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「グレシアの森に」

まだ中1だった頃、演じていて楽しかった作品に「グレシアの森に」(作:小松杏里)がある。

今も尊敬する58回生の代が演じた,エコロジーがテーマの群像劇。

演劇をやる際には、全員が姫を演じていたら成り立たない。

必ず誰かが端役もやらなくては成り立たないのだ。

だからこそ、主演やヒロインだけを誉めるなんてのはもっての外なのだ。

私の大好きな58回生のW先輩は、部長であり、学祭ではザフォという老人の役を演じた。

もし、W先輩が「主演じゃないから」と本番を休んだりしていたら、私はW先輩を尊敬しなかったでしょう。

W先輩は主演でなくヒロインでなくとも来ていた。だからこそ、演劇を作る者としてW先輩を尊敬しているのです。

それに比べて、自分の代で部長だったYは、端役であった冬公演の本番の日のみ休んでおいて、学祭の時だけ主演もヒロインも譲らなかったため、今も幻滅し怒りがあるのです。

残念なことに、あの学校で「レミゼラブル」(著:ビクトル・ユーゴー)をやる案が出ていたことも、私がエポニーヌ役を希望していたことも、Yとその仲間2人が出しゃばったせいで誰も知らないままなのです。

それでいて、W先輩の教育実習を貶し、「自分が1番背が高いから1番怒られている」と被害妄想。大概にしろやY。

今思えば、顧問は2人いたんだから、1人には「Yが脇役の時だけ本番を休んだのに学祭で主演の座を譲ろうとしない。Yはでしゃばりで公平性を欠いている」と訴えてもよかったのに、言えなかったな…言っても取り合ってくれないかもって思ってたのか。