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後悔は自然発生するもの

後悔だけはするなと言われても無理。

後悔したことの例。

大学生時に留学先は都会のキャンパスにしたいからと拘ってUC Davisを選ばなかったこと。

出発の時期が早いUC Davisに留学したクラスメートの写真がとても楽しそうに見え、なぜ自分はそこにいないのか、同じ場所にいたいという気持ちが込み上げ、喪失感が凄かった。

自分の中でDavis組が、それ程大きな存在だったと、先に教室にいなくなられてから知った。

いなくなられるまでは、ただ私の欠伸を「おじさんおじさん」とバカにして呼ぶ連中としか感じず、そんな気持ちになるとは分からなかった。

後悔は好きでしていない。勝手に生まれる感情である。

だから、後悔するなと言われても無理。

セカオワもそう言ってるよ。

後悔したって良いと思うし。それ程大事な人と出会えるのは幸せなことだから。

加えてUC Davis組には、英語サークルESSで常にスピコンやドラマのコンペで上位にいた学生もいた。

ESS内のdramaセクションにおいても、どんなにか準備してもその同じ年次の学生がお決まりの様に1位になることが若干嫌になっていた。

先輩達が一体どこで判断し評価しているのか分からなかった。かつ、課題文が結構退屈な文だったので、もっと中身の面白いのにしてくれたら覚え易いのにと感じていた。

それでも、先に留学に旅立ってしまわれると、その常に1位だった彼女も含めたDavis組への喪失感が込み上げてきた。

そうなりたいと思える人がいるから、前向きになれることもある。

それに、Davis組にはクラスメート皆の前で「俺、この子と付き合ってるから」と言える素晴らしいGentlemanもいたのだから、それは羨ましくなって当たり前。

そんなこと言われたかった。

自分がCaliforniaのDavisを選ばなかったのには、そのキャンパスが農学部で有名だったから、というのもある。

自分は農大生じゃないし、農業は重労働に見えたので全力で避けた。UC DavisのあるCalの広すぎるキャンパスは大変そうで、それまでは行き先として魅力を感じなかった。

そんな私のBiasとは裏腹に,CaliforniaにいったDavis組はとても楽しそうなのだ。

何をするかも大事だけど、結局は人なのかもしれない。

私がどんなに望んでも、ホストファミリーの実子にはなれない様に。

農学部で有名だから、とか広すぎるキャンパスは大変そうだから、とか頭でっかちに考えずに、一緒にUC Davisに行ってれば良かったな。