キューバの彼が教えてくれた事
次はどこに行くの?
「次はシベリア鉄道に」
「メキシコシティでマヤ遺跡を」
「ペナン島で世界遺産のブルーマンションに」
「そこ私も行きたいんだよね」というお世辞ともつかない返事に、いつも同じ返事を返していた。
「行けばいいんですよ。行こうと思えばどこでも行ける」
37カ国も旅をしていると「言葉は話せなくてもなんとかなる」ことを知っている。パスポートとお金さえあれば大丈夫。
人間が住んでいるのだから、紛争地帯以外はどこにだって行ける。
人と人が分かり合えないはずはない。
そんな気持ちでいた。
ある年、キューバに旅した。
照りつける日差しや、紺碧の空と海。
生ぬるい風と街のそこここで聞こえてくる陽気なキューバ音楽。
時が止まったように、いつまでもクラッシックなアメ車が走る取り残された国。
道を聞いた事をきっかけに、キューバ人のカップルと知り合いになった。
弁護士をしているという彼は、流暢な英語を話し、少しの日本語や漢字を使えた。
「日本にいつか行ってみたい」
という彼に、「行けばいいよ」といつもの調子で返した。
すると悲しそうな顔をして黙り込んだ。
「キューバから日本には行けないんです」
そう言うと、一息置いて続けた。
「行くときは日本人の保証人がいります。でも、キューバから出られないキューバ人は日本人と知り合う機会はありません。だから、日本には行けないんです」
猛烈に恥ずかしかった。
自分がなんの努力もせず、ただ日本に生まれただけで日本のパスポートを手にしている。
少し面倒な手続きで、キューバへのビザは取れた。
努力家で優秀そうな彼は、日本に来ることができない…。
相手の状況を考えもせずになんて浅はかな言葉を言ってしまったのだろうか。
詫びる私に彼は右手を上げ、それ以上言うなとジェスチャーした。
そして、ポツリポツリと教えてくれた。
キューバ人はインターネットが禁止されていること。
外国人用のホテルへは入れないこと。
配給でもらうパンがあること。
貧富の差が激しいこと。
汚職や横流しが横行していること。
若いキューバ人たちが、人生の選択のなさに絶望していること。
底抜けに明るい国の、ちょっと見では分からなかった話に耳を傾けた。
そう言えば、葉巻をこっそり買わないかと耳打ちされたな。
インターネット自体が高級ホテルでしか使えなくて、時間制で高額だったな。
旅行者用の通貨と、キューバ人用の通貨が別々だったな。
色々なことが頭を巡った。
しばらく話をし、日が暮れそうになる前に別れた。
「あなたたちが幸せであるように祈る」
そう伝えた時のふたりの表情は、どう形容すればよいのかわからない。
帰り道。あんなに青かった空は燃えるような夕焼け空になっていた。
わたしは、なにも、わかっていない。
そんな簡単なことを、キューバで知った。
去年、キューバとアメリカの国交が回復するというニュースを聞いた。
彼らの諦めたような表情を思い出し、胸が熱くなった。
今日より、明日が良くなるといい。