があるので、さまざまな飾り罫を使った表現に驚きました。すごいっ。

Iさんいわく「トシコ ムトーの『小サナコイビト』、たぶん、この作品に影響を受けたのが『小さな恋のものがり』(みつはしちかこ)、この流れにある作品が「ふたりは恋人」だと思う。一種のオマージュという感じ。ぼくはとても好きです」と。

わたしも、読後、しあわせな気持ちになりました。

消えていった少女雑誌に多用されていた各種飾り罫が、あれやこれやそれやあたらしいものも、たっくさんの種類を使っていて……枠線として、あるいは単にデザインとして。見飽きない……。少女雑誌へのオマージュも感じました。

Iさんが見たかったものは、みなもと先生のカラーページとのことでしたが……。ツイッターで話題になっていた、カラーインクを少女まんが界に初めて導入したのはみなもと太郎先生らしい……という話。

「ふたりは恋人」は、『週刊少女フレンド』1971年34号(8月17日号)から連載が始まっています(最初は3ページ)。クレジットには作画グループの名も並記されていました。「みなもと太郎」だけの場合と、「作画グループ」並記の場合があるようです。以後、2年半ほど毎週掲載されています。

1974年10/11号(3月5日/3月12日合併号)を最後に、次回は『週刊少女フレンド4月号増刊』』に掲載予定とはみだしに書いてあります。最終回は10ページ、『週刊少女フレンド増刊』1974年12月25日号でした。

『ふたりは恋人』は、『週刊少女フレンド』1972年末から1973年初頭の表紙を何度も飾っています。当時、とても人気があった作品のひとつなんですね。女ま館蔵書で確認できた『週刊少女フレンド』のみなもと太郎イラストの表紙を古い順にご紹介します。

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確かに発色がよくて、なによりデザイン的にとても凝って描いていることがわかります。見れば見るほど、味わい深いです。シリアスとギャグ絵の混合は、現在ではあたりまえですが、当時は、ほんと前衛的だったのはないか、と感じます。

この頃の少フレの表紙は、アイドル(ひできやごろーやひろみなど)、里中満智子先生、大和和紀先生、細川智栄子先生、神奈幸子先生など、そうそうたる大御所が表紙を飾っていました。なので、そうとう、異質です。しかも……小学生?とはいえ、はだかなんですけど……みたいな。

みなもと太郎先生の偉業を、少し理解しました。少年まんがをほぼ読んでいないので、よくわからなかった……すいませんでした! おそいわ……。

閉館間際、「『風雲児たち』は、まんが読みとしては読んだほうがいいですよ」と、Iさんに熱弁をされて、そうか、読んでみよう、という気持ちになっています。




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