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繕うと連綿とした過去の暮らしを思うこと:10/9「全国まちづくり会議2022in東京・すみだ」に参加して

知人のFBからこのイベントを知り、昨日行ってきた。会場は10年前学生の時には「中小企業センター」だった建物で、今は墨田区で念願の大学誘致となった千葉大サテライトキャンパスだ。主に、デザインを通じて「公ー民ー学」の三者連携を通じて墨田区をより面白く、活気ある活動・研究を行っている。

私は13時~のシンポジウム「大学のあるまちづくり~墨田の未来ビジョンとUDCすみだの役割~」に参加。

商店・ものづくりを行う中小企業・学校・そして行政と様々な立場から取り組んでいる活動を通じて印象的な話があった。「まちづくりよりもつくろう・つなぐ」ことが墨田らしいのではないかと。ここ1年半、戦前の火災や震災で焼け残ったエリアに住んでいて感じるのだが道路は昔のまま、狭かったり曲がりくねっていたりしてなかなかそこをゼロベースにしての開発は物理的に難しいことを傍目でみて実感している。外目から見た東京のまちはとにかく建てては壊しの繰り返しという印象を持たれるだろうが、墨田区はまだ戦前の長屋や街並みが残っている中で生活している人が多い。それを、現代的に中の機能などはそろえたりして使い続けることが「つくろう」ことなのだ。今までの人たちの生活してきた息吹を感じながら、新たに自分たちで暮らしをつくっていく。

私は1年半前から一軒家で何人かとシェアハウスで暮らしているが、元々は世帯が住んでいたことがガス・水道代の請求書の宛名で分かった。空間はそのままだが、本棚や一部を初期住人が入居し始めた10年前からリノベーションして使い続けている状態だ。なんとなく、わたしたちだけじゃないんだと、連綿とした生活があることを実感して安心感があるのだ。ここに来るまではいわゆる両親が新築の時に買った分譲マンションで暮らしていたので、「私たち村田家」とそれ以外の生活が分断されている疎外感があった。プライバシーやセキュリティは高い一方で、マンションだけ孤立してまちのなかにある文脈そのものがあまり感じられない無味乾燥さがあった。移住した理由はいろいろあるが、この住まいの人間疎外が大きかったかもしれない。

一方で、墨田区自体が建物が密集しており、昔ながらの文化がそこかしこに息づいており、戸建てのため一区画の住民たちともなんとなくの顔なじみ、一歩出れば商店街のためそこで行きかう人たちの顔ぶれなど、歩くだけで(今日もいろいろな人たちが様々な仕事をしているのだという当たり前な)生活の空気を感じることができる。住まいと外が接続している、ともいえるかもしれない。典型的な核家族が住むベッドタウンから来た者には今でも日々驚きや発見がある奥深い場所だなとつくづく思う。


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