小説ってFSD(フリースタイルダンジョン)
先週から、初のウェブでの連載小説が始まった。
「わたしのしごと」
第一回
http://netallica.yahoo.co.jp/news/20160618-31379954-netallicae
第二回
http://netallica.yahoo.co.jp/news/20160625-93462053-netallicae
(ありがたいことに、ご好評をいただいているみたい。こちらのサイトで、これだけ記事にlikeがつくことってあまり無いことなのだそうです。)
現在進めている書き下ろし長編以外に、小説を書くのはこれが初めてなので、いろいろと新しい経験をしているのだけど、
一つ、
「おおー、小説を書くってこういう感じなのか」
と思ったことがあって、
それは、作者の人格に紐付かない、純粋な「作品への批評」が発生すること。
(例えば、この話はつまんない、とか、ありがちな、とか、文章が下手、とか、文体が好きじゃない、とか、この主人公は間違っている、とか、キャラが嫌い、とか、そういうこと)
私はこれまでエッセイを書いてきたけど、エッセイが読者から批評される場合、スタイルとか文体とか、上手い下手っていうよりも、どちらかというと、作者の考えに対する批評が圧倒的多数だ。
「私はこの人の考え方が好きじゃない」って内容がほとんど。
(ちなみに私はツラの皮がめちゃくちゃ厚いので、どれだけ作品を悪く言われても全く気にならない。東村アキコ先生が『かくかくしかじか』の中で「ネットの悪口なんてただのフォント」と言っていたけど、本当にそんな感じ。嬉しい感想は素直に受け取り、悪口には自動でモザイクがかかる都合のいい脳を持っている。なんでだろうね、日常生活ではかなり豆腐メンタルなんだけどね…。)
でも小説になると、作者の人格とは切り離された、作品へのダイレクトな批評を各所で見かけるようになる。
それってめっちゃ面白いな〜、と思う。
「これを伝えたい」というメッセージを、どう表現するか、そのスタイルは無限にあるわけで、だからこそ、それ(スタイル)についての批評が生まれるわけで、
逆に言うと、作者はそれに無限に工夫を凝らしまくることができる、それが創作の面白さなわけで、
小説って、マジで「フリースタイルダンジョン」なんだなぁ、と思った。
いや、某テレビ番組のことを言っているわけじゃなくて、
エッセイと違って、「本当のことを書く」という縛りがない分、無限に自由なのだなあというのを再認識した、というわけ。
広大なダンジョンを手探りで進んでゆく、そのやり方は全くのフリースタイルで、個人の裁量とセンスと知力に任されているのだ、なんでもアリなんだ、そう思うと、めっちゃ楽しいし、ドキドキする。
齢30にして、秘密の花園、恰好のプレイフィールドを見つけた気分。
これからここでめっちゃ、大暴れするのだ。
なんか、うまく言えないけど、そんな感じ。
ありがとうございます。