人口400人の町、石見銀山大森町にある義肢装具メーカー・中村ブレイスさんのWebサイトをつくった話
僕と娘こと「おのズ」も暮らす、島根県大田市大森町。
人口約400人ほどの小さな山間の町で、世界遺産・石見銀山の中核地域です。
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銀山閉山後、過疎の一途を辿っていましたが、それでも近年は多くのUIターン者を中心に若い世帯や子どもが増え、いまや町に唯一ある保育園・小学校にはそれぞれ30人ほどの児童が通い、賑やかな子育ての町となっています。
その様子は、NHK Eテレでシリーズ放送中の、『子育て まち育て 石見銀山物語』でも丁寧に放送されているので、観られた方もいらっしゃるかもしれません。
https://www.nhk.jp/p/ts/JPMP7GWGYL/
そんな小さな山間の町には、2つのユニークな会社があります。
1つは、まだ小野が大阪にデザイン事務所を構えていた10年ほど前に仕事のご依頼をいただき、石見銀山との縁を繋いでくれた石見銀山生活文化研究所さん。
「群言堂」のブランド名で全国にアパレル・ライフスタイルショップを展開する会社さん。
「復古創新」の理念を掲げ、古き良き文化や技術を現代の暮らしに合うように提案。石見銀山・大森町での暮らしから生まれる衣食住美の暮らしのものを全国に届けています。
一時は、毎週のように石見銀山に通い、撮影したり取材したり、食べ歩いたり飲み明かしたり。まるで大森町で暮らすように仕事させていただいて、多くのデザインに携わってきました。
石見銀山生活文化研究所 デザイン一覧
https://d-6b.com/works/gungendo/
そうして繋がった石見銀山・大森町との出会いは、あるひとつのWebサイトへと発展します。
現在・石見銀山群言堂グループの代表を務める、松場忠氏から「町民目線での大森町のサイトを立ち上げたい」と相談を受けます。
多くの観光サイトなどで大森町を紹介される機会は多いが、観光目線ではどうしてもキラキラした一部分だけが切り取られ、本当の「大森らしさ」が伝えられていない。
町民目線、暮らし目線でのサイトを作ることで、本当の「暮らしがあるからこの町はすばらしい」という部分を伝えたい。
そんな思いから立ち上げたのが、「石見銀山・大森町」Webサイトです。
コピーライターさん・フォトグラファーさんと一緒に大森町に通い、たくさんの町民にインタビューしながら写真を撮り歩き、「切り取る」のではなく美しさも儚さも光も陰もまるごと「掬い取った」サイトを目指しました。
制作期間は1年以上かかりました。
四季の移ろいを感じながら、大森町での暮らしを体験しながら、歩いた1年間は、僕がここに移住することのきっかけと大きな礎になっていることは言うまでもありません。
あの時写真に収まった保育園児たちが、今や娘の小学校での同級生だったりするのも、もしかすると必然だったのかもしれません。
そのWebサイト制作の過程で、町のあらゆる会社や店舗を取材している中で、この町のもうひとつの企業へも訪れていました。
前置きが長くなりましたが、大森町のユニークな2つ目の会社こそが今回の主役、義肢装具メーカーの「中村ブレイス」さんです。
中村ブレイスさんは、石見銀山・大森町を拠点とする義肢装具メーカーで、まだ大森町が廃墟だらけだった1974年に、この町出身の中村俊郎さん(現会長)が1人で起業した会社です。
取材する中で、本物の身体と見間違うほどのシリコーンで作られた体の部位を目にし、とてつもない技術力を感じていました。
また、ふるさと大森町が過疎化し、人口は減り続け、民家が朽ち果てていく有様を見て、「もう一度世界に誇れる町に」との想いで古民家の再生を行い始めたのもこのころ。
義肢装具製作の仕事の傍ら、私財をなげうって古民家を買い取り改修。現在まで約50年をかけて約60軒ほどに。
6Bの事務所はもちろん、大森町のあの人やこの人、その人気パン屋さんや、かの飲食店さん。みんなブレイスさんの改修した古民家だったりします。
中村ブレイスさんの製品の中には、シリコーンを使ったものも多く、その中には人工乳房や人工の身体の部位、ストーマなどもあります。
これらは主に病気によって失った部分を補う、辛い経験をした方が再び前を向くための翼のような製品。
僕の妻も闘病中ストーマを使用していので、そこの快適さが少しでも上がるだけで、生きる力になることは知っています。
そんな、人のことを想い、優しい眼差しでものづくりをする身近な会社さんのWebサイトリニューアルを担当させていただいたのが今回のお話です。
(ここまで長っ!)
