2022年7月8日

酷い事件が起きた。悲しい。歴史に残る日になるのかも知れない。安倍晋三さんのご冥福をお祈りする。どうしても気になることがあって書く。民主主義への挑戦でも、言論の弾圧でも、強い憤りでもない。一人の人間の命が奪われてしまったことへの悲しみを何故誰もそのまま表明しないのか(少数の方はいらっしゃったのを後に確認)。岸田首相が最初の会見前に少し涙ぐんでいたところにしか真実がないような気がした。その後は紋切り型の声明やコメントがこれでもかと続いた。みんな悲しいとは思わなかったのか。偉い人だから特別なのか。政治家だから特別なのか。殺人はいけない。殺人はやってはいけないことだと誰も云わないのか。人が死んだら悲しいのだ。それなのに何故皆が民主主義だ言論だと云うのか。選挙中だから選挙のことの方が大切なのか。殺人と云う言葉ではいけないのか。僕は全ての人が他の人に命を奪われてはならないと考える。特別に許されるケースなんてない。殺人は許されないのだ。殺人を犯せばその罪に問われる。殺人は罪なのだ。人の命を勝手に奪ったり、軽んじたりしてはいけないのだ。何で誰もが最大限の言葉で(その行為を)非難するとしか云わないのか。この凶行に及んだ犯人を許さないと云わないのか。なぜみんな申し合わせたように同じような云い回しになるのか。凄く違和感がある、無学な僕はそんな風にしか書けない。どんなに書いても自分の中のイガイガした無念や無力感を全部表すことは出来ない。全ての人命が尊重されるべきではないのか。人の世に志があって欲しい。人の世に優しさが満ちあふれていて欲しい。悲しいことは素直に悲しみたい。暴力はいけない。殺人はいけない。絶対にいけない。言葉は尽きないけれど全く核心に近付かない。僕は明日からも誰かを少しでも楽しい気持ちに出来るように仕事をする。僕の役割を果たそうと思う。そしてこんな時にこそ頻出して蔓延り出す薄気味の悪い御意見御高説を踏んづけて足の裏をべっとり汚してしまうなんてことのないように気を付けたい。もうそんな薄気味の悪いのがどんどん生えている。それだけは皆さん気を付けて欲しい。僕も気を付ける。偏らないなんて無理だけど、正気に近くありたい。世の中もそうであって欲しい。それも無理なのか。だから余計に悲しい。

末永くがんばりますのでご支援よろしくお願い致します♫