宵の口

友達が欲しいという話と、自分のことをコミュ障だと思っている人が多すぎる話

1月某日


 物書きの小池未樹さんとモントークで夜ご飯。友達が欲しい、という話をすると爆笑される。
 時々、Twitterのタイムラインで業界が同じだけどさして仲良くはないキラキラ系編集者さんやライターさんたちが互いにいいね!やRTしあったり記事を褒めあったり、グループ旅行の写真をあげたりしてるのを見ると「いいな……私もそういう友達欲しいな……」と勝手に孤独に打ちひしがれてしまう。まるで自分以外の世界中の人たち全員が友達であるかのように思えるこの感じ、何かに似ているなと思ったらあれだった。中高時代のスクールカースト。クラスのリア充がきゃっきゃしているのを見て「いいな……」と思いながらでかいヘッドホンをつけて机にうつ伏せてる感じ(でも楽しそうなふざけ合いの声はヘッドホン越しにばっちり聞こえる)。SNSという本来は無限のはずの空間においてさえ勝手に「教室」的なエリアを想像の中で勝手に定め、その中で、も・とっくに忘れたはずの苦い過去を再構築&追体験してるの、傷口に塩だしマジで草、「私は何を求めてSNSを……?」とか思い始めて止まらない。

 どれだけ仮想空間でのコミュニケーションが密になろうと、人は過去に体感として刻まれたことしか再生産できないのだろうか。
 そう言えば12月に嘉島さんと飲んだ時、「私はツイッター上でいちゃいちゃしあっている人たちが嫌いなんです!」と渋谷のおしとやかな和食居酒屋で彼女は叫んでいて、そう言い切れる強さがかっこいいな、と感心したのだった。私は本当は全力でいちゃいちゃしたい、別に仲良くランチしてる写真あげていえーい、的なのはやりたくないけど、誰かと会っていたら小野美由紀さんと会っていることはほのめかしてほしい、誰かと会った後は私について言及してないかどうかその人のタイムラインを死ぬほどチェックしてしまう、ド・重い女である。
 そもそも友達ってなんでしょうね?ーー普段、仲良くしていただいているアーティストさんや画家・漫画家・作詞家の方々、同じ業界の物書きの方々はいるものの、どう頑張っても「友達」というよりは、イエス降誕における東方の三博士のように、遠い夜空のなんとなく同じエリアらへんに浮かんでいる星を目指して歩む途中の「同志」みたいな感じが強い。作品を作り続けている限り、彼らを友達と思うのは難しいのではと思う。小池さんもその一人。しかし目指しているものが同じ、ということはふわっと優しい安心感を覚えるもので、彼女には(もちろん彼女の人間性もあって)情けないこともしょぼいこともつい話してしまう。思慮深くフラットな相談相手であり、何でも話せるお姉さんという感じ(私の方が年上なのに……)。この日もえらく年季の入ったタロットカードを混ぜ混ぜしながらさくさくと私のこんがらがった悩み事を仕分けてくれる。

小池さん:「何か隠し事してます?ジャスティスのカードが出てます」

ーードキッ。

「タロットって全部出るんですよねぇ〜。不倫とか浮気とかしてる人はたいていこのカード出ます」

 ま、マジ。小池さんにそんな風に言われたら即無抵抗でサレンダー、たとえコールドリーディングだろうとなんだろうと、完全に悩みの全容(ちなみに隠し事は断じて不倫・浮気ではありません)を丸裸にされ赤子みたいな気持ちで帰宅。
 
「大人になると友達を作るのが難しい」とはよく言われるが、決してそうではなくて「この人と僕は友達だ」と判定して良いかどうかの基準が至極個人的で曖昧だからこそ、寂しい気持ちになる、というのが真実な気がするなあ。学生の時は毎日一緒に帰る、とか毎日ご飯食べる、とか毎日LINEをする、みたいな友達(というか、親友?)と知り合いの間の明確な線引きがあったけど、社会人になるとそういう"当たり前"が一気になくなる。知り合いから友達への昇格に関しては恋人や夫婦のように周囲に対する「宣言」もないし、だからこそ無理にでも「私たち、友達よね!」と無言のうちに目配せし合うようなイベントごとをわざわざ作るしかなくなり、それすなわちSNSに写真をアップ、だったり、なんかよくわかんないTwitter上のいちゃいちゃだったり、とにかくそういう可視化作業がない限り不安を与え与えられ、非常に骨折りなのである。
 あーあ、私もSNSでいちゃいちゃする友達が欲しいな。
 でも実際は女子会が苦手だし、できれば男子がいいな。でも男子だったらいっそ恋人でいいな、ってことは結局、友達、いらないのでは。

