見出し画像

自己主張の強いビッチか、弱者同士の連帯かーJOKERとル・ポールのドラァグレース

今更ながら「JOKER」を見る。

まともに見たら2日は寝込むだろう、と思い「絶対に!主人公に!感情移入しないぞ!」と身構えながら見たのだが、いざ始まると隣で一緒に見ていた中国トレンドマーケターのこうみくちゃんが「つらいつらいつらい」だの「まじ無理……共感しすぎちゃう……」だの終始ブツブツ言いながらブルブル震えていたため、"自分よりも感情的な人を見ると却って冷静になる"理論により終始平坦な気持ちで見られた。

この映画が流行る理由、よく分かる気がするな。こんなに真正面から「弱者の暴力」を正当化した映画ってあんまり見たことないもん。

例えばとんでもない不幸な事件が起きた時「被害者にも落ち度があったんじゃないか」と人々が思いたがるのは、私たちの中には「清く正しく生きてさえいれば、人間は不幸な目に合わないはずだ」という社会的バイアス(「公正世界仮説」)が機能しているからだ。レイプの被害者に「扇情的な格好をしていたからじゃないか」とか「危ないところに一人でいたからだ」とか難癖つけたがる野次馬が出てくるのはそのせいである。

けど、この映画がこれだけ話題を呼んでいるのを見ると「正しく生きたところで不幸な目にあうんだから、だったら暴力を行使して、自分の好きな世界に作りかえた方がいいよね!」って短絡的な発想の方がフィットする、もしくはその願望を心のうちに抱えていることを暴きだされてしまう人間が、それだけ社会の中に増えたんだなあ、と思ってしまう。

「『清く正しく生きる』がもたらす心理的セーフティネット、もう通用しませーん!ハイー!!」て言う、高らかなファンファーレを聞かされた気分。

「私は今世では可愛い女の子だけど、前世ではキモくて金のないおっさんだったんだと思う、じゃなかったらこんなにJOKERに感情移入しないと思うんだよね!」と叫び続けるこうみくちゃんをパスタ屋に連れて行き「こういう人を生み出さないためにもベーシックインカムはやっぱり必要なんじゃないか」とか「福祉って大事だね」とか、めちゃくちゃ薄っぺらい感想をくっちゃべって帰った。

帰宅後、あまりにも気持ちが沈んでいるのでNETFLIXで「ル・ポール のドラァグレース」を見る。

JOKERとの世界観のギャップに頭がクラクラする。


ここから先は

3,267字 / 2画像

¥ 200

ありがとうございます。