見出し画像

老人文学のすゝめ

大森千慈(おおもり せんじ)は明治から昭和期の小説家、評論家である。
この名前を聞いてピンとくる人は病的な文学フリークか彼の親戚かのどちらかであろう。
千慈は東京専門学校(後の早稲田大学)の文学部に入学し、そこで教授をしていた坪内逍遥と交流を結んだ。ロシア文学に関心を持っており、逍遥の紹介で二葉亭四迷に弟子入りした。二葉亭四迷は「あひゞき」をはじめとしたロシア文学の翻訳小説を多く発表しており、ロシア文学の第一人者であった。
二葉亭四迷は文学史上でも重要な人物であるが、世間一般の認識としては「名前は知っている」程度のものである。そんな四迷のさらに弟子となれば知っているほうが不自然という話であろう。
彼は多くの小説を書いているが、どれもなんというか、普通なのである。巧みな表現技法が用いられているわけでもなければ緻密な描写がなされているわけでもない、題材やプロットも特に目新しいものがあるわけでない、どこにでもあるような小説なのである。そのため雑誌に載ることはあっても継続されるわけではなく、そこから何か仕事につながることもなかった。四迷が生活の面倒を見ていたため金銭的に困窮することはなかったが、彼の収入はほぼゼロであった。
そんな千慈であるが、ロシアでもマイナーであった「老人文学」という概念を日本に持ち込んだという一点においては評価することができる。老人文学というのはロシアに端を発する文学上の運動であり。「児童文学」に対する反動的な試みである。千慈が著した評論『文学試論』の中ではこのように書かれている。
「児童文学の児童に於ける精神の熟成或は道德教育を目的とせんとすれば老人文学は老人に自己との對面を促す裝置なり。」
自己との対面とは具体的にどのようなものなのだろうか。
児童は外部からの教育によって様々なことを知る。言ってしまえば児童、あるいは子供の間というのはインプットの期間である。それに対して老人は誰かに教えを説く立場にいる。つまりアウトプットの期間にいるのである。老人は膨大な知識、経験を持っているためそれを他者に分け与えるのである。しかし、それだけでは老人は記憶伝達の機械に成り下がってしまう。そのためこれまでの記憶とそれによって形成された内面と向き合うことが人らしさの担保に必要なのである。それの手助けとなるのが老人文学である。
老人の割合が増え続けている現代にはこうした文学も必要なのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?