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良い師の条件

9月3日

池袋で初めて会う編集者さんと打ち合わせをする。

新しい編集者さんと会うのはいつも緊張する。気に入られたくてついつい昔のおもしろ恋愛エピソードを披露してしまったら、それ以上の強すぎるエピソードを被せてきてくれたので安心した。

その編集者さんが担当した過去作を送ってくださると言う。

後日届いたのが『ヤクザときどきピアノ』。

「サカナとヤクザ」などの有名な著作を持つノンフィクション・ライターである著者が、ある日映画館でふと聞いたABBAの「ダンシングクイーン」に感動し、自分でも弾きたいと53歳にして初めてピアノ教室を訪れ奮闘する話である。

泣いた。

まさかこのタイトルにこの内容で自分が泣くとは思わなかった。

紛れもない青春スポ根モノ、かつ成長譚である。

チームメンバーはピアノの先生とピアノ。

敵対するのはヤクザだ。

ヤクザが襲ってくるのではない。ヤクザを専門に追いかけるジャーナリストである彼は、抗争があるたびにピアノのレッスンを休まなければならない。ヤクザの抗争に邪魔されながら、果たして彼は1週間に30分のみのレッスンで「ダンシングクイーン」を弾けるようになるのだろうか?と言う王道スポーツものストーリーラインに添いつつ、この作品は

「年齢を重ねた後での挑戦が、人生をどれだけ豊かにしてくれるか」

という重要な命題についてのヒントをたっぷりと私たちに投げかけてくれる。

作者は感動屋さんだ。なにせ鍵盤のドの音を初めて叩いて音が出ただけで感動している。私も感動しやすいたちなので共感する。そんな作者を時に熱く、時に冷静に導く、レイコ先生のキャラがまた良い。

何かを学ぶとき、その喜びを増やすのも減らすのも、生徒を生かすも殺すも師次第だ。

「生徒を萎縮させる先生はよくない。生徒にとって何が必要かを見極めることが教師のつとめ」とレイコ先生は言う。

これを読んで、私が通っているヨガ教室の先生を思い出した。

最初のレッスンの時、先生は私の動きを見て一目で「小野さんさ、35年間、あなた関節の柔らかさだけで運動こなしてきたでしょ。筋肉が怠けてるよ」といい、私の腰を掴んで一ミリだけ前にずらした。それだけで、私の全身は耐え難いほどの痛みに悲鳴をあげて床にくずおれた。

「本当はこれを支えられるだけの筋肉があなたにはあるんだよ。使ってないだけで」と先生は言う。

今まで私がやってきたのはヨガじゃなかった。ただの柔軟体操だった。OLさんが健康と美容のためにやるチャラチャラとしたスポーツだと思っていたが、本当のヨガは筋肉痛が2週間経っても消えないほどのコアな修行だった。きちんとした目を持つ師に出会うだけで、習っている物事そのものの概念が変わってしまう。痛みの中で呻きながら、この先生についてゆけば何かが変わると感じた。

良い先生というのは、相手にとって何が足りなくて、何を無意識的に怠けているのかを瞬時に見抜く能力がある人なのだ。決して自分の成功したやり方を押し付けたり、生徒にやらせるだけやらせておいて威張り散らしている人のことではない。

それ以来そのヨガ教室には毎週欠かさず通っているが、毎回毎回、体が変化する喜びがある。成長を目的とした喜びではなく、変化の先に成長のある喜びだ。それと同じものが、この「ヤクザとピアノ」にも書かれていた。

作者が無事、発表会までをやり遂げられるかは読んでのお楽しみだが、もし現時点であなたが特に何か習い事をしているわけでもなく、また取り立てて何か目標がある生活をしているわけでなくても、この本を読めばきっと、何か好きなものを見つけて没入する、その経験のかけがえのなさ、甘美さを丸ごと体感できる。

新しいことに取り組むのはいつだってドキドキだ。その喜びが人生を支えてくれる。歳をとって、人生にハリがなくなるのは新しいものに出会う確率が減ってくるからだ。けれどその機会は、幾つになったところで本当は自分で生み出せるものだ。取り組むときに必要な呪文は一つだけ。『トイ・トイ・トイ』だ。

この言葉の意味は、本書を読んで自分でぜひ確かめてみてほしい。





ありがとうございます。