1月某日

前からお話ししたかったブロガーさんとランチ。二人でご飯を食べるのは初めて。
赤坂見附の鳥料理店「宵の口」へ。

とても可愛らしくて、朗らかで、非の打ち所のなさそうに見える素敵な方なので、かなり恐縮していたのだけど、ふと相手の顔を見ると彼女も瞳孔がこわばっていたり、手の動きに硬さがあって、あ、もしかしたら相手も少し緊張しているのかな、と思いあたり、きっと私もそうなってるんだろうなと思うと、少しほっとする。「自分が緊張している時は、相手も緊張している」ーー昔、カウンセラーの友達に教えてもらったことだ。少しずつ、肩や首や目元の力を抜きながら、少し声のトーンやペースを落として話を続ける。
話を行きつ戻りつさせてしまったり、大事な部分をスキップしてしまって少し焦ったりしながらも、会話がゆっくりと進み、少しは打ち解けられたかな?と思ったところで彼女から突然
「小野さんは自分がコミュニケーションが上手いと思いますか?」と質問される。
一瞬(え、お前はコミュニケーション下手なくせして何誘っとんじゃい、という意味で聞かれてるのかな)と思いかなりひやっとしたが、
続けて彼女が語ったのは

「私はかなり……自分のことをコミュ障だと思っているのですが」という話だったのでびっくり。ぜんっぜん、そんな感じには見えない人なのだ。なんていうか、全身から放たれるオーラに、人を惹きつける力があって、普段のコミュニケーションに難航しているようには思えない人なの。本当に。

 私は思った。

 自分のことを「コミュ障」だと思っている人、最近、多すぎやしませんか?
 って。

 とりわけ、私から見ればじゅうぶん社会的にシュッとしていて、円滑に話ができて、場の空気を読める非常につつましやかな人ほど、自分を「コミュ障」だと思っている節がある。

 逆に全然相手の気持ちなんか読めなくて、テンションだけ高くて、声がでかいだけの奴が「俺ってイケてる」って勘違いしてたり。
 私は銀座8丁目でホステスをしていた時、毎日そういうおじさん、もしくはコミュニケーション能力どころか"あいうえお"さえおぼつかない、野獣みたいなおじいさんばかり見ていたので(そういう会話力ゼロの幼稚園生みたいなおっさんたちをあやしてガバガバになった懐から金をもぎ取るのがホステスの仕事である。もう二度とやりたくない)、
 またアートとか文芸の世界には、もう本当に本当に、コミュ力なんてものは母の胎内に置いてきたみたいな、全方位的に人と関わる力がゼロの人だっていっぱい居るので、そんな人たちに比べたら、私ってコミュ障なのかも、と思い悩める人なんてまだ×100000かわいいものというか、他人が場に広げたシーツの端をふわっと掴んで落とさないよう細心の注意を払ってくれるような、とても優しくて話しやすい人々のように思える。

 みんな、ありもしない「コミュ障」の幻影にうなされてるだけではないか?

 試しにそのブロガーさんに「あなたが思う"コミュニケーションが上手い人”の定義ってなんですか?」と聞いてみたら、
「その人がいることによってその場が円滑に進む人、みたいなのを考えている気がします。具体的にいうと、やっぱり気が利くとか、本音を引き出すのが上手いとか、”話しやすい人”と思われてるってことですかね……?」

と返事がきた。なるほど、彼女にとっての「円滑なコミュニケーション」のイメージは、自分<周りというか、周りの人を心地よくさせられることがキーなんだね。

 しかし前日に全く同じ質問を違う人にしたところ、

「どんな相手だろうと、どんな場所だろうと、いつでもキラキラしていて自分らしさを発揮できる人」

って返事が返ってきて、あれ、人によってイメージが違うぞ、さてはみんなそれぞれ「他人に対して自分はこうであれたらいいな」という理想の姿があり、そこから現在の私を引き算して、その差分だけを見つめて「ああ、私ってなんてコミュ障なのかしら」って言ってるだけなんだなぁ。

(ちなみに同居人ののりちゃんは『居て欲しい時にはそばに居て、居なくなって欲しい時には距離が取れる人』と言っていたが、それはただの都合の良いテレパスでは……?)

 本当は「理想のコミュニケーション」を象徴する六角形のレーダーチャートのうち、どんな人だってまるで全項目ゼロ点ってことはなくて、多少は凸凹しながらも少なからずその人らしい形のグラフを描いているはずなんだけど、ちょっとでも5点満点でない角があると途端に全部ゼロであるかのように感じちゃう、繊細で優しくておとなしい人にありがちのゼロ100思考、それはそれでいじましいし、そういう不器用そうな人の方が仲良くなったら面白そうだな、別の面を見せてくれそう、って思うんだけど……。

 ちなみに私の考えるコミュ強像は「自分の要求をさりげなく相手を不快にせずに通せる人」、なんつーか精神的ルパン三世みたいな人である……なんか、この質問、回答にそれぞれが自分の人生に対して抱えてる鬱憤や不満があぶり出されてる気がするなぁ!

 宵の口、チャーリー君の昼食会を参考に行ったのだけど、鳥丼と親子丼がとても美味しくて、これが1000円なんて信じられない!デザートの大福最中も美味しかった。広々としてゆったり過ごせる懐石料理店。また行きたい。

ありがとうございます。