見出し画像

住まいのこと

今日、久々にみんなが落ち着いたタイミングで恒例のシェアハウスの会計会議・諸々の相談ができた。都内の一軒家で、割と最寄りやそこからのアクセスがよく、かなり破格な家賃で住むことができている本当に優良物件である(家そのものが古くて空調がなかなか効かない難点はあるが)ので、今すぐ退去する可能性が低いだろうという話をしていた。

直近見たドキュメンタリーで、住まいや、それをきっかけに人間の根本的なアイデンティティについて考えさせられたものが『東京オリンピック 都営霞ヶ丘アパート2017』・『百年と希望』である。衣食住。その中でも、その人の生き方をつくっていくものが住まいではないか。どこに・誰と・どのように住むのか。自身の金銭的な理由、職場や家族の学校との兼ね合い・その地域への自分との相性など、様々な要素が絡み合う。

前者は住民たちの、アパートで過ごした生活の記憶を壊してしまう、アイデンティティの喪失・後者はマクロ的な視点から見て物価高騰・賃金低迷による自分らしい暮らしの崩壊がいかに悲惨かを訴えている。私は一人立ちできなくはない収入もある中で、ずっと実家暮らしで「子ども部屋おばさん」になるとなんとなくみっともない、くだらない話友人との飲み会が盛り上がって夜中過ぎに帰ったとしても小言を言われない自由な環境に移りたい一心だったが、中には家族の虐待などで一刻も早く出るべき事情を抱えている人もいる。

自分のタイミングで、あるいはのっぴきならない状況で経済的に不安な状況でも、自分らしく場所や住まい方をいつでも実現できたらいいなと心から願っている。物価高騰しているのに賃金上げない・自分らしいライフスタイルが築きづらい状況の原因について、すべて家父長的な統一教会からの影響に結びつけるのが暴論かもしれないが、かなり大きな影を落としている気がする。住みたい場所に・住みたい人と・住みたい方法で暮らす。選択を増やすことで、皆が笑える環境に近づけるよう、私もシェアハウス住みたい・実家出たいという相談に乗ったりとか、もちろん今の住民たちと良好な関係・配慮することなど、小さいことから続けていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?