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今一度考えてほしい、阪神タイガースというチームの再建を その②

1985年(トラッキーの背番号)、21年ぶりのリーグ優勝を果たした阪神タイガースの主なスタメンは、真弓選手とバース選手以外(投手を除く)生え抜きが並んでいました。その翌年の3位を最後に暗黒時代に突入するも、FA制度が導入される1993年までは他球団からはトレードでしか獲得できないこともあり、いくら阪神といえども即戦力補強といえば外国人に頼ざるを得ない状況でした。選手育成といっても、阪神ではいくら選手を育てても前回書いたように出場の機会が少ないこともあって、いつまでたっても底上げができませんでした。しかも、あの暗黒時代であってもなかなか我慢して起用してくれる監督はおらず、そんな不遇の選手たちは腐ったり、そのまま二軍生活に甘んじていくばかりでした。

そんな中、故野村氏や故星野氏が監督に就任すると、さすがに名将たちはそれまでの監督とは違い、少しづつではあるが若手の起用機会を増やしてくれました。岡田氏が監督に就任すると、阪神二軍コーチや二軍監督時代に育てた関本選手や藤本選手、林選手らを積極的に起用しました。岡田氏が監督時代にとくに話題となったのは、開幕にルーキーの鳥谷選手を起用したことでしょう。ただ、岡田氏は“なるべく選手を固定して戦っていきたい”方針なので、そこからの若手の起用はまた激減となってきました。

でも、何よりも問題なのは、掛布氏や岡田氏以来生え抜きのホームランバッター(シーズン30~40本以上)が皆無だってことです。生え抜きのスターと呼べる選手もほとんどいなければ、生え抜きのホームランバッターすらいない。ファンとして応援しているチームがそんなんでいいのかってことです。育てられないから補強する、補強するから出場機会がなく育たない、といった悪循環が、これから永遠に続くのかって、心配しないファンはいないと思います。

そこで現れたのが金本氏です。就任会見での「一回壊してでもチームを立て直したい」という言葉は、本当に救世主のようでした。恐らく、就任要請を渋ることで球団にも首を縦に振らせたのだと思います。一から立て直すなんてにわかに信じられないことでしたが、それはそれは楽しみが止まりませんでした。

実際、金本氏はその言葉通り、本気で立て直してくれたように思います。それは、なんといっても選手起用です。1シーズンで登録選手のほとんどを一軍で起用。しかも育成の原口選手までを支配下登録して起用したほどです。そんな監督、他に類を見たことがありません。もちろん、これは当時の二軍監督掛布氏の功績もあってのことです。その都度一軍で必要な戦力、それに応えるであろうファームの選手、ということを二人で密に連絡を取り合い一軍にあげては起用していきました。もちろん、今までのような、一軍登録はしたが一回も起用せずにまたファームに逆戻りなんてことはなく、登録したら即起用といった具合に、必ず試合に出場させていたことがとても意義のあることでした。しかも、一度のチャンスで結果がでなければ即降格なんてこともなく、できる限り出場機会を与えていたことが選手たちにとっても、実に有意義のあるものでした。

この起用法こそが、一軍にいる選手の尻に火をつけ、ファームにいる選手に“頑張れば一軍の試合にでられる”といった意欲を掻き立て、少しずつチーム全体に活気を与えてきたように思います。さらには、一軍で活躍する選手たちと対戦させることで、自らの現在地(実力や欠けているもの)が明確になり、ファームに戻ったときに具体的な目標が設定たてて練習しやすくなるといった効果もあったはずです。一軍と二軍の実力差は、選手たちが想像するよりもはるかに大きいのですから。

プロなら、超一流選手がライバルでなければ、誰もが“アイツよりも自分のほうが上だ”という自負をもっているはずですから、実戦を経験することで納得する選手が多いでしょう。選手が納得すればわだかまりはなくなり、チームも一つになる。実際に見ていて、活気があり、ムードもよくなっていった感じがありました。

こういった選手起用も、選手一人ひとりをよく見たり、コミュニケーションをとったりしている金本氏だからできたことだと思います。彼はフットワークが軽く、それは春キャンプの時から感じていたことで、グラウンドにいたと思ったら次はブルペンにいたりと本当にあちらこちらに顔を出していました。グラウンドでは率先してノックをしては、空振りをして選手たちに弄られたり、ブルペンではいろいろな投手の練習中にバッターボックスにたって褒めたり腐した(鼓舞した)りしていたのが印象的でした。また例えシーズン中であっても、よく暇を見つけては鳴尾浜に出向いて実戦を観戦したりして、金本氏のチーム再建に対する真剣さがうかがえました。

ちょっと余談になりますが、金本氏のフットワークの軽さで有名な話があります。それはスカウトです。就任1年目のシーズン中であっても、ドラフト候補のリストにあがっている選手の試合当日に、実際に見に行っていたりするというから驚きです。地元関西圏はもちろん、チームが関東遠征の時は静岡まで視察にいこうと計画していたというほど。また、行ったら行ったで、球界の人脈を生かして他球団のスカウトに「この選手、実際のところ、どう評価しています?」と取材することもあったといいます。スカウトたちも、「自分の足を使ってまでもいい選手が欲しい、チームを強くしたい」という監督の思いが伝わってきたそうです。そうやって見つけてきた選手が大山選手や小野投手、才木投手、糸原選手、高橋投手、島田選手、熊谷選手など、これからタイガースを引っ張っていってくれると思われる選手です。もちろん、青柳投手の獲得を勧めたのも金本氏というのは有名な話です。

話は逸れましたが、そのフットワークの軽さで自ら選手を観察し、頑張る選手には平等にチャンスを与え、チームを活性化して底上げを図ってきたと思います。それこそ、一軍の成績は振るいませんでしたが、ファームは優勝を経験しましたし、あの金本氏の三年間が選手たちのやる気を起こさせ、最後まで諦めない気持ちを植え付けていったのではないでしょうか。

金本氏による功績はまだまだありますが、いずれにしろここまで本気で損得抜きにタイガースのために尽力してくれた監督はいたでしょうか。就任当時に話していた5年計画、実際に彼に任せたかったです。金本氏も志半ばで解任になってことは残念に思っているはずです。少なくとも、彼が残してくれた財産は残していってくれたらと思います(現監督によって崩壊しつつありますが)。

最後になりますが、金本氏の人気もあったでしょうが、彼の本気度が伝わったからこそ、またファンもやはり生え抜きを中心としたチームでの優勝を願っていたからこそ、金本氏が監督を務めていた三年間、あの阪神ファンも結果がでずとも大人しくしていたのではないでしょうか。最有力(個人的に)として平田二軍監督がまだそのスピリットを持っていますし、藤川氏や鳥谷氏といった金本監督のもとで活躍した選手たちもあのスピリットで、これからの阪神タイガースの未来を明るくしてくれることを信じています。


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