たったひとりも救えない僕の話

僕には高校時代からの親友がいる。ヘタレで不器用で優しくて、数少ない大切な人間の一人だ。彼は僕の家庭環境にも理解があった。仲良くなってから知ったけれど、彼も彼で大変な家庭で育っているからか、僕も彼も人の顔色を見るのが得意だった。

なんとなく、その匂いを嗅ぎ取ったのだろう、大して話もしていないのに、僕と彼はすぐに仲良くなった。

妙なシンパシーを感じ合っていた僕と彼は、なんの生産性もない時間をともにした。高校が休みの日にはよくサイゼリヤで10時間くらい駄弁っていたし、フリータイム500円のカビ臭いカラオケ屋で喉が壊れるまで歌った。未成年にもお酒を出すお店を二人で探しては、朝まで飲み明かした。背伸びしてタバコを吸い頭痛に呻いたり、飲めもしない焼酎に手を出して路肩でゲロを吐いたりするとき、彼はいつも僕の横で笑っていた。

それから数年が経ち、僕も彼も大人になった。当時やっていたバカなことの多くは大人になるにつれて「当たり前」になった。また、そもそもバカなことをしたいという欲求が減ったことも手伝って、僕らは少し高い居酒屋でいぶりがっこと日本酒を煽り、一丁前に「俺らも年とったなぁ」なんて話すようになった。

それからまた数年が経ち、彼は働いていた職場を辞めた。強烈なパワハラに遭い、うつ病になったらしい。
予兆はあった。仕事を始めてから人相が変わっていくし、僕の話を聞けなくなっているなぁ、とは思っていた。だから、彼が仕事を辞めたと聞いたとき、僕は心から喜んだ。安心した、と言うほうが正しいかもしれないけれど、とにかく僕は「あの頃のあいつが帰ってくるのかぁ」と胸を躍らせていた。

彼は地元に帰り、養生したのち、アルバイトを始めた。それからは話すたびにアルバイト先での愚痴を聞くことになったけれど、なんだかんだ充実しているようなので、安心していた。

今日、彼は悩んでいた。実家の家族が相次いで危篤になったり、認知症になったりして、精神的にかなり疲弊しているようだった。このまま実家に居たいわけではないけれど、自分がいなくなったら世話をする人手がいなくなる、と悩んでいた。

彼の母が言った「私はこの家で死ぬって決めてるから、あんたは好きなとこへ行きな」という言葉。彼は母親想いだし、そんな言葉一つで動けるほど幼い人間でもない。だから、僕にしか言えない言葉があるような気がした。半端に大人で半端に子供、なんの覚悟も力もない僕だからこそ、彼の気持ちがわかるような気がした。

僕は彼に「大人になるときが来たんだよ」と言った。自分の手で未来を掴むんだよ、と。介護の人手は金を払えば手に入るけど、自分の家族に夢を見させてやれるのは、家族の一員であるお前しかいないだろう、と。それはそのまま、僕が僕に向けて放った言葉だった。在りし日の自分と、彼を重ねたのだと思う。

思い出した。地元を離れる僕に「寂しくなるね」とだけ告げた母の姿を。時折写真が送られてくるたび、骨と皮だけになっていく母の顔を。

真っ黒な髪をなびかせながら必死で働いていた頃の母の姿とは似ても似つかない、老婆になった自分の親を。

僕はきっと、彼が歩むであろう道の数歩先にいる。強欲にもすべてを手に入れようと望んだ。イカロスと同じように、たぶん、僕はこれからすべてを失う。

一緒にバカなことをやり続けたかった親友に「大人になれよ」と言った。彼はきっとこれから大人になってしまう。僕がバカなことをしたいと騒いでも、付き合ってくれなくなるかもしれない。

大人になって夢を見させてあげたかった母は、先日酩酊して頭から血を流していたらしい。それも自覚のないまま。時間がない。このままじゃ、ただ家族を捨てて気ままに生きただけの記憶を握りしめて、母が死んだあとに襲ってくるであろう後悔の念と戦わなきゃならない。

これまで、楽しいこともたくさんあった。悲しいこともたくさんあった。成長したし、多少は美しい人間になれたとも思う。けれど、やっぱり、僕は今でも取り返しのつかない出来事が苦手だ。

精一杯頑張っても、僕の力では、成し遂げられないものがあるのかもしれない。すべてを手に入れたいと願っても、こぼれ落ちるものがある。

子どものまま、バカなことだけをやって生きていくことはできなかった。だから僕は大人にならなきゃいけなくて、親友もきっとそうだから、大人になることを勧めた。そうこうしているうちに、子どもだった僕らは、もうすぐ死ぬ。

母が死ぬまでに大金を稼がなきゃならなかった。けれどお金を稼ぐために使う時間はあまりに苦痛で、長くは続けられない。飛び抜けて優秀でもない僕は、今の状況を維持するのが精一杯だった。そうこうしているうちに、母は、もうすぐ死ぬ。

憧憬も親孝行も、僕が何より大切にしたいものだったのに。かつての僕が愛そうとしたものはもう何もかもが手遅れで。溢れるそれらをまた手に取ることはできないのかもしれない。

それでも、まだ終わってはいないから。日に日に目減りしていく期待の残量。それでも、捨て去ることはできないから。祈る暇があるなら走れと叫ぶ僕がいるから、ただ、進む。

お願いだから、僕に時間をください。

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