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京極殿三國志(仮・ 1

度重なる災害や疫病。
人々が血の汗を流し満足する事の無い胃袋を抱える一方で、支配者側は私腹を肥やす。
賄賂は当然の如くに横行し、権力を握った宦官どもが皇帝を諫言で操る、政治の腐敗しきった時代。
民衆の命の重さなど、地位ある者の一度の食事より遥かに軽い。

そのような理不尽な世が人々の日常だった。
だが、当たり前のような日々に見えながら人身は乱れ切っていた。心の奥底では誰もが求めていた。
変化を。
革命を。

そして、『太平道』という宗教に支えられた信者で成る軍「黄巾賊」が勢いを増すに至った。政府軍を脅かす程である。

理想は一人歩きしない。
人々はカリスマの指導力、目指すものの至高さに焦がれ、英雄と称えその元に集う。
人の力を以ってしてこそ、否、人々という強大なエネルギーの元でこそ、意志は行動へと形をかえる。

だが英雄は地に一人ではなく、それぞれ目指すものもまた違う。
善し悪しで判断する事の叶わぬ絶対的な差異。
立場を替えれば、敵とて同じ人である事は云わずもがなである。
勝てば官軍、負ければ賊軍。
ーーーそんな言葉が最も相応しい頃ーーー
群雄割拠時代である。

ーーーきっと人には選べない。
運命こそがその選ばれし者を英雄にする。また、在る者はただの傍観者となり、はたまた賛美者となり、若しくは英雄と共に歩む仲間となる。
時代の流れは誰にも止める事は出来ず、ーー可能なのは、仙人のように世を捨てて下界を見下ろす事だけだ。


劉備・関口。
彼も、時代の流れなどに頓着せず、山に篭って彼岸に漂っていたい人間の一人だった。
だが何故か彼はーーー 英雄だった。
運命である。



***

「おい、関‥‥じゃねえ、兄者!」
厳つい身体と鋭い眼光。長い髭は無いのだが。
見るからに豪傑といった男、関羽・木場は関口の肩を叩いた。
兄者ーーー彼らは血の通った兄弟などでは無論無くーーー所謂、義兄弟である。
その成り行きは、また後ほど触れよう。

「‥‥なんだい」
「ーーあのなあ、劉備軍に参加してえって奴らがわんさと募ってきてんだよ。オラ見てみろ」
関口は言われるまま、小高い丘の下を見下ろした。
「うう」
飲まず食わず、最低の生活をしていたであろう野卑な男共が数十人と犇いている。
「‥‥仲間にするのかい?」
おずおずと関口は四角い顔を上目で窺う。
「オイ、コラ。てめぇには英雄ってぇ自覚はあんのかよ!軍隊だろ、戦争だろ。人数は多いに越した事ねぇだろうが」
舌打ちする関羽・木場の後ろから、高らかな笑い声が鳴り響いた。
「ははははは、豆腐め!四角め!何処にいようとお前は角張っているッ!」
身の丈は八尺はあろうかという長身、そしてまるで作り物の如くに整った顔。
張飛・榎木津である。
だが見かけの其れに反して、言動はまさに傍若無人の見本のような男であった。因みに彼も義兄弟である。
「関!僕が入学試験してきてやるから、其処で見ていろッ!」
「関って‥兄者と呼ばんか!それに此処は学校じゃあねえぞタコ!」
木場は榎木津を怒鳴りつけたが、それも耳にも入らない様子で張飛・榎木津は馬で丘を駆け下りて行く。
「血は見たく無い‥‥」
入学試験とは名ばかりで、軍への志願者をめっためたに痛めつける榎木津を見ながら関口は眉を寄せる。
「‥ったく」
木場は、そんな頼りない関口の横顔を眺めながら、義兄弟の契りを交わしたあの日を思い出していた。

歴史に名高い『桃園の誓い』である。



***

その頃、劉備・関口は世を憂えていた。
否、世情などといった大きなモノを憂えていた訳では無い。
身の置き所の無い世間というもの、あまりに居心地の悪い社会という枠をうざったく思いーーーつまり、己の事しか考えてなかったのである。
涿県という田舎に住んでいた彼は父を早くに亡くし、草鞋なぞを売って生計を立てていた。非常に貧乏である。
山に篭りたいーーー
その願いも恐ろしい母の手前実行に移せる訳もなく、十五の頃無理矢理遊学に出され、なんだかんだと様々な知識を胡乱な脳に貯め込んだ。つまり、学はそれなりにあるという事である。
だが、そうして故郷に戻っては来たが、無論全くの無駄ではあった。
『あなたは中山靖王の末孫で、漢の景帝の玄孫なのですよ』
ーーーどうでもいいし胡散臭い。全く頼りないのだが何故か血筋は良いらしい。だが、母にそんな事を言われ尻を叩かれても迷惑で憂鬱なだけである。

その日も涿県の城内に貼り出された「黄巾賊討伐・義勇兵募る!」の高札を母に見てこいと、家から早々に追い出されていた。




「‥‥うぅ」
札を読み終わった関口は、下を向いて鬱々としたうめき声を発した。
これに参加しろと母は云うのだろうか。誰が好き好んで戦に行くというのだろう。
ーーー絶対に厭だ。死んでも、溶けても、揮発したって、掻きまわされたって‥‥
彼岸が彼を呼んでいた、まさにその瞬間である。
「君は猿に似ているね!」
叫び声と共に、いきなり顔を覗き込まれた。
「‥‥わ、うわぁ」
驚いてそっくり返った目前にあったのは、見たことも無い様な美しい男の顔だった。
美丈夫とでも云えば良いのだろうか。信じられないほど美麗な顔なのに、背は高く、体つきもしっかりしていて、少しもなよなよとした所が無い。
「う、うぅ‥‥」
失語し、赤面する関口を面白そうに見つめながら男は名乗った。
「僕は張飛・榎木津だッ!」
「うぅ、ぼ、僕は、‥‥りゅ、りゅ、」
ボソボソ呟く関口に痺れを切らしたのか、面白いおもちゃを見つけたとでも思ったのか、榎木津はいきなり関口を肩に担ぎ言い放った。

「酒の相手をしロっ!」

関口は酒店へ連れられた。
ちびちびと酒を舐めるうちに、漸く落ち着きを取り戻す。
ーーー見ず知らずの人間を担いで運ぶなんて、なんと無茶苦茶な男だろう。
そうは思ったが、その男の美しい顔に圧倒され、しかも酒まで奢られては文句の言葉も思いつかない。
諾々と酌をしては、額から汗を垂らしていた。
そして「肴に君の話をしろ!」と促されるまま、要領を得ない言葉を紡いでなんとか身の上を語ったのだった。

「くふぅん」
少しも興味無さげに間抜けな声を発しつつ、榎木津は盃をカパカパと空けて一人で何故か笑っている。
聞いちゃあいない。ーーー関口は自嘲のため息を吐いた。

「ーーーつまり、その難産だか早産だかの子孫である血筋を活かして、その母だかボボだかは猿に英雄になって来いと云ってるワケだな」
瓶が空になったらしく、それを逆さに乱暴に振りながら、榎木津は矢庭に口を開いた。
少しは聞いていた様である。ーーー否、ボボとは誰だ?
だがあまりに直截な物言いに、関口は黙って下を向いて赤面した。
己を識る者ならば、誰が聞いても笑い飛ばすに違いない。
『英雄、劉備・関口』
ーーーあまりに愚劣な冗談である。はたして、榎木津は笑った。
「わははは、あまりに馬鹿で僕は空まで飛んでいく!トンデモだッ!」
だがその後に発せられた台詞は、関口の予想とは百八十度違うものだった。
「よし。僕が手を貸そう!お前を英雄にしてやるゾっ。僕は神だからそんなのチョチョイのちょいなのだ!」

関口には目前の男が単なる馬鹿なのか、真性の馬鹿なのかを判断する材料も気力も既に無かった。
だから、先刻より長いため息を深々と吐いた。
その時である。

「クソ、てめぇ!」
酒店の中に身体も顔も四角という、強面の男が躍り込んで来た。
「お!出たな弁当箱」
どうやら榎木津の知り合いらしい。
「コラ、張飛。また俺の酒飲みやがったな畜生めが!」
厳つい顔を益々強張らせて、弁当扱いされた男は榎木津の胸ぐらを掴んだ。今まで飲んでいた酒は彼のキープだったのだ。
その乱暴ぶりに「ヒィ」と、関口は中腰で逃げの態勢を咄嗟に取った。
まるで猿である。
其処で、その男が初めて関口に気付く。
「ーーー誰だ、こいつ?」
男は見かけによらない甲高い声で関口に声をかけ、じろりと一瞥をくれた。
「オイ、この男とつきあってるとな、碌な事ねえぞ兄ちゃん。」
多分それは的を射ているのだろう、関口は曖昧に頷く。
「猿君。この男は僕の幼馴染みのただの箱。だから怖がらなくてもいいのだ」
関口はやはりぎこちなく頷く。

だが、濃すぎる二人に注視されている今の関口に思考する余裕などあろう筈もなく、酒の手伝いもあってか、容量を超えたというか、いつもの事と云うかーーー

とりあえず、その場に昏倒した。

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