見出し画像

気さくなおばさんオタクになってきた

20歳ぐらいの頃、当時大流行していたジャンルで活動していた。

本こそ出さなかったがオンリーイベントに行き、ステッカーを作って交換したり「神絵師と焼肉www」とか言いながらSNSに写真を載せたりしていた。

その中に、とても気さくで美味しいご飯屋さんにたくさん連れて行ってくれたお姉さんがいた。私は「同年代のオタクと遊ぶ時」と「そのお姉さんと遊ぶ時」で少しトーンが変わっていたように思う。

私はとにかく当時、いろんな人と遊びたくて繋がりたくてずっとTwitterに貼り付いていたし、毎週のように相互と会っては喫茶店やカラオケに行っていた。「〇〇さんと会ったレポ」に描かれたかった。

反対にお姉さんはそんなに交流はしていなかった。単純に家が近くて、一人暮らしを始めたばかりの私を案じてくれていたのか、数ヶ月に一回ご飯をご一緒させてもらっていた。

センセーショナルで破滅的で、その乱反射が面白いと思えるコミュニティに憧れていた。20代の初めの頃まで。
正直、お姉さんと遊ぶのは、「気恥ずかしい」「ちょっと気遅れする」「もっといろんな人と会おうよ」とさえ思っていた。

そこからだいぶ時間は経った。

私は今とにかく「気さくなおばさんオタク」になりたいな。というか、割となれてきている気がする。おばさんというワードが持つネガティブなイメージをちょっとでも柔らかく肯定していきたいね。

戦国BASARAの佐助を、勇気を持って「クラスで1番絵が上手い友達」に描いてもらいに行っていたあの頃の私と同じ世代の、

中学校にBLの同人誌を持ってってたあの頃の私と同じ世代の、

黒髪ロングの軽音部の友達の髪をツインテにして「リアルあずにゃんww」と言っていたあの頃の私と同じ世代の、

「社不大学 絶起学科」と当たり前のようにツイートしていた、アライさん界隈が出始めた頃のTwitterで友人と遊んでいたあの頃の私と同じ世代の、

そんな年齢の、年下のお友達がいっぱいできたけど、みんなあの頃の私よりずっと大人ですごいなぁと思っている。

あの頃の私をどうやって受け入れてくれてたんだろう!?!?ほんとにごめんなさい!と、お姉さんを思い出すたびに心の中で告解している。

あの人の優しさ、寛容さはなんて得難いものだったんだろうと感じている。

私もそうありたいな。
刺激的じゃなくても、尖ってなくても、友達が多くなくても、なんとなく気さくで、なんとなく愉快で、なにもジャッジしないおばさんになりたいね。

いや、でもそれにしては人と関わるのは今もめちゃくちゃ好きだから、かなりアグレッシブなままだけどね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?