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天丼 僕の原風景

今年2月に亡くなった父親の話がどうしても多くなるが、今回は母親(90歳、存命)の話から始める。僕の母親は料理があまり得意ではなかった。母親(母ちゃん)が得意なのは裁縫で、某デパートで子供服などの洋服のデザイナーをやっていた程なので得意どころかプロであった。だけど料理にその熱意が注がれることはなかったように思う。ある日「今日は御馳走よ」と云われて夕食を楽しみにしていたら、食卓の真ん中に大量のマグロブツ切りを出されたことがある。それもスジの多い箇所ばかりで男兄弟3名で辟易した覚えがある。

ある時から母ちゃんが全く料理をしなくなった。ここではあまり深く触れないが、母ちゃんは外出の頻度が多くなって何日も帰ってこないことがよくあった。そして我が家の台所に立つのは父親(お父ちゃん)の役割になった。お父ちゃんは料理が得意だった。

お父ちゃんも仕事をしていたので毎日ではなかったが、台所に立つと2日分か3日分の大量のおかずを作っておいてくれて、後はそれを温めてご飯だけ炊けば(ご飯は子供でも炊ける)ちゃんとした食卓になるように工夫してくれた。7合炊きのガス釜で炊いたご飯が一回でなくなるくらいの男3兄弟の食欲をお父ちゃんは支え続けてくれた。端折って書いているので正確には伝わらないが、我が家ではお袋の味ではなく、お父ちゃんの味と云うのがベースにあったのだ。

僕もその頃は喫茶店やレストランでアルバイト経験済みで多少は料理が出来たけれど、お父ちゃんの調理の手際の良さは玄人はだしであった。鍋物でも、揚げものでも、炒め物でも、味噌汁でも、カレーでも、麻婆豆腐でも、お父ちゃんはとにかく大量に作った。特に天ぷらは常軌を逸する量が食卓の上に展開されることとなった。エビだのイカだのは揚げたその日のうちに確実に消費されるが、翌日にも食べられることを想定しているので野菜類の天ぷらは必ず残る。その残った天ぷらを残った天つゆで煮て、ご飯の上に載せて食べるのが僕の大好物だった。残った天ぷらの代表格がニンジンのかき揚げ。サツマイモの天ぷらも残るが、それは煮ずに冷めたままのに塩だけ振っておやつになった。ニンジンのかき揚げは弟たち(僕は長男です)には不評だったのか、必ず僕の分が残っていた。だからそれを煮て食べたのだった。

ニンジンのかき揚げの翌日まで残ったのを、天つゆで煮て、ご飯に載せて食べる。これこそが僕の天丼の原風景だ。だから僕は天丼の天ぷらに揚げたてとか、クリスピーさとか、ネタの豪華さなどは求めていない。たまたまそう云う高級天丼に巡り逢って、とても美味しいと思うことはあるけれど、心の底からウマイと思えるのは、僕にとってはやはり庶民派の天丼なのだ。この主張は一生(あと100年くらい)変わらないと思う。

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先日思い立って、20年ぶりくらいに天ぷらを揚げてみた。工夫のいらない天ぷら粉を使ったので、特に苦労することもなく、それなりに天ぷらが出来た。エビやイカも揚げたけれど、主題としてはやはり天ぷら群のセンターポジションにいるニンジンのかき揚げを揚げることであった。

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写真に撮った以上にもっとニンジンのかき揚げが出来た。当たり前だけれども翌日にこれらの大半が残った。ニンジンのかき揚げを煮よう。そしてご飯に載せよう。

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これはピーマンやカボチャなども残っていたので、残った天ぷらオールスター天丼。よく見るとエビもイカもいる。イカの天ぷらは翌日まで残ると驚異の弾力性を発揮することとなるので、今後は残さないようにしたい。

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ニンジンだけで作ってみたが、写真映えをちょっと気にして煮込み方が甘かった。反省します。

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これが最も僕の気持ちを表している天丼。こう来なくっちゃ。これを表すのに最適な名称。それをソフト天丼と云う。

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ウマウマウー。この写真を見て美味しそうだと思った貴方は僕の心の友です。ニンジンのほの甘い奥ゆかしさと、天つゆを吸った衣のやんちゃさ、それらを優しく受け止めるご飯の博愛主義、三位一体の恍惚感。自分で作ったものなのに、心からウマイと思った。改善点は多岐に渡るが、これを作ることが出来て、そして食べることが出来て、心から嬉しい。僕が生きて来られたこと、生きていること、そしてこれから生きることに関係している全てに感謝。日本、いや世界、いやいや宇宙全体に感謝したい。ありがとう宇宙。ありがとうソフト天丼。ありがとう皆さん。僕はこれからもソフトに、そしてハードにもがんばります。そして天丼の話はまだまだ続きます。

末永くがんばりますのでご支援よろしくお願い致します♫