山のために死んでもらった親族
何年も会っていない親類から便りがあった。
伯父の10周年記念を行うから、久しぶりに田舎に帰ってこないかとの便りである。
「もう10年にもなるか・・・」
冬の夜、つくづくと感慨にふけった。
伯父伯母たちにはいろいろと世話になった。
というのは、サラリーマン時代に、何度か死んでもらったのだ。
本人の了解をとったわけではないが、「伯父が死んだので田舎に帰る」という理由で有給休暇をもらい、平日の日に山に登ったものだ。
親に死んでもらうと慶弔休暇がもらえるが、香典まで話が広がるのでそこまでの勇気はなかった。
上司からは「何人くらい伯父伯母がいるのか?」と尋ねられたが、多産系のためたくさんいるのだと答えておいた。
今から思えば、古い古い昔の話だ。
その休暇を利用して登った山のひとつが、尾瀬の燧ケ岳だった。
写真を見ながら回想する。
早朝、御池から燧裏林道に入り、湿気のある地面と石のゴツゴツした登山道をひたすらに登る。
ブナやツガの森林を抜けると、木道が続き、湿原広沢田代に出た。
ワタスゲの白い穂が緑の草原いっぱいに広がり、さわやかな風に揺れている。
地唐が日の光を反射してキラキラと光っていた。
食虫植物モウセンゴケが水滴をまとってたたずんでいる。
キンコウカが風に揺れ、真上から見ると星のような形のタテヤマリンドウも咲いていた。
燧ケ岳頂上からは、沼尻の小屋と木道が箱庭のようだ。
目を上げれば、女峰山や男体山の日光連山が山の端を青空に浮かばせている。
尾瀬ヶ原が至仏山のふもとまで緑のじゅうたんとなって連なっている。
白い木道と、川筋に沿った濃緑の木の筋が、草原の中をくねくねと伸びていた。
山旅の思い出・・・・はるかな尾瀬、遠い空・・・・