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徒歩圏内のハンター試験会場

喉風邪が治らない長女をかかりつけ医に連れて行くことにした。普段妻に任せきりだったので、私は不慣れで不案内だった。

産院の妻から話を聞き、かかりつけ医の場所と診察までのおおまかな流れを確認する。多く医院では診察を受けるにあたり、「診療開始の1時間前から配られる整理券を受け取る。」「事前にネット予約をして駐車場内で待つ。」等、初診では看過不能な裏ルールが存在する。もはや「隣の定食屋に入り、ステーキ定食を弱火でじっくりで注文する。」という不文律があってもおかしくはない。情報弱者は満足な受診すらできない。幾千の競合受診患者に対し、私がビハインドしていることは、言うまでもなかった。

ほどなくして目的の医院に着く。十分なバリアフリー設計がなされていた真新しい建物だ。入口の自動扉が開き、受付窓口へ歩を進める。院内は多くの人で溢れかえっていた。自動ドアが開閉時に軽快なチャイムを鳴らしたためか、皆一様に私をじっと見て、ふい…と目を逸らした。来院者の全員が何らかの有症状者に違いないと感じさせた。町ですれちがった人達とはあきらかに違った雰囲気が、そこにはあった。

「子供からもらった風邪は重症化し易い。」という言説が迷信なのかは分からない。だが、保護者の同行が伴う小児科は殊更、院内感染に気を遣う。待合室で隣近所になる患者が、どのような症状でどれほど重篤なのかが重要となる。勿論、そんなことは知る由もない。ベテラン患者が下剤入りジュースと引き換えに情報提供を持ち掛けてきそうな、そんな殺伐さがあった。

待合室で暫く待っていると、60代の男性と40代の女性が診察室から出てきた。男性はブツブツと喋りながら、頻繁に咳をしていた。CHEMISTRYの川畑式に付けられたマスクは彼のアゴを保護し、同時に、口元から発せられる飛沫の全ては素通しとなった。「…何でかなぁ、何で俺がコロナなのかなぁ…。」「仕方ないでしょ、陽性って言われちゃったんだから…。」

馬脚を露す男性。唐突なカムアウトは静まり返った待合室によく響いた。来院者の間で緊張が走る。「ちっ…アブない奴が今月も来やがった。」「極力、近寄らねー方がいいぜ。」そんな会話すら聞こえてきそうな空気感。依然として高齢男性はノーガードで咳をし続け、まるで固定砲台のように一定間隔で飛沫を散布している。突如お目見えした、昼下がりのバイオテロ兵器。付き添いの女性が会計を済ませた今、彼が院内に常駐する理由はないはず。本日はお日柄も良く、足元も悪くない。秋めいた風もあり、感覚温度は適切と言える。速やかなご退室が切望された。来院者の各々が目配せをし、言葉を交わさずとも院内は団結力をみせた。

長女の診察が終わったあと、待合室に彼の姿はなかった。何かを成し遂げたような、心地よい疲労が身体を巡った。子供を病院へ連れていく、世のお母様方の大変さが身に染みた一日だった。

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