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「親身」とはよく言ったもので

「この顔と生きるということ」という本の出版記念イベントに参加してきた。わたしも、インタビューを受けてこの本に登場するひとりであった。私の息子は先天性眼瞼下垂で、2歳8か月の時に手術を受けるまでは左のまぶたが開きにくい状態が続いた。当時の体験を6ページにわたって紹介してもらっている。見出しは「ちゃんと生んであげられなくてゴメン」

 ヒカリエの34階で金曜の夜7時半から、という普段はあんまり縁のない場所と時間に息子(当事者)と行ったのだが、会場には他にも見た目問題の当事者や家族もいたが、本を手にすることで初めて「見た目」に特徴のある人たちの思いを知る人も多かった。

 イベントの中で、皆さんの話の中に
会って30分すれば あるいは5分話せば 見た目は気にならなくなる
というフレーズがあって、本当にそうだと思った。私も50年以上の人生でいろんな人に出会って「顔」そのものが気になるのは最初のうちだけだと実感している。

 それでも。今だから言える話なのだけれど、私は2歳8か月で眼瞼下垂の手術を受けるまで息子の顔を見慣れることがなかった。かわいそうだと、早く治してあげなければと そう思い続けていた。さっきの理屈で言えばわが子の見た目にはすぐに見慣れてしまうはずなのに。
これってどういうことなんだ?

 ヒカリエを出て、湘南新宿ラインののりばを目指す。(工事中で、まるでダンジョン)先が見えないし、本当にこの先ホームに着けるの?まあ、たくさんの人が同じ方向に進んでいるから、こっちで間違いないんだろうけど。幸い電車はあまり待たずに到着した。

 私は、わが子のまぶたが片方開かないと気づいたとき、この現象の正体がわからないのでとても不安だった。病名がつくことで対処の方法がわかってホッとした。それでも「この子、なんでこっちの目だけ閉じているの?」という問いかけには過剰に反応した。自分のせいではないってわかっていても「ごめんね」という気持ちになったし、わが子が成長しても下がっている片方のまぶたは、一向に見慣れることができなかった。

 わが子がジロジロ見られたとき、わたしは「この先の人生、この子はずっとこのままジロジロ見られ続ける」と感じていたのだ。道ですれ違う人、公園で先に遊んでいる小さなこども。そういう「その場限りのひと」や「初めまして」の人に、この子は人生の中で数限りなく出会うことになる。そのたびに、他の人がしなくていい緊張や気遣いが必要になるとしたら・・・

 私が「早く手術をして、見た目を整えてあげたい」と切望していたのは、母として現実を直視するのが辛かったからからだと自己分析していた。でも親が子を見る目で見ていたのではなく「世間」がわが子を見る目で私も見ていたのだと気が付いてしまった。

 いや たぶん、こう思うのは「いずれ手術をすれば、この子の見た目はそう気にならなくなる」と分かっていたからなのだろう。何かでカバーできる場合と隠しようのない場合では違うだろう。そして同じ症状だとしても感じ方はひとりひとり違う。

 息子が手術を受けてからは、まぶたが下がっているということで他人から指摘されることはなくなった。それですべての問題が解決したわけではないが、「見た目」で気持ちがざわつくこともなくなった。2年ほど前から、息子は「見た目問題当事者」としてオファーされれば自分の意志で出かけてゆくようにもなった。

 私は、かつての自分と同じように眼瞼下垂と出会って困っている人をサポートする活動を続けている。「親身になる」とはよく言ったもので、親という生き物は、当事者よりも時に切迫している。よくも悪くもその子の人生を「守る」つもりで邪魔していることにならぬように心がけたいものだ。

 あとは、知識と教育はやっぱり必須。

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