見出し画像

無意識な1%

「JOKER」を観た。上映中ずっとOccupy Wall Streetデモの”We are 99%”の映像が脳内で流れていた。(舞台もNY近郊だし)何度も観る人も多いと聞くが、言うまでもなくこの2010年代以降の世界的な現象を再現しているからこそ、共感を持てるのだろう。99%の側に。

ただ、立ち止まると私たちは無意識に1%になっており、「もう一方の」99%の人達を想像できているだろうか、とも疑問に思った。JOKERの主人公はデフォルメされた99%という印象を与える設定だが、私たちは日々生きている環境や社会的な役割でコロコロ99%になったり1%になったりするのではないか。どこかのエキスパートはもう一方では何も知らない素人だからだ。

午前中、来月から始まるキャリアコンサルタント(以下キャリコン)の講座の受講料の給付金手続きのためハローワークにいた。手続きにあたり、職務経歴書を常駐しているアドバイザーの指導の下に書き上げる必要があるのだが、彼女自身もキャリコン保有者のため、いろいろ余談で講座のことなどを教えてもらった。要は、自分の属性と離れた性別、職業、年代の人がクライアントで相談に来るので、カウンセラーとして同じところから、同じ目線で接することが大事だということ。そこには、JOKERに描かれていたような偏りはない。傍らに立って、相談者になりきる、近づけるということが役割なのだと。

何も1%になるのは悪いことではなく、火がついて怒っているのは彼らが99%に対する共感が感じられないから。いや、「明日は我が身(99%になるのが)」と自分事に感じられていないから。私はこれは1%だ、といえるものがないが毎度99%ということもない分、いつでも流動的に変わる可能性を肌で感じながら生活している。不安、というよりも、事実として。だからこそ、自分が少しでも役に立つことがありそうな余地があったら、話を持ってきてくれた人の目線を話しや周辺情報からいろいろ把握しようとしているが、彼らには届いているのかまだわからないし難しい。でも、少しづつ実践していかないと劇中の状況(今の香港もそう)はいつまでも終わらない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?