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なぜ学校へ行けないのか、わからなかった

おんせんキャンパスには、グループワークのグランドルールがあります。

「話している人のほうを向いて聞く」「否定しない」「話してくれた人に拍手をおくる」です。

ここに掲載する体験談は、ご本人が「誰かの役に立つなら」という思いから話してくださった内容です。
自分の体験や考えは、(まわりの人にどう思われるだろう)という不安を乗り越えなければ、語れません。

勇気を持って話してくれたことに対して、まずは「そうだったんだね」と受けとめる気持ちで読んでいただけましたら幸いです。

小学6年生の秋


Aさんが学校へ行きづらくなったのは、小学6年生の秋のこと。
体調を崩して保健室登校になったのが始まりでした。
同級生が手紙を書いてくれたり、担任の先生が気遣ってくれたりすることをうれしく思う一方で、小学校最高学年としての役割を果たせないことに責任を感じていました。

(なんでこんなところで寝ているんだ!)と自分を責め、みんなのようにできないことを情けないと感じ、
(みんなから、サボっていると思われているんじゃないかな)(もう話しかけてもらえないんじゃないかな)という思いから、学校へ行きづらくなりました。

同時に、お母さんに申し訳ない気持ちにもなりました。
3年ほど前にお父さんが病気になったこともあり、ただでさえ大変なお母さんに自分が負担を増やしてしまったと思ったのです。

お母さんとのバトル


中学校入学後、Aさんは教室に通おうと思っていました。

しかし、小学校で仲が良かった子と部活への思いが違うことがわかって関係がうまくいかなくなり、また、先輩の部活の勧誘に応えられない気まずさから、体調が悪くなりました。
中学校が用意した別室(相談室)にも行けないまま、日にちだけが過ぎていく状態。


そこを変えてくれたのは、担任の先生の「硬筆コンクールの練習をしに、学校へ来て」という言葉でした。
元々硬筆を書くことが好きだったAさんは、週のうち数時間、相談室へ行って練習を重ね、金賞を受賞!

少し自信をもつことができましたが、心は晴れないままでした。
どんどん勉強が遅れていくことや、(いつ相談室から教室に上がろう。早く上がらないと)という焦りが、心にのしかかっていたからです。

お母さんと毎朝、布団をひっぱりあうようなバトルになっていたことも、Aさんの心に影を落としていました。

(自分だって学校へ行きたくないわけじゃない。行けない原因がわからないから、苦しいんだよ‥‥)

Aさんは、お母さんが泣く様子を見て、(怒って泣いているんだ)と思いました。
後に、お母さんが泣いていたのは怒っていたというより、親としての責任を感じていたのかもしれないと思うようになりましたが、このころはお母さんとの関係も苦しみの種になっていたのです。

おんせんキャンパスへ

そんな頃、学校の先生からおんせんキャンパスを紹介されます。
はじめのうちは「行きたくない」と拒否していましたが、「見るだけなら」と見学に行ったところ、穏やかな雰囲気に通えそうな気がしてきました。

(新しい場所では「素の自分」を出したい!)

これまでの人間関係がないおんせんキャンパスなら、気を遣うばかりの自分とは違う自分になれるかもしれない、という期待が生まれたのです。
グループワークのグランドルール「否定しない」「話している人の方を向いて聞く」「話してくれた人に拍手をする」にも安心しました。

(自分の話をするって楽しい!)

Aさんの中で、なにかが動き始めていました。

そこで、週のうち何曜日は学校へ、何曜日はおんせんキャンパスへ行くと決めましたが、実際は午前中に行くことはできず、ほとんど午後になってから。

意欲はあるのに、行動につながらないーー。

この頃のAさんにとって朝からの活動は、難易度の高いものだったのです。

心が休まるひととき

それでも、中2のクラス替えのタイミングで(気持ちを切り替えよう!)と決意。
体調がいい時には、教室へ行けるようになりました。

よかったのは、相談室の先生と気が合ったこと。

新しい先生は、学年のその日の予定や提出物などをわかりやすく教えてくれ、いろんな教科の学習に加えて、お菓子作りやトランプ、運動といった息抜きもさせてくれました。
おかげで相談室にいる間は、楽な気持ちになれました。

しかしその一方で、お母さんとの朝のバトルは続いており、溜まった気持ちをどうしたらいいか、わからなくなっていました。

(怒っていたらどうしよう)
(なんで、わかってくれないの?)
(なんで自分は存在しているのかな‥‥)

お母さんが自分の経験に基づいてアドバイスをしてくれるのはわかっていましたが、その時のAさんが求めていたのは違うもの。

ただ話を聞いて受けとめてもらいたいーー。

それだけだったのです。

Aさんは、おんせんキャンパスへ行く回数を増やしました。
少しずつ、いろいろな子と雑談もできるようになりました。

最初の印象は(みんな怖そうだな)でしたが、自分から話しかけるのが大事だと思うようになり、やがて「素の自分」で過ごせるようになっていきました。
楽しみにしていたのは通学合宿。料理をしたり、みんなで笑ったり。心が休まる、楽しいひとときでした。


朝がくるのが怖い

Aさんは中3になってから、受験のプレッシャーを感じるようになりました。

朝が来るのが怖くて、眠れない。睡眠剤を飲むが、寝ないようにする。そうして空が明るくなってくる頃に寝てしまって起き上がれなくなる、という悪循環に。

このころ、お母さんが体調を崩したことで、Aさんはますます不安定になりました。

(お母さんが倒れたら、どうしよう)
(自分のせいだ。もっと家のことを手伝わないと)
一日をムダにしているという焦りも大きくなる一方です。

そんな状態から抜け出せたのは、3学期になってからでした。
おんせんキャンパスのスタッフの迎えで、毎朝おんせんキャンパスへ通うようになったことで、体はきつくても気持ちは楽になりました。

朝から学習やいろいろな活動をすることで、一日をムダにしている焦りから解放され、動いていることで体力もつき、「やっている」手応えを感じられるようになっていきました。

高校受験の挑戦!


Aさんは、将来は学校で子どもに関わる仕事がしたいと思い、その道に進めそうな高校を第一志望に決めました。
中学校の先生には、その高校は難しいと言われていましたが、諦めずに挑戦。
しかしながら、結果は不合格。
自宅から通える高校の二次募集を受けて、無事合格することができました。

嬉しかった一方で、一つだけ気になることがありました。
その高校に先に合格している子たちが自分をどう思うか、ということです。

おんせんキャンパスではスタッフと相談して、中3の子たちに言うことにしました。
「◯◯校に行きます!」
Aさんの宣言に、同じ高校に進学する子たちは「心強い!」と大喜び。
また、高校説明会で会った同じ中学校の子も喜んでくれたことで、心配はなくなりました。

高校入学直後は友だちができるか不安でしたが、
(とにかく言わないと伝わらない!)

意識して自分の思いを話すようにして、信頼関係を築いていきました。
そうして1年間、1日も休まずに登校しました。

Aさんが過去の自分と、保護者さんに伝えたいこと

Aさんは、過去の自分にかけたいのは、この言葉だと言います。

「自分がやろうと思ったことや、やりたいことができても、できなくても、そこで終わりじゃない。次の選択肢があるから、なんとかなる」

保護者さんに伝えたいことは、
「自分の場合は、学校は休みたかったけど、登校したいという気持ちもありました。
当時はとにかく話を聞いてほしくて、『そうだよね』って認めてもらいたかった。ひとりで乗り越えるのはつらいので、アドバイスというよりは一緒に考えてもらえたらいいなと思います」



——スタッフより

この体験談はあくまでも個人のもので、お手本や正解を示すものではありません。
ひとり一人、歩む速度も歩み方も異なります。
おんせんキャンパスは、ご本人の気持ちを第一にして、ひとり一人に合う歩み方を保護者や学校の先生方と共に探していきたいと思っています。


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