中村ブレイス株式会社|世界遺産・石見銀山
https://www.nakamura-brace.co.jp/
今年の1月に、ふといつもの自転車で事務所へやってきた専務の中村哲郎さん。
(偶然同じ名前なので、勝手に親近感)
家主さんでもあるので、家の用事かなと思っていると、「Webサイトのデザインって頼めるんですかね?」と。
ふらっとやってきてデザインのご相談をいただくのは、この町の距離感の近さだとちょくちょくとあるのですが、これはもう内心「キタコレ!」と思いました。
知らない間にリニューアルされてたら拗ねてた案件です。
10年ほど前に作ったというサイトでは、中村ブレイスさんの周りに漂う優しさや温かさがうまく伝えられていないように感じていて、石見銀山関係のサイトがどんどんと整っていく流れの中で気になっていました。
それはもうずっと気になってた(狙ってた)仕事で、ほんとよく声をかけてくださったと、力が入りました。
想いに応えようと力を注ぎ、公開までに約9ヶ月もかかってしまったけど、社長さん専務さんともに気長に待ってくださったお陰で、石見銀山や大森町をデジタルで訪れる上で、また一つ素敵な入口ができたかなと思ってます。
ブレイスさんに勤める義肢装具士さんやそのご家族には、おのズが個人的にお世話になっている子育て仲間も多いことも、この仕事をどうしてもやりたかった理由です。
彼らが家族や友人に、自分が働く会社を「自慢できる」サイトにすることも一つの目標。
Webサイトには、そんな会社周りの人たちが、もう一度自分の会社を好きになったり団結したり、希望をもつための指標になるものだと思ってます。
実際Webサイトを大切にしているところは、いい企業さんが多いですよね。
ぼくも中村ブレイスの一員のつもりで、「もっと多くの人に製品について知ってほしい」「大森町への(変態的な)愛着心を見てほしい」など思いながら作っていました。
デザインは、これまでの事業の積み重ねてきた誠実さや優しさ、そして石見銀山のロケーションにも合ったものでないといけないと考えていて、遊びすぎず誠実で、でも都会の企業にも負けないサービスを提供するクオリティ感を、中村ブレイスさんらしいトーン&マナーで制作しました。
新しいサイトづくりでは、つい「トレンドの見せ方や動作を入れたくなっちゃうデザイナーの性質」もありますが、ここ石見銀山ではあまり似合わないかもしれませんね。
それよりも「オーソドックスで普遍的な中に、心を動かす情緒があるもの」が合うように思っています。
それは中村ブレイスさんだけでなく、先の石見銀山群言堂さんも、この地を拠点とする店舗・事務所みんなそうではないかと感じています。
基本的な背景色は、ブレイスさんの作る人工乳房・補正具を想起させ、人肌の体温を感じるようスキンカラーに。
そこに落ち着いたカラーが入る事で、ひととひとの間に鮮やかな未来があることを表現しています。
心地よく見る人と呼吸をあわせるコーディングは、小野と数々の石見銀山まわりのWebサイトを作ってきた、くうかい・新谷浩司さん。
https://www.instagram.com/koji_shintani/
穏やかで優しい写真で、ブレイスさんの丁寧な姿を写してくれたのは、島根No.1フォトグラファー・ゆく写真館の山田泰三さん。
さすが大森に通い続けて10数年。
もうこのスタッフィングができただけで優勝。
コーダーの新谷さんとは、過去石見銀山関係のこれらのサイトを一緒に作ってきました。まさに石見銀山フリーク。
https://kurasuyado.jp/takyo-abeke
https://hajimeteno.iwamiginzan.jp/
https://omori-sakura.iwamiginzan.jp/
職住接近が当たり前で、人の距離感が近いここ大森町では、子どもたちが大人の仕事ぶりを目にする機会も多い。
ぼくの娘もMacを覗いては「これは何?」や「あ!◯◯ちゃんのお父さん!」などとチェックしています。
どんな仕事でも精一杯やることは当然ですが、やはり知り合いや関係の多い中村ブレイスさんのような身近な仕事はより熱が入ります。
それは喜んでくれる顔や声もとても近いから。
この仕事が何かのきっかけになって、そこに勤める知り合いやその家族、子どもたちにいい影響があるといいなと思っています。